▲「昔から妹にはめっちゃ甘いやん」この機会に、長男の言い分をぶつけます!!
父子対談の第2回目。今回のテーマは『藤岡家の教育論』です。佑介・康太兄弟の人柄の良さはトレセン内でも有名で、厩舎関係者やマスコミへの対応も実に丁寧。その根底にあるものこそ、藤岡調教師の教えのよう。とりわけ、長男である佑介騎手には厳しかったそうですが、小さな時から教え込まれたものが、今の佑介騎手の核となっていると言います。(取材・構成:不破由妃子)
(前回のつづき)
浜中と康太には「理屈ばっかりや」って言われるけども
──GIに挑戦すること43回、開業15年目でのGI制覇となりましたが、15年間を振り返って、やはり長かったという印象ですか?
藤岡 いや、初勝利も同じ時期に開業した厩舎のなかで一番遅かったし、もともと時間がかかるタイプというか。なんせ初勝利までに半年かかったからね。そこまで時間がかかるケースは、あんまりないと思う。
佑介 気は短いのにね(笑)。
藤岡 そうやねんけど(笑)。当時は、どこにいっても「あいつは調教師として大丈夫なのか?」っていう雰囲気が充満してたなぁ。
佑介 もともと調教師になりたいと思ってたんだっけ?
藤岡 まったく思ってなかった。
佑介 じゃあ、なにがきっかけで調教師を目指したの? 今さらだけど、よく考えたら聞いたことがないなと思って。
藤岡 そういえば、お前とそういう話をしたことはなかったな。宇田先生(1979年から宇田明彦厩舎に厩務員・調教助手として所属)には、ずっと「調教師試験を受けろ」って言われていて。でも、調教助手として馬に乗ること、馬に触ることが大好きだったから、「はい、わかりました」と返事をしつつ、勉強もまったくしなかったし、もちろん試験を受けることもしなかった。
佑介 確か、宇田先生は早くに亡くなられたんだよね(94年に逝去)。
藤岡 うん。それで伊藤雄二先生の厩舎にお世話になることになったんやけど、なんか宇田先生の言葉がずっと頭から離れなくてね。だから、雄二先生には最初に「調教師試験を受けたいと思っています」と伝えて、それで試験を受けるようになった。とはいえ、ほとんど勉強をしないまま最初の試験を受けて、そこで初めて「これはヤバイ」と(笑)。
佑介 4回目で一次試験に受かったんだっけ?
藤岡 そうそう。一次は4回目、二次は7回目でようやく受かった。今思うと、最初の3年くらいは相当酷い成績だったはずで、採点をする人に「なんだコイツ」と思われてたと思うわ(笑)。
佑介 親父が勉強している姿を直接見たことはないんやけど、社宅に住んでいたころは、家に帰ってきたらずっと自分の部屋にこもっていた印象がある。そのときにずっと勉強してたんだよね。