▲最終回の今回は、コバジュン教官ご自身のことをお聞きします!
最終回の今回は、コバジュン教官ご自身のことをお聞きします。1992年に騎手デビューし、オイワケヒカリやイングランディーレで重賞制覇。2012年、20年のキャリアに終止符を打ち、競馬学校の教官へと転身。「僕はトップジョッキーではなかったから」――騎手の魅力も厳しさも知っているからこそ、指導できることがあると言います。(取材:赤見千尋)
(前回のつづき)
技術的なことを伝えるのは今でも難しい
赤見 最後はコバジュン教官ご自身のことをお聞きしたいと思います。騎手からの転身ですが、どういう経緯だったんですか? お誘いされていたそうですね。
小林 最初に声を掛けてもらったのは、実際に引き受ける2年ぐらい前なんですけど。その時僕以外にも声を掛けていたみたいで、「誰かがなるんだろうな」って、それくらいの感じだったんです。もう一度声を掛けてもらった時が、僕自身騎手として成績が良い方ではなくて。そろそろ先を考えなくてはいけないな、という気持ちだったんですね。
赤見 その時って、騎手を辞める方が多かったですよね?
小林 僕が辞めた年は、一番多かったんじゃないですかね。調教助手という道も考えたんですけど、ちょうどいいタイミングで声を掛けてもらったのもあって、一度ちゃんと話を聞いてみようかなと。それで競馬学校に行くことに決めたんです。
赤見 一番の決め手は何だったんですか?
小林 決め手は、僕を必要としてくれていたことですかね。それが一番です。まあでも、競馬学校は苦い思い出ばかりだから、足を踏み入れるのは辛かったですよ(笑)。
赤見 よく就職しましたね(笑)。
小林 いや、本当に…。就職するまでは、帰ってきたくない場所でした。未だに2階には行きたくないですもん。校長や副校長の部屋があるんですよ。そこに呼ばれるのは、怒られるときでしたからね。赤見さんも、そういうのありません?!
赤見 あります(笑)。引退してマスコミとして初めて教養センターに行ったときは、すごく気が重かったです。騎手を辞めるって大きな決断ですが、現場を離れることに迷いはなかったですか?
小林 現場がいいというわけではなかったですけど、ジョッキーを辞めることに関してはね。辞めて余計に思いますが、やっぱりジョッキーが一番いい。それは今でも思います。ただ辞める前は、勝てないとか乗る馬がいないとか悩んでいて。それが結構苦しくてね。
赤見 騎手って時間が経てば経つほど、現状から抜け出すのが難しくなると言いますか。
小林 低迷してくると、抜け出すのは難しいですよね。どうしても騎乗数が減ってくる、乗りたくても乗れない、俺はもっとやれるのに…そんな状況が続くと、気持ちも落ちてくるんですよね。何か出来ることはあるんでしょうけど、僕自身、上を走り続けていた人間ではないので。中途半端なところで、良いときもあれば悪いときもあってという…。
赤見 中途半端じゃないですよ。
小林 いやいや、そうなんですよ。でも、今の教官という立場になってみて、そういう経験も大事だなって思います。経験者だからって、課程生たちの気持ちがすべてわかるわけではないですけど、ジョッキーの魅力も厳しさも両方を知っているからこそ、その経験を生かせるのかなって。
▲騎手時代の小林教官(写真はイングランディーレでのダイヤモンドS優勝時、撮影:下野雄規)
▲「ジョッキーが一番いい」と小林教官 「魅力も厳しさも知っている、その経験を生かしたい」(撮影:下野雄規)
赤見 教官歴5年。最初の頃と比べて、ご自身の教官っぷりはいかがですか?
小林 こればっかりは、毎年毎年悩みますね。伝えることってとても難しくて。それこそ最初は、馬乗りとしての会話しかできないんですよ。「この馬はこう乗るんだぞ」って、感覚的な表現でジョッキーならそれが伝わるんですけど、課程生はそれでは理解ができない。どうすればいいか、先輩の教官に教わりつつ5年目に突入したんですけど、今でも技術的なことを伝えるのは難しいですね。
赤見 言葉では難しいですよね。「引っ張って」と言ったって、その感覚は自分でつかまないと。教官が実践して見せると「あぁ、すごい!」となりませんか? 騎手としての経験は、尊敬ポイントだと思います!
小林 ん〜、それこそGIを勝っていれば、もうちょっと言うことを聞いてくれるのかもしれないですけど(笑)。
赤見 でもやっぱり、騎手経験者に言われると説得力が違います。だからこそ、コバジュン教官はすごい存在ですよ。技術面もメンタル面も総合的に教えられる教官なんですから。
小林 メンタル面も指導していきたいところですよね。どうしても今は夢しか見ていないので、大事なところが疎かになったりする。でも、そここそが大事だったりもするので、口うるさいと思われても指導していきたいなとは思います。
赤見 中には学校を途中で辞めた子もいると思うんですけど。その辺りの難しさも感じますか?
小林 そこは、これからもずっと課題だと思うんですよね。体重が理由ならば仕方がない部分もありますけど、その他の面だと、なんとかできたのかもしれないなとか。ただ普通の学校と違って、辞めさせないことがその子への愛でもないというか。今だったらまだ違う道に進むこともできる、そういう可能性もあるわけですからね。
赤見 その子の一生がかかってることですもんね。騎手時代は馬を育ててきたわけですが、人を育てるのとどっちが難しいですか?
小林 (即答で)人です! 馬は文句を言いません(笑)。でも、赤見さんも知っている通り、ジョッキーっていい職業じゃないですか。ジョッキーでしか味わえない感動、気持ち良さ。辛いことも多いんですけど、それ以上に感動がありますので。
赤見 教官になって良かったですか?
小林 もちろん! 悪かった、なんて言えないですけど(笑)。教え子たちが活躍してくれることが、何よりの喜びですからね。自分が出来なかった代わりにというわけではないですが、活躍してくれたら一番うれしいですよね。
赤見 ちなみに、息子さんが合格されたんですよね。父親としての顔が出ませんか?
小林 いや〜、1日に一言交わすぐらいなので。初めて「騎手になりたい」と言われた時は、正直びっくりしました。小学校の時は思ってなかったみたいなんですけど、中学校に入る前、僕の引退の時に家族が競馬場に来て、それからなりたいって言い始めて。「僕の背中を見て」なんて思ったら、他のジョッキーがかっこよかったそうなんですけど(笑)。
赤見 照れてるんですよ。その気持ちを聞いて、反対はせず?
小林 反対はしなかったですね。ただ、「中途半端では絶対に続かない。それでもいいのか」って、3年間で10回は言いました。それでも「やる」と言ったのでね。どの世界に進んでも厳しさはありますし、自分で決めたからには、競馬学校でしっかりと体得して、夢を叶えてほしいと思っています。
(了)
▲実は赤見さん、騎手時代にコバジュンさんにお世話になったそうで。「改めてお会いできてよかったです」と!
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願書受付期間は平成28年5月9日〜7月25日(スポーツ特別入試制度利用者は平成28年5月9日〜7月19日)。
詳細は以下のHPをご確認ください。(外部サイトへ移動します)
http://jra.jp/school/entry/jockey/