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とりとめもない話

  • 2004年08月30日(月) 17時23分
 いつの間にか空が高くなっている。もくもくと量感のあった真夏の雲が姿を消し、かわりに上空はるか、ひと筋細くはかないような雲が、しばらく漂い、そしてゆるやかに流れていく。よく晴れた日は、濃いブルーとのコントラストがひときわ鮮やか。見上げていると、なにか寂しいようなせつないような、およそ中年おやじらしくない感傷に襲われたりする。

 9月上旬。夕暮れのナイター競馬は、その情景が最も美しいときだと思う。大井でもいい、川崎でもいい、午後5時半、レースが中盤に差しかかるころ、内馬場に入り、芝生にでも寝ころがっていただきたい。大井なら4コーナー、川崎なら1コーナー、そこに沈み行く夕陽がかかる。茜色の空、砂を蹴立てて疾走する競走馬たち。これはまさしく一枚の見事な絵だ。

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 ごくたまにのことだが、○○騎手ファンクラブだとか、競馬愛好サイトのオフ会だとか、おつき合いさせていただくときがある。そこで若いファンのお話を聞く。若いファンのお話…、いやいやなにも老生ぶるつもりはないのだけれど、筆者は競馬歴35年、記者歴28年、キャリアだけは豊富で、そのぶんトウが立っている。日々の予想と結果に追い回され、新鮮な感動とか驚きとか、いつの間にかうとくなった。もちろんまずい。仕事を別にしてもまずいと思う。だからこういう機会は貴重である。

 若いファンが競馬をどう楽しみ、どう馬券を買っているか。「○○騎手が大好きで、騎乗馬は全部単勝、百円ずつだけれど買っています」、「現役時代、○○の大ファンでした。種牡馬になってその仔はどんなに走らなくても応援します」。とりたてて意外性はないが、競馬の楽しみ、その基本というべきだろう。若い女性に多いパターン。しかし、お目当ての騎手が若くイケ面ばかりかというとそうでもない。川崎のベテラン・金子正彦騎手など、失礼ながら意外なほど人気があった。「もうダメかと思うくらい絶望的な位置からよく追い込んできますよね」、「パドックで見るとちょっと猫背だけど、そんなところも誠実そう」。いいとこ見てるな…。聞いている記者もなにやら嬉しくなったりする。

 種牡馬については、最近は内国産馬が活躍、それぞれイメージを確立させているから話が早い。「ヤマニンゼファーはダートでも芝でも凄い切れ味を見せたでしょう」、「3冠までとったミスターシービーの仔がこれで終わるわけがないじゃない」、「ダービーを接戦で勝ったタヤスツヨシの根性。みんな子供に受け継がれている、そうですよね…」。馬券をバリバリ買っている男性軍はさすがにもう少し実戦的で、「○○騎手が本馬場に出て、右から左へステッキを持ち替えるときは勝負」などとクロっぽい発言が出る。サイン透視か。今の時代ではほぼありえない、そしてわかりにくい話だが、競馬へのアプローチとは元より本人の気が向くまま、制約は存在しない。

 ごくビギナーの方から、質問をいただいた。「競馬を始めて1年。もちろん面白いけれど、その全体像のようなものがつかめない。馬と人がどう動いているか…」。そういう向きには、無条件で船橋競馬場の観戦をオススメする。スタンド4階(自由席)、ゴール坂付近に陣取り、一日を過ごしていただきたい。左手(1コーナー寄り)にある厩舎から、まず馬が引き出され、コースの側道を待機馬房に歩いていく。そこで装鞍、検量を済ませ今度はパドック。本馬場入場、返し馬ののち、いよいよレース。完走、ゴールを過ぎると、再びカンカン場に戻り、笑顔のジョッキー、厩務員さんにポンポンと肩を叩かれたりして、ゼッケンと鞍を外してもらう。あたりを少し周回しクールダウン。汗が引いたころ、また同じ道をたどり、自分の我が家、厩舎へと帰っていく。競馬の仕組み。それを一目瞭然、パノラマさながらに見ることができる。勝ち負けは別にして、人と馬が織りなすドラマ。実見すれば、誰もが頬が緩むと思う。ほほえましい。

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 南関東の重賞は、先週今週とお休みで、とりとめもない話を書いている。地方競馬は相変わらず低調で、つい先ごろ、一部スポーツ紙に「宇都宮競馬廃止」が報じられた。近隣、関連の高崎競馬はもちろん、ほか地方競馬場にとってもきわめて深刻。利潤を生まない娯楽施設は崩壊して当然…。たぶん経済的、客観的にはそうなのだろう。しかし、実際競馬ファンが減ったか、そのレベル・認知度が低くなったかというと、記者の観点ではむしろ逆だ。かつてギャンブルなど見向きもしなかったはずの20〜30台の女性が、一部競馬を自分のテリトリーに入れていること。彼女らを家族の母と考えれば、この事実は将来に向けて軽くない。

 先のアテネ五輪。日本が驚くべきスポーツ大国であることは、どうやらはっきりしたようだ。柔道、マラソン、レスリング。ただしかし、その栄誉、メダルはあくまで一個人に帰し、利潤うんぬんとは別次元で存在する。少なくともお金の上で社会に還元されるものではない。柔道のための柔道。マラソンのためのマラソン。それなら、なぜ「競馬のための競馬」が成り立たないかとは正直思う。プロ野球どころではないだろう。JRA、地方、すべての枠組みを超えて再編成を図らないと、この国の競馬は消滅の危機すらある。かつて全国30場あった地方競馬場が、現在3分の2ほどに減少した。なにやら加速度的な流れだから、事はより深刻に思えるのである。

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日刊競馬地方版デスク、スカイパーフェクТV解説者、「ハロン」などで活躍。 恥を恐れぬ勇気、偶然を愛する心…を予想のモットーにする。

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