その昔、作家の佐藤愛子さんは、「馬はハンサム、馬券は単勝」とおっしゃいました。
今、競馬は基本に戻るときではないでしょうか。佐藤さんの言葉がとても新鮮に感じられます。
とにかく馬券の種類が増え、これに3連単が加わるとなれば、その選択からして迷いの対象になります。レースの検討に馬券の種類を選ぶという作業が加わって久しいのですが、オッズの魔法使いにほんろうされ、すっかり競馬の基本を忘れていると、そういうことではないでしょうか。
何が勝つのかを追求するのが競馬で、どれでもいいから3頭、4頭の中から配当が大きいのがくればという考え方は、本当は邪道なのです。ところが、ボックスという取り組み方が手軽に思えて、勝ち馬の追求がおろそかになっているように思えてならないのです。的中の快感は、その瞬間はすべてを許してくれるのですが、残念ながらその機会はそんなには訪れてきません。
不的中の時の気持ちの整理がつくかどうかの問題が大きく、その場合、検討が曖昧であればあるほど不快感は長く残ります。ところが、何が勝つかを強く追求したときは不的中であってもそのレースから得るものは大きく、推理する楽しみを深められます。
ギャンブルには、選択(オプション)という行為がまずあるのですが、それは偶然の産物という色彩が強く、その未知なる部分にあまりこだわるというのもナンセンスという考えもあります。その場合は、馬はハンサムではありませんが、自分の好みを大きく取り上げることにします。好きな馬、応援したい馬という領域ですが、これなら、単なるギャンブルではなく、遊びの要素がふくらみ、勝ち負けのこだわりは少なくなるそうです。「馬はハンサム、馬券は単勝」という基本に立ち戻ろうと、これは他ならぬ自分の反省の弁でもあります。