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【特別対談】名馬を育てた厩務員(1)『貧弱なブルーコンコルドを短期間で完成形に』

  • 2016年07月04日(月) 12時01分
おじゃ馬します!

▲今回はブルーコンコルドをスターホースに押し上げた、山本元厩務員が登場(撮影:高橋正和)


今年5月に、16歳で天に召されたブルーコンコルド。50戦15勝という息の長い活躍で、こと古馬になってからはJBCスプリント、JBCマイル、東京大賞典、かしわ記念、南部杯など、GI・JpnI7勝を挙げました。その活躍の立役者こそ、当時の担当厩務員の山本良樹さん。技を持ったホースマンの手にかかると、馬はどう変化するのか。今月は名馬を育てた元厩務員おふたりをお招きしての、特別対談をお届けします。(取材:赤見千尋)


体を作り直して、ケアもしてあげた方がいい


赤見 今月は趣向を変えまして、おふたりのゲストをお招きしました。ブルーコンコルドを育てた山本元厩務員と、ゼンノロブロイを手掛けた川越靖幸元厩務員です。

川越 山本さんは大先輩にあたりますから、本当ならこうやってご一緒させていただくのもおこがましいのですが。

山本 いやいや。川越君と僕は栗東と美浦で所属は別々だったけども、ある時川越君がパドックで馬を曳く姿を目にしたことがあってね。それがとにかく綺麗で、素晴らしい曳き馬だなと思ったんですよ。

川越 ありがとうございます。

赤見 まずは山本さんのお話から伺っていきたいのですが、今はもう退職されているんですよね?

山本 ええ。辞めて約4年になります。23歳でこの世界に入って、最初は大根田裕也厩舎にお世話になったんだけど、その後はいろいろと厩舎を移って…。ヤンチャしてたからね(笑)。久保道雄厩舎って、リュウキコウなんかを育てた先生のところにもいました。

川越 リュウキコウって、たしか僕らが競馬学校に入った時にいましたよ。そうそう、みんな「あれ? リュウキコウがいる!」って驚いて。僕たち乗ったんですよ。

山本 リュウキコウ、おったでしょう? 久保道雄厩舎って名門でね、先生にはとてもお世話になったんです。その先生が亡くなってしまって、その後はまた転々とした。1年ももたんかったところもあったしね。僕が物言うて、ケンカして。

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▲「厩舎は転々としました。1年ももたんかったところもあったしね。僕が物言うて、ケンカして」


赤見 それは、馬の育て方ですか?

山本 そうですね。人の担当馬だったんですけど、見たら腰が悪い。乗り役も「これはちょっと…」って言うから、調教師に電話して「腰が悪いんだけど」と言ったら、「お前は担当じゃないのに、どうしてそれが分かる!」ってケンカになって。その後、リアルシャダイの子で走る馬をやってたんやけど、合わへんから他へ移った。合わへんもんは仕方ないね。

赤見 “物言う厩務員さん”として歩んできたんですね。それだけポリシーを持っているということですよね。

山本 どうなんですかね(笑)? 最後は角居勝彦厩舎から服部利之厩舎へ。ここでは気兼ねなく仕事が出来ました。そこでブルーコンコルドに出会うわけですけど、これだけの馬なのに、なぜ担当者が定まってないのかなって、最初は不思議やった。

赤見 えっ?? 担当者が決まっていなかったのですか?

山本 やり手がいなかったのかもしれないですね。僕は新馬からじゃなくて、途中から担当したんです。2004年の暮れにオープンのギャラクシーSを勝ったでしょう? そこからが僕です。

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▲ギャラクシーS優勝時、ここからコンコルド・山本厩務員・幸騎手の快進撃が始まった


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▲それから1年経たずして、JBCスプリントでGI制覇(撮影:高橋正和)


赤見 ブルーコンコルドって、初めの頃はダート替わりでも不安定で。それが、このギャラクシーSあたりから成績が安定するようになって、GI馬にまで登りつめるわけですが。育て難しかったということだったんですか?

山本 いやぁ、あの子はそんなに難しくないですよ(笑)。だけど、これがオープン馬と言われた時は、びっくりしました。隣にいた500万の方が馬はよかったですよ。馬体が薄くて貧弱でしたよね。

赤見 えーっ!! あのブルーコンコルドが貧弱というのは…想像ができないです。

川越 ええ…。ちょっとイメージが湧いてこないですね。

赤見 体が薄い時代から、強いなとは思っていたんですか?

山本 いやいや。自分が転厩するまで、コンコルドの存在は知りませんでした。服部厩舎に来て、1週間から10日で皆さんがイメージしてるような体にしましたよ。その時に初めて服部先生から「今だから言えるけども、“これがオープン馬や”って人には見せられなかった」と言われました。

赤見 どうやって短期間で変えたんですか?

山本 食わせましたね。脱脂大豆を。大豆のカスなんですけど、あれをやると筋肉が落ちないので、馬の形が崩れにくいんですよ。僕の基本メニューは、脱脂大豆を使います。日に3升ぐらいは食わせました。それに配合飼料も3升ぐらい。

赤見 配合飼料というのは、人間の食べ物で例えると?

山本 肉ですね。あげれば3升くらいは食べますよ。まず食べさせて体を作ってやらないと。あの子の場合、右手前の膝裏から腱が太かったんです。鉄屋さんに聞いたら、そこが弱かったんですね。普通は右前が悪かったら対角の左トモも悪くなるんですけど、栗東の坂路で調教すると、前も後ろも右が悪くなりやすいんです。あの子も坂路調教でしたし、だったら体を作り直して、もっともっとケアもしてあげた方がええなと思ったんです。

赤見 それからの成績は目を見張るものがありますよね。栗東S(OP)、プロキオンS(GIII)、シリウスS(GIII)を3連勝して、名古屋のJBCスプリントでついにGI初勝利。

山本 3連勝してオーナーに言ったのは、「最終的にブルーコンコルドは510キロになりますよ」と。それまで480キロとかそれくらいだったんですけど、そのJBCで511キロになってるでしょう?

赤見 511キロです。でも、ただ食べさせればいいわけでもないですよね?

山本 そうです。運動ですね。僕は厩を出たら、2時間は帰ってこなかった。常歩での乗り運動をじっくりやりましたね。それと朝早くに厩舎に入って、調教前に必ず30分、太ももにマイクロレーザーを当てて温めました。帰ってきて2頭目に乗る前にも、餌を食わせながらまたマイクロを当てる。

 夕方にも当ててたので、朝2回と夕方1回の計1時間半は毎日マイクロを当てました。とにかく後肢さえ丈夫にしておけば、前肢にそんなに負担はかからないので。服部先生にも約束したんですよ。「最終的にはどのレースでも使えるようにしておきましょう」って。

赤見 同じタイミングで鞍上が幸騎手に固定になりましたが、これは?

山本 これは僕じゃなくて、助手が声を掛けたらしい。それから約30回乗ってもらって、1回も乗り替わりはないですし、僕もそれでよかったんじゃないかなと思うしね。何もかも知ってるから何も言うことはないし、彼も僕に言ったことはない。「山本さん、どう? 変わりない?」「うん」、いつもその一言だけ。

 唯一言ったのは、かしわ記念を勝った時の1回だけです。2006年から3年連続出走して、2着1着2着でしょう。その勝った時のレース前に、「負けてもかまわないから、思い切った競馬してきい」って。あと勝ちたかったのは、フェブラリーSと帝王賞の2つやったんだけどね(笑)。

赤見 どちらも2着がありますね。マイルくらいのイメージでしたが、2000mは東京大賞典で勝ってますもんね。

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▲南部杯を2006年から3連覇(写真は2008年)、この偉業にはとある裏話があったと言います(撮影:高橋正和)


山本 初めてマイルで勝ったのは、盛岡の南部杯なんです。2006年から3連覇しましたけど、今だから言いますが、最初の年って当日に熱が39度あったんですよ。普通なら取消しになってもおかしくないけど、服部先生のコンコルドに賭ける気持ちもよく分かっていましたし、僕も腹をくくってね。熱が内にこもっているように感じたので、思い切って馬服を着せて運動させました。

赤見 温かくして。

山本 うん。40分ぐらい普通の運動をして、誰にも分らんように、脚も洗わず馬服のまま黙って厩に入れて。そこで馬服を脱がせたら、湯気がブワーッと出てね。溜まってた熱が出てきて、熱もサーッと下がりました。

赤見 何とか使える方向にという陰の努力があっての、あの3連覇だったんですね。

山本 南部杯優勝の祝賀パーティーの時に、「実は…」って熱発のことを打ち明けましたけどね(笑)。逆に3連覇の時は、僕の方から「使うのは辞めよう」って先生に言ったんです。馬に全然気合がなかったから。だけど、服部先生が「ここまで来たから行こうや」と言ってくれて。幸いそんな大したことにはならなくて、パドック3周したらスイッチが入った。その結果、彼は南部杯3連覇という大きな仕事を成し遂げました。あの時はコンちゃんに騙されたなあ(笑)。でも、本当に偉い子ですよ。

(次回へつづく)

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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