▲皐月賞の口取り写真、関係者とともに笑顔でおさまる蛯名正義騎手(撮影:下野雄規)
2012年のフェノーメノ、2014年のイスラボニータと日本ダービーの栄冠に手が届きそうなところで2着と涙を呑んだ蛯名正義騎手。その蛯名騎手に、日本ダービー制覇のチャンスがまた巡ってきた。皐月賞馬ディーマジェスティとともに、22年連続24回目となるダービーの舞台に挑む蛯名騎手の取材を通して、大一番への思いに迫った。(取材・文:佐々木祥恵)
皐月賞は、無理せずじっくり後方待機
サトノダイヤモンド、リオンディーズ、マカヒキの3強の戦いと言われていた皐月賞に参戦した関東馬ディーマジェスティは、共同通信杯(GIII)勝ちがあるものの8番人気と評価は決して高くはなかった。だが調教の本数をしっかりとこなしていた同馬は、すこぶる良い状態でGIに参戦してきたのだった。
「これまで強いところと戦っていなかったので、そのメンバーの中でどの程度やれるのかはかりかねていたところもありました。ダービーが楽しみになるような競馬ができれば良いなという気持ちでした」 蛯名はレース前の心境を語った。
「こちらは大外枠(18番)で、近い枠(16番)にはリオンディーズがいましたから、できればそれら有力馬を見ながらレースを進められればと考えていました。ただスタートがあまり速くなかったこともあり、前に行ったリオンディーズにあっという間に置かれてしまいました」 無理に出して行って最後に止まってしまうのも避けたかった蛯名は、無理せず、じっくり後方に構えた。それが結果的に功を奏した。
「うまくペースもはまってくれました。ただ後ろにマカヒキもいましたし、その馬たちとの間で競馬をして勝てたのですからね。はまったと言ってもあの時計ですから、この馬に力があったのだろうと思います。当日はペースを把握しづらいほどの強い風が吹いていましたけど、それも味方してくれました」「ダービーが楽しみになるような競馬ができれば」そう考えながら乗った皐月賞に優勝したことで、蛯名正義とディーマジェスティのコンビは、楽しみになるどころか、ダービーの栄光に1番近い存在となった。
▲3強をねじ伏せての勝利、ダービーの栄光に1番近い存在となったディーマジェスティ(撮影:下野雄規)
▲レース後蛯名騎手は、こぶしを高々と突き上げた(撮影:下野雄規)
貫禄の最終追い切り
5月5日、ディーマジェスティは、助手を背にウッドチップコースで、皐月賞後初めての時計を出している。