▲新記録のことJRAのこと、今回もユーザーの質問にお答えします!
的場文男騎手が、netkeibaユーザーの質問にお答えしていくこの企画。今回はズバリこの質問から。「“鉄人”佐々木竹見元騎手の7151勝を意識していますか?」。昨年も146勝を挙げ、依然リーディング上位をキープしている的場騎手。はたして、新記録への意識は。さらに、JRA移籍の質問から、騎手生命にかかわる大怪我の話まで、盛りだくさんでお届けします。(取材:赤見千尋)
(前回のつづき)
デムーロやルメールと渡り合う自信は?
赤見 前回の健康やメンタルの質問に続いては、この質問! 私も気になっていました。
『佐々木竹見騎手の記録(地方通算7151勝)に間近に迫っていますが、新記録は意識していますか? (はるきさん・男性)』▲2008年ジョッキーマスターズでの佐々木竹見氏 撮影:下野雄規
的場 それはないですよ。僕はもう年だし、抜けないと思ってます(4月6日現在6850勝)。7000勝がどうっていう話は、今になってあることでね。30代のうちに気が付いてたら違ったのかもしれないけど。6000勝もするなんて、思ってもみなかったですから。他の南関の競馬場に乗りに行き出したのも、40歳になってからですからね。
赤見 どうして大井でしか乗らなかったんですか?
的場 まぁ、よそはいいかなって。当時、大井だけで180勝くらいしてましたし、遊びにも一生懸命で(笑)。海に行ったり、スキーをしたりね。
赤見 遊びも大事ですよね。
的場 大事、大事。リーディング上位の桑島(孝春)さんや石崎(隆之)さんは毎日乗ってましたけど、それはものすごく大変なことですよ。寝てるか馬に乗ってるか、本当にそんな生活になりますから。気持ち的にも大変なことでね。だから行かなかったのもあるんです。
赤見 そこからなぜ、お気持ちが変わったんですか?
的場 「日本一の勝ち鞍を取ってみようかな」って、そういう気持ちになっていったんですね。大井のリーディングは獲ってたけど、南関ではずっと2位でしたから。そのためには年間300勝を超えないとだめなんです。40代半ばで、全国リーディングを獲りましたよ。
赤見 2002年が363勝、2003年が335勝で、2度の日本一。ものすごい数字です。
的場 今となっては、もっと若いうちから行っておけばよかったなって思います。そうしたら竹見さんの記録にもっと近づけたでしょうし、もう10年早く行っていれば、ひょっとしたら抜けたかもしれないですからね。
赤見 ちなみに、JRAについての質問も来ているんです。
『JRAへの移籍を考えたことはありますか? またこれから移籍を考えていますか? (ゲストさん・男性)』『JRAに参戦して、デムーロ、ルメールの上位騎手と対等に渡り合える自信はありますか? 個人的に見てみたいです! (ゆーさんです・男性)』的場 デムーロやルメールと? いやいや、もう年だから。若い頃やせめてもう少し前なら…なんてね(笑)。JRAへの移籍というのは、僕の若い頃はそういう時代じゃなかったですからね。
安藤勝己さんが突破口を開いたわけだけど、その時にはもう、行くような年齢じゃなかった。まあでも、大井からは内田と戸崎が移籍してね。地方競馬にとってはちょっと寂しいですけど、皆すごく活躍してますもんね。いつも見ていますよ。
赤見 内田さんへの思いは、特に強いんじゃないですか?
的場 内田は、僕が馬乗りを教えたからね。中学1年ぐらいの時に「騎手になりたいです」というので、僕が厩舎を探して、馬乗りも教えたんです。僕はね、騎手は結構育てているの。今調教師の澤佳宏、佐宗応和、的場直之、それと内田。みんな僕の教え子(笑)。
内田なんて、あんなになっちゃってねぇ。当時からうまかったもん。覚えが早かった。その内田に、大井のリーディングを獲られたんですよ。まぁ、弟子に抜かれたのなら、本望なんだ。
赤見 的場騎手はこれまで、大井リーディングを21回獲っていますけど、これもまたドラマですね。
的場 リーディングの戦いはいろいろありました。東京大賞典で高橋三郎さんにハナ差負けして、その1勝差で大井のリーディングを逃してね。悔しかったねぇ。あとは、石崎さんとの戦いね。どっちが南関のトップを獲るかで、12月の31日まで続いたこともあった。大井開催で僕に有利だったから、最後にポンポンと勝てたんですけどね。
赤見 石崎騎手とはそんな戦いを何年もしてきたんですよね。おふたりについて、こんな質問も届いています。
『的場騎手にとって石崎隆之騎手はどんな存在ですか? 教えてください。お願いします。 (taktakさん・男性)』的場 石崎さんは素晴らしい騎手ですよ。馬乗りがとにかくうまい。構えて落ち着いて乗るし、追い込みの精度が半端じゃないです。改めて“石崎隆之”という人は、すごいライバルだったなと。あのしのぎ合いがあったから、お互いに今がある。良かったと思いますよ。
▲赤見「的場騎手と石崎騎手の戦いはシビれます」
一人前になるまで、九州の土を踏むな
赤見 話はちょっと遡りますが、デビュー当時のことは覚えていらっしゃいますか?
的場 覚えてますよ。17歳でデビューして、最初がなかなか勝てなくてね。10戦目で初勝利だったと思います。ホシミヤマという馬でした。僕がいた小暮嘉久厩舎は名門で、すごい騎手ばかりだったんですよ。
高橋三郎さんに赤間清松さん、辻野豊さん、松浦備さんというすごい顔ぶれ。僕なんてまるっきしレースに乗せてもらえないわけで、これでもかっていうくらい仕事をして、どうにか1つでもレースに乗せてもらおうとしたんです。
赤見 下積み時代があったわけですね。
的場 威張るわけではないんですが、馬を動かす自信は、結構あったんですよ。騎手学校時代から優等生で、「馬乗りは優れてる」なんて言われて。けれども、レースは乗せてもらえない。それが3年も4年も続いて、負け犬になった時もありました。その頃、兄貴が佐賀で騎手をしていたので、「僕も佐賀で乗ろうかな」と思ったんです。
赤見 地元に帰ろうかなって。
的場 そう。ところが、一番上の兄貴に「バカ野郎! 一人前の騎手になるまで、九州の土を踏むな」って言われてね。もう亡くなってしまったんですけど、すごく厳しくて、良い兄貴だったんですよ。
『今でも南関東のリーディング上位に名を連ねる的場騎手ですが、今までに「引退」を考えたことはありますか? (うまレターさん・男性)』赤見 これまでに引退を考えたことがあるのか、ということですが?
的場 辞めたくなったことはあります。一番は、騎乗停止になったとき。相当気を付けてますけど、制裁が多いですからね。去年の暮れにも仲間を落としてしまって…あれは本当に申し訳なかった。落とされたときより落としてしまった方が、気持ち的にはつらいですね。
赤見 的場騎手ご自身も、大きな怪我をしたご経験は?
的場 怪我は相当あります。前の馬の後ろ脚が顔面に入って、前歯が全部取れてあごを複雑骨折。割れて残った歯を2週に1本ずつ、半年くらいかけて抜いて、その後にインプラント(人工歯根)にしたんですけど、歯茎が平らになるまで打てないそうで、結局2年以上かかりました。
▲的場「前歯が全部取れてあごを複雑骨折、治療に2年以上かかりました」
的場 あとは、馬が大暴れして蹴られて、脾臓と腎臓が真っ二つに。これは新聞にも出ましたよ。『的場文男重傷、集中治療室3日間』って。
赤見 かなり危険な状態だったんですか。
的場 危険、危険。医者が耳元で叫ぶんですよ、「これ以上の出血だと命が危ない、緊急手術です」って。そのうち意識がなくなって。これは不思議なんですけど、痛みを超えるとふぁ〜っと気持ちよくなるんです。死にかけたんだと思いますね。
赤見 ええっ…
的場 いやいや、本当に。ものすごく気持ちいいの。手術が始まって2時間ぐらい過ぎた時だったのかな? 戻ってきたんですよ。目が動いて音も聞こえてきて、「あぁ、これでもう死ぬことはないな」って。
赤見 それだけ大きな怪我を何度もしてきて、馬に乗るのが怖くなったことはないですか?
的場 それはないですね。休んでいる間も、早く競馬に乗りたくてしかたなかった。それには医者もたまげてましたよ(笑)。
(次回へつづく)
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■「Journey-illumination〜光の世界を旅する〜」