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川島イズムの継承者、佐藤裕太調教師の心意気

  • 2016年09月13日(火) 18時00分
佐藤裕太調教師

川島イズムの継承者、佐藤裕太調教師



調教師として船橋競馬場を盛り上げたい


赤見:騎手から調教師に転身されたきっかけは何だったんですか?

佐藤:僕は川島正行調教師のもとで所属騎手としてデビューして、アジュディミツオーやフリオーソなど名だたる馬の調教を私がつけさせていただいていましたが、ジョッキー時代は自分で調教してて、でもレースには乗れない悔しさを抱えていて…。もう辞めようと思ったこともありました。でも厩務員さんから、「裕太が乗ってくれると馬が走るよ」とか、「ありがとう」とか感謝の言葉をいただき、そういうことでやる気を見出していたんです。それに、あれだけの馬たちに関わらせていただき、調教の奥深さに気づき、裏方でも競馬界で力になれるんだという気持ちがあったので騎手を続けて来られました。

 そんな中で、川島調教師が亡くなる5年前に、「ジョッキーやってても芽が出ないから調教師になれ。今まで通りにやっていれば調教師ならば芽が出るから」って言われたんです。でもちょうどその時、騎手会長に就任し、そちらの方でも力入れたくて。ジョッキーたちの意識を変えたかったというか、騎手という立場で船橋を盛り上げたいと思ったんです。当時は川島先生が調教師会長をしていたので、そういう力も利用して連携すれば新しいことができるのではと思って、しばらくは騎手会長として船橋競馬場を盛り上げたいと思いました。

 ある程度やらせていただき、少しずつ形になり、後は後輩に任せてそろそろ決断する時だなと。私が「調教師になります」って言った時には泣いて喜んでくれました。その姿を見た時には、あれだけ厳しかった調教師が、これだけ喜んでくれる…と、胸にグッと来るものがありました。

赤見:ジョッキーがレースに乗せてもらえないというのは、すごく辛いことですよね。

佐藤:その通りですね。あれだけの馬たちに乗せていただき、葛藤は大きかったです。当初は石崎(隆之)さんや佐藤隆さんというベテランの方が主戦でした。その後は内田(博幸)さん、戸崎(圭太)くんと受け継がれていき。ゴール前でガッツポーズしたり、周りから「おめでとう」って祝福されてて。私も勝って嬉しいんですが、自分は影の存在なのでやっぱり悔しかったです。先輩ジョッキーの時には「いつかは自分も!」という風に考えていましたが、だんだん世代が変わって行って、後輩の戸崎くんになった頃には自分の気持ちも固まっていました。自分がでしゃばって「乗りたい乗りたい」と言っても、自分の技術もわかっていたので。やはり一流には及ばないですし、一流の馬には一流のジョッキーですよ。

赤見:そう考えるようになるまでには、相当な葛藤があったと。

佐藤:そうですね。ミツオーやフリオーソなど本当に地方を代表する馬の調教を任されていたわけですし、自分だけのものじゃなく、ファンの方々、生産者、育成牧場、獣医、装蹄師などたくさんの方々が携わる馬ですから。自分がレースに乗せてもらえないからって、大事な『調教』というカテゴリーを雑にしてはいけないという想いがありました。葛藤はすごくあったけど、メディアの方も自分のことを取り上げてくれて、「裏方でも縁の下の力持ちとして頑張ってんだよ」っていうのを伝えてくれて。そういうのも励みになりました。今になれば、続けて来て本当に良かったと思っています。

赤見:川島先生とぶつかったことはありますか?

佐藤:ぶつかれないですね(笑)。すごい存在だったので。ようやく自分のことを信頼していただき、調教だったり現場のことは「裕太に任せる」って言っていただいた時には本当に嬉しかったです。

赤見:どんな先生でしたか?

佐藤:すごく厳しい先生でした。若い頃は心の中で「このやろう」って思ったこともありましたね。ものすごく厳しくて、靴磨きや洗濯、車洗いなど長く下積みを経験して。そういう時代でしたが、理不尽に思うことも何度かありました。

 それでも先生には魅力がありました。開拓者でチャレンジ精神が豊富なんですよ。新しいことにチャレンジして、それで結果を出すんですから。例えば厩舎を美しく飾ること、オーナーやお客様が来るから、花を植えて厩舎をキレイにしたり。そういうの昔はなかったんです。それに、今でこそ当たり前ですけど馬房にクーラーを設置したり、中2日でやってた追い切りを中3日でするようになったり。追い切りをビシっと行くのが当然だった中で、抑えたまま併入したり。最初やった時は先生も笑われて、「何やってんだ」って言われてたんですけど、今では当たり前にみんなやるようになりましたよね。中央の方が見に来たり、調教師試験を受かって開業前に修行に来たりする方もいました。

赤見:その分、中にいる人間には厳しかったんですね。

佐藤:その中で我慢して来たのが、今になって本当に良かったなと。調教師になって、川島正行厩舎で積み重ねてきた経験が、今の糧になっていますし、自分の一番の財産です。

赤見:実際に開業してみていかがですか?

佐藤:開業してからは、これまでさせていただいた経験だったり、川島先生の教えを守りながら、その中で自分なりのスパイスを注いでやっています。調教師として大切にしている川島イズムは、『馬に愛情をかける』ということです。先ほど例に出した、馬房にクーラーを付けるということにしても、調教ではいかに疲れさせないで仕上げるとかも、愛馬心から来る発想が多かったんですよね。それから、人付き合いを大事にするとか、本当に色んなことを教えていただきました。

赤見:すごい馬たちに調教をつけて来たわけですけれども、思い出深い馬はいますか?

佐藤:一番はやっぱりアジュディミツオーです。よく言われますけど、本当に肉食獣のようでした(笑)。いつ振り落されてもおかしくない怖さがあって。手も焼いたけど、手の内に入れた時は嬉しかったです。

赤見:先ほどのお話にも出ましたが、騎手会長としてずいぶんいろいろなことを考えて行動に移しましたね。

佐藤:それも川島先生が、ナイター計画とか社会福祉とかに力を入れているのを見て来たことが大きいです。例えばガーナ共和国杯を作ってガーナに寄付したりした姿を見て来たので、そういうことをジョッキー主導で出来ないかと思って。やっぱりジョッキーが花形なので、船橋を盛り上げるにはジョッキーが盛り上げないと。組合に任せきりにするよりも、自分たちで動いていこうよっていう精神を根付かせたかったんです。自分たちでグッズを作ったり、ファン感謝デイを企画したり、ポスターもジョッキーメインのものにして。押せ押せでどんどんやりました。

 社会福祉とファンサービス、ジョッキーの意識改革というのを考えていたので、ある程度形に出来てあとに残すことができたのかなと思います。

赤見:社会福祉への意識は前から強かったんですか?

佐藤:そうですね。騎手会長として、ファンサービス及び社会福祉をモットーに掲げていたので、そういうところで今の意識があるのかもしれないですね。

 今私の厩舎では、厩務員さんの息子で少しハンディをお持ちの方を雇用しているんです。彼の魅力は、すごく優しいので馬が落ち着くんですよ。もちろん厩務員登録しています。担当馬はいないけど、掃き掃除や馬の水を取り替えたり、馬を曳くことはよくできるんですよ。厩舎周りで暴れる馬も、あの子が曳くと落ち着くんです。ハンディをお持ちですが、馬に対して見下したりもしないし、強く命令もしないし、馬もわかるんですよね。厩務員さん一人より、隣にあの子がいると馬が安心するみたいで、パドックでも大人しく歩くんです。

赤見:ご自身でもハンディをお持ちの方を雇用しているんですね。

佐藤:こういう話をすると誤解する方もいるかもしれないですけど、彼がいないと困る存在ですし、居てくれて本当に助かるんです。曳き運動で馬にケガをさせられないので、彼のお蔭で危険なく運動できる馬もいるんです。今では自信を持ってパドックにも送り出せますよ。その辺の厩務員さんよりもすごく上手いですから。すごく馬を可愛がるので、心で馬と繋がっているみたいです。洗い場とかでうるさい馬は横に立っててもらうと大人しくなるし、彼だからこそできることがあるんですよね。一緒に働いて気づかされることも多いです。

赤見:では、今後の目標を教えて下さい。

佐藤:一番の目標は重賞を獲ることですね。経験を積んでこの先余裕が出てきたら、調教師としてファンサービス、社会福祉に繋がる計画を立てて、船橋競馬場を盛り上げて行けるようになりたいです。

常石勝義
1977年8月2日生まれ、大阪府出身。96年3月にJRAで騎手デビュー。「花の12期生」福永祐一、和田竜二らが同期。同月10日タニノレセプションで初勝利を挙げ、デビュー5か月で12勝をマーク。しかし同年8月の落馬事故で意識不明に。その後奇跡的な回復で復帰し、03年には中山GJでGI制覇(ビッグテースト)。 04年8月28日の豊国JS(小倉)で再び落馬。復帰を目指してリハビリを行っていたが、07年2月28日付で引退。現在は栗東トレセンを中心に取材活動を行っているほか、えふえむ草津(785MHz)の『常石勝義のお馬塾』(毎週金曜日17:30〜)に出演中。

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