▲名馬を育てた厩務員対談の最終回。競馬界の変化を辿りながら“本当の馬作り”について語り合います
ブルーコンコルドの山本元厩務員とゼンノロブロイの川越元厩務員をお招きしての職人対談。最終回のテーマは、競馬界から離れたおふたりが感じる「競馬界の今」。牧場との連携で厩舎の回転率が上がり、担当制からプール制を取り入れる厩舎も増えています。効率的なサイクルのメリットがある一方、“職人肌”のおふたりはさみしさも感じると言います。名馬を育てた厩務員の熱い信念に迫ります。(取材:赤見千尋)
(前回のつづき)
「お金とかそんなのはいい。仕事に対してのプライドがあった」
赤見 おふたりとも名馬を手掛けられて、責任感とも戦ってきたのかなと思います。ブルーコンコルドは“ダートの絶対王者”として君臨していましたが、勝負前はどんなお気持ちだったんですか?
山本 プレッシャーはなかったですよ。ただ競馬に出るからには、いつも「勝つんだ」という気持ちしかなかった。「負ける」というのは一切考えてなかったです。
赤見 どんどん強くなっていって、ある意味“勝って当たり前”の存在でもありましたが。
山本 うん。でも、「常に完璧」なんてことはないから。僕が馬作りでヘマをすることだってあるし、乗り役さんだってミスはある。完璧というのはないんですよ。だから変なプレッシャーというのもなかった。
川越 僕はプレッシャーというより、「ここまで来たんだから怪我はせずに」って、そういうことに気を付けていました。ゼンノロブロイという素晴らしい馬で大きな舞台を経験させてもらって、大きなタイトルを手にするところまできたのですから、つまらない怪我だけはさせたくないですから。
赤見 ロブロイは種牡馬になってからもすごいですね。今年はバウンスシャッセが愛知杯を、リラヴァティがマーメイドSを勝っています。
川越 頑張ってますよね。ペルーサやルルーシュなんかも出してくれましたが、これからもいい子が出てほしいなといつも思ってます。いい種馬になれるんじゃないかなというのは、現役の時から感じていました。見た目、品格、たたずまい…どこにでも連れて歩きたいような感じでしたので。
▲ゼンノロブロイの代表産駒で、先日引退が発表されたペルーサ(2010年青葉賞優勝時、撮影:下野雄規)
赤見 まさに自慢の愛馬ですね。ブルーコンコルドは、残念ながら今年の5月に亡くなってしまって。
山本 5月の2日にね。その前日に牧場(ハントバレートレーニングファーム)の吉田さんから電話をもらったんです。「何かあってからじゃ遅いので」って。それを聞いてすぐに飛行機の手配をしたんだけれども、ちょうど大型連休中で4日のチケットしか取れなかったんです。2日の朝にもう一度電話で話したんだけども、吉田さんもだいぶ声が詰まった感じで話をしていてね。聞いているのも辛くなってくるくらい。
人の手を借りずに、最後は自分の力で亡くなったそうです。毎年北海道に会いに行ってたんですよ。1年に1回しか会わなくても、すり寄ってきて鳴くんです。コンちゃんはたいした馬だなと思っていました。最後は会えなかったけど、初盆にお墓参りに行こうって子供と話してます。
赤見 山本さんにとって、どんな存在でしたか?
山本 それはもう、何とも言えん。素晴らしい馬ですよ。稼いでくれたとかそういうのは別にして、これだけ人間の気持ちに応えてくれた馬もいないですから。本当にいい出会いでした。
赤見 山本さんとの出会いがなかったら、ブルーコンコルドもここまでの馬になっていなかったかもしれません。今回のお話を聞いて「厩務員さんの力ってこんなにも大きいんだな」って、改めて思いました。
山本 川越君もそうだと思うけど、僕ら厩務員は調教はできないけど、馬をケアして餌をあげて競馬に出て勝ったってなったら、本当に実感が湧くもんね。「やった」という感じがする。ところが今は、賞金のプール制(厩務員に与えられる賞金5%の一部、あるいは全部をプールして、他の従業員にもなるべく平等に行き渡るようにするシステム)の厩舎が増えてきたでしょう。それだと「やった」という感じがなかなか持てないんですよ。
赤見 プール制になると賞金は平等で安定はしますよね。
山本 うん。そういう面はあるけどね。厩舎によっては特定の担当馬を決めないで、グループで何頭かの世話をするというところもあるようだけど、やっぱり僕は自分の担当馬とじっくり向き合っていく以前のスタイルの方がよかったなあと。その方が、餌作りでも楽しみがあるわね。この餌をこれだけやって、こういうことをして、あれこれ試行錯誤して勝ったとなったら、やっぱり喜びが違うもん。
川越 そうなんですよね。「それぐらいいいじゃないか」と言われるかもしれないですけど、それだけ仕事に誇りを持ってやっていたわけですから。そのどれか一つでも欠けてしまうと、厩務員じゃなくなってしまうという、そういう気持ち、プライドがありましたね。
山本 そう。お金とかそんなのはいいんですよ。仕事に対してのプライドがあった。だけど今は、競馬学校を出たら何もかも知っているという感じで仕事をしている若者が多く感じますね。「山本さんから言われなくても、全部わかってます」というような。
でも、若い子たちが全員そうというわけでもない。僕が現役の時に、ある厩舎の若い子たちが「山本さん、この馬こうなんやけど、どうしたらいいですか?」って聞いてきて。「ほんならこうしてみたら」ってアドバイスしたら、「ありがとうございました。よくなりました」って。そういうやり取りをしたこともあったからね。よその厩舎やし、僕に一銭にもなるわけでもないんだけど、あの時は嬉しかったね。
赤見 経験からのアドバイスはとても貴重ですし、聞きたいですよね。最近は馬がトレセンにいる時間が少なくなりました。外の牧場が充実しているからでもあるんですけど、その辺りも変わってきたところですよね。
山本 そこはすごく変わったところでしょう。今の若い子は競馬学校を出てちゃんとしてるんだけども、怪我や病気をした時のケアの仕方を知らない。悪くなったら放牧になっちゃうから。だけど“ここぞ”という勝負の時に、ちょっとしたことで勝つか逃すかってあるんです。
▲「“ここぞ”という勝負の時に、ちょっとしたことで勝つか逃すかってあるんです」
赤見 それが経験に裏打ちされた技術ですね。そしてそれを発揮できる時代でもあったという…。
山本 僕らは競馬の一番いい時にいたんだと思いますよ。いい競馬したもん。だから川越君が藤沢厩舎を辞めたって聞いた時は、びっくりしたの。
川越 藤沢厩舎から別の厩舎に移って、「楽がしたくなったのか?」とかそんなことも言われました。それは嫌でしたね。楽がしたくて辞めたわけじゃないですから。厩舎を移って馬の質は変わりましたけど、どんな馬でも手を掛ければ必ず良くなるということを再確認できたのは、嬉しかったです。
牧場時代の恩師とも言える先輩は「馬は何せ手を掛けなければいけない」と教えてくれました。牧場の従業員は競馬場の人間ほどお金を手にするわけじゃないのに、その先輩は朝から晩まで真っ黒になって馬のために働いていました。それを思い起こすたびに、その人の教えと仕事ぶりは、競馬の世界においてはとても大切なんだと感じますね。僕もいい時代にいい経験をさせてもらいましたが、今やっている人やこれから入ってくる人は、厩務員の仕事の本当の面白さを分からないまま終わっちゃうんじゃないかなというのはありますよね。
赤見 今のシステムだと、おふたりみたいな職人的な厩務員さんが育つのが難しい状況になっているのかもしれませんね。辞めてみて、改めて感じることってありますか?
川越 馬のおかげで自分があるということを、現役の時は忘れがちだったんじゃないのかなって。勝つとたくさんのお金が入ってきて、しょっちゅう取材も受ける。そういう環境で、見失っていたこともあったんじゃないかなと思います。
山本 それは僕も一緒。「おめでとう」「おめでとう」って毎日言われて、しょっちゅう取材に来られるんだもの。
川越 いい厩舎に行けば行くほどそれが当たり前になって、錯覚する部分は多いでしょうしね。今ってこの世界に入る前から、「これだけお金が入る」とか、みんなよく知っているじゃないですか。入ってくる子たちは「いい厩舎に行きたい、稼ぎたい」という発想になる。稼ぎたいのはあっていいんですけど、それにはそれなりのキャリアも必要だと思うんです。
昔はどの厩舎にも、新人を育ててくれる馬がいたものです。当時まだいたアラブだったり、下級条件の馬だったり。今は新馬戦が早く始まって、未勝利も早く終わってしまう。馬の回転も早くて、ある程度上位の厩舎になるほど人を育ててくれる馬がいないんじゃないかと思います。以前はどんな条件の馬でも、その馬がなるべく長く競走馬として走れるよう、馬を大切にしながらやってきたのですけど…。
それに今はトレセンと育成牧場がとても密接で、大きな牧場を出てトレセンに入ってくる人ほど、自分はもう一人前の仕事ができるんだと思っているように感じます。似たようなことは先ほど山本さんも仰っていましたけどね。トレセンの現場もそれに対して危機感が少ないんじゃないかと思います。
僕がロブロイで天皇賞・秋を獲ったとき、母親に言われたんです。「ここまでくるのに20年かかったね。それだけ重みのあるものなんだね」と。言われてその通りだと思いました。ところが今は、いい厩舎に入れば簡単に重賞を獲ってくる。そうするとタイトルの重みもなくなっちゃう。やっぱりそこにたどり着くまでの過程って大事だと思いますし、そうじゃないと失礼な気がします。
山本 たしかにそうだね。僕なんかはやっぱり、昔のスタイルに戻ってほしいなぁと思う。
川越 ええ。やりがいがありましたよね。
(了)
▲山本元厩務員、川越元厩務員、貴重なお話を聞かせていただきありがとうございました