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南相馬から埼玉へ 被災馬・ルージュビクトリーことコテツ(1)/動画

  • 2016年03月08日(火) 18時01分
第二のストーリー

▲南相馬市で震災に遭ったコテツ、縁あって埼玉の牧場へ


馬たちがつなぐ命のバトン


 2011年3月22日夜、埼玉県比企郡ときがわ町にある馬たちの養老牧場、ときがわホースケアガーデンに南相馬市から1頭の牡馬が到着した。その馬の名は、ルージュビクトリー、当時4歳。つい半年前まで、現役の競走馬として競馬場を走っていた馬だった。

 ルージュビクトリーは、父ダンスインザダーク、母はパラダイスチェリーの間に、2007年3月29日に北海道日高町の戸川牧場に誕生した。戸川牧場と言えば、2015年の年度代表馬に輝いたモーリスの生産牧場としても、脚光を浴びている。そしてルージュビクトリーの母系は、曾祖母に1984年の桜花賞馬ダイアナソロンがいる名門だ。

 美浦・嶋田功厩舎から2010年2月21日にデビューし、14番人気ながら5着と良血の片鱗をのぞかせたものの、2戦目以降はほとんどが2桁着順と精彩を欠いた。その年の8月28日、未勝利戦での17着を最後に競走馬登録を抹消し、南相馬市で乗馬となった。

 翌年の相馬野馬追への参加を目指していていたルージュビクトリーだが、乗馬となった翌年の2011年3月11日、あの東日本大震災が発生した。

 南相馬市は地震や津波による被害も大きかったが、福島第一原発事故による影響も甚大で、南相馬市を含めた原発周辺の市町村に暮らす人々の生活を奪っていった。そして馬たちにも、その影響は及んだ。

 ときがわホースケアガーデンのあるときがわ町は、地震自体の被害こそほとんどなかったが、震災後に行われた計画停電のため電気が使えない時間帯が多かった。

「ちょうど今の時期でしたし、暖房が使えなくてとても寒かったです。牧場では井戸水をモーターで汲み上げていたのですが、それが停電で使えない時には、自宅の水を大きなタンクに入れてトラックで運んだり、川まで降りていって川の水を汲んだり…。そんな最中だったんです、コテツが来たのは」と、ときがわホースケアガーデン代表の木村香織さんは当時を振り返る。ちなみにコテツというのは、ルージュビクトリーの現在の名前だ。

 木村さんは「引退した競走馬を南相馬ではたくさん引き受けてくださっていますし、少しでもその恩返しができれば」という気持ちもあり、被災馬の救済を始めたNPO法人引退馬協会に被災馬の受け入れを申し出ていた。

 木村さんはこの牧場を始める前は、埼玉県内にある競走馬の育成牧場で働いていた。

「育成牧場時代、あまりにたくさんの馬が目の前を通り過ぎて処分されていくので、少しでも自分にできることはないかなと思ったのがきっかけで、ここを友人と一緒に立ち上げました」

 元々乗馬クラブだったこの場所を借りてのスタートだった。2000年4月のことだ。

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▲「少しでも自分にできることはないか」そんな想いで木村さんが立ち上げたときがわホースケアガーデン


第二のストーリー

▲牧場で暮らす“野口さん”という名の猫 額の模様やちょび髭のような鼻が野口英世に似ているのが由来


「乗馬クラブにいたポニー3頭と、自分の馬1頭、そしてロバが1頭いました。自分の馬はサラブレッドでユリウス(セン)という名前でした。育成牧場で働く前は乗馬クラブに1年半くらい勤めていたのですけど、ユリウスはそのクラブの練習馬でした。その馬が馬喰さんも兼ねている牧場に移ったと聞いて訪ねて行ったら、どうせなら仕事しなよと言われてその牧場で働いたのですけど、自分で牧場を始めることになってユリウスをこちらに連れてきました。サラブレッドだと聞いていたのですけどかなり大きな馬でしたから、ひょっとするとサラブレッドではなかったかもしれないですね。どうやら乗馬クラブに来る前は肥育場にいたようで、途中でオリジナルの健康手帳がなくなって新しく作っていたので、本当の種類も年齢も定かではないんです。多分30歳くらいまで生きたと思いますよ」

 木村さんの愛情をたっぷりと受けた晩年のユリウスは、2003年に天国へと旅立った。

「競馬場から直接来る馬もいましたし、養老牧場から移ってきた馬もいました」というように、牧場には新しい仲間が加わっていった。

 その中にはアングロアラブの星ノ雷電王(セン・競走馬名ホシノライデンオー)という馬がいる。南関東で走っていたが、競走馬を引退した後はユリウスのいた牧場で一時期過ごしている。

「雷電王はユリウスと一緒に放牧されていたのですけど、(雷電王も)気になっていたんですよね」と木村さん。

 やがて雷電王は、育成牧場の近隣にある乗馬クラブの練習馬となった。そしてユリウスが亡くなる少し前に、雷電王が乗馬を引退して、木村さんのもとで余生を過ごすこととなったのだ。

 その雷電王も、2010年10月1日に23歳の生涯を閉じた。牧場の入り口近くに、同馬の碑がある。

第二のストーリー

▲ホシノライデンオーこと星ノ雷電王の碑


「雷電王が亡くなった前後に犬や猫も続けて亡くなって、私もガックリしていたんですよね。その時にみんなのお墓がないからと、お客様があの碑を作って持ってきてくださったんです。当時はその碑にすがっていました」

 その翌年、被災馬のコテツがこの牧場にやって来た。実は木村さんが被災馬を受け入れようと思ったのも、ライデンオーが亡くなって1つ馬房があいたからだった。

 ユリウスが亡くなる少し前に、星ノ雷電王が牧場の仲間に加わった。雷電王が亡くなった後には、被災馬コテツが移動してきた。まるで馬同士が命のバトンを渡してきたかのようにも思える。木村さんも「いつもそういったことがあるんです。不思議なんですよね」と、うなずいた。

「雷電王はコテツ君の性格とすごく似ていて、ヤンチャでいつまでも子供っぽい馬でした。可愛いかったですよ。人間大好き、自分も大好き。自分が可愛いということをよく知っているんです。コテツもまさにそんな感じで、ヤンチャ坊主で俺のこと皆が大好きと思っています(笑)」

 木村さんが語る雷電王とコテツの話を聞くうちに、天国の雷電王から被災馬コテツへと命のバトンが手渡されたのだと確信したのだった。


(つづく)


※コテツ(競走馬名:ルージュビクトリー)は見学可です。

ときがわホースケアガーデン
埼玉県比企郡ときがわ町西平877-1
電話 090-4628-2367
HP http://tokigawahorse.jimdo.com

被災馬コテツ(ルージュビクトリー)の会
月額1口2000円からコテツの支援ができます。
http://hisaiba-kotetsu.jimdo.com

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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