◆さらなる売上げアップにつながる制限の緩和
次の一手が来た!と思ったのは、9月18日に実施された『SPAT4初めての日曜前日発売キャンペーン』だ。
南関東4場のネット・電話投票『SPAT4』では、これまで他地区の馬券発売は南関東開催日に限られていた。しかしその9月18日、南関東の自場開催が行われない日としては初めて、ばんえい、盛岡、金沢、佐賀の場外発売を実施。これにともない、翌日に行われるレディスプレリュードの前日発売も行った。
というより、むしろこれは非開催日にレディスプレリュードの前日発売を実施するのにともなって、他地区の馬券も発売できるようになったと考えたほうがよさそうだ。
地方競馬の馬券の売上げは、昨年度まで4年連続で、総売得金、1日平均の売得金ともに前年度比プラスを計上している。特にここ3年では、売上げが特に大きいJBC開催などの特殊なケースを除き、すべての主催者で前年度比プラスを計上している。
もちろんこれは、2012年10月にスタートした地方競馬IPAT(JRA-PATでの地方競馬の馬券発売)によるところが大きい。また、オッズパークや楽天競馬など民間企業による馬券発売で、ポイント付与などの特典によってもファンのリピーターを増やしているものと思われる。
しかし売上げが増えているからといって、そのまま何もしないのでは、いつしか停滞から下降に転じることは間違いない、というのは、歴史が繰り返してきたとおり。
戦後、競馬の売上げは驚異的な上昇率で右肩上りを続けた。地方競馬は1980年代の中盤に一時期売上げの減少があったが、その後にやってきたバブル景気で大きく盛り返した。しかしバブル崩壊後の1997年まで右肩上がりを続けた中央競馬に対して、地方競馬は1991年がピークと、下落が始まるのが早かった。
中央競馬ではかつて馬券発売の面でも東と西で別々に競馬が行われていたものが、平成の時代になって全国発売と電話投票(のちにネット投票)拡大の努力を続けた。それゆえに景気後退後でも馬券発売の右肩上がりはしばらく続いた。
しかし地方競馬では主催者を越えた場外発売が一向に進まず、売上げが下落に転じるのも早かった。娯楽が少なかった昭和のころ、馬が走って馬券を売ってさえいれば、売上げが上がっていく時代があった。また当時は、「なぜ他の主催者の馬券を売ってやらないといけないのか。そのぶん自場の売上げが減るではないか」という考えもあったようだ。そうした古い考えからなかなか脱却できなかったことも原因のひとつだろう。
地方競馬で主催者を越えた広域場外発売が初めて行われたのは、1996年8月15日に旭川競馬場で行われたブリーダーズゴールドCを、南関東(開催していたのは川崎競馬場)で発売したのが最初だったと記憶している。広域といっても現在のような全国発売ではなく、ホッカイドウ競馬の馬券を南関東で発売したというだけだった。
地方競馬で売上げのピークを記録した1991年には9860億円余りあった売上げが、その1996年には約6950億円と、すでに7割程度にまで落ち込んでいた。そこまで落ち込んでようやく重い腰を上げ、広域発売に舵を切ったと想像できる。
地方競馬で広域場外発売が始まってから、中央・地方間の相互発売に風穴があくまで、じつに16年。今思い起こしてもずいぶん時間がかかったなあという印象だ。
全国発売が当たり前になった今、地方競馬の各主催者としては、いかに他で競馬が行われていないときに馬券を売るか、ということが、売上げアップの半ば常識となっている。通年ナイター開催に賭けた高知競馬の売上げが劇的に回復していること、土日月開催のばんえい競馬では月曜日の売上げがもっとも多いことなどがそれを如実に物語っている。
中央・地方間の相互発売が実現し、それによって実際に馬券の売上げもアップした。全国発売の拡大はこれで一段落という雰囲気だが、しかしそこで立ち止まってしまっては、またどこかで売上げは下落に転じてしまう。
さらなる売上げアップにつながる馬券発売の空白はないのか。SPAT4の非開催日の発売は、そのひとつの答えともいえる。
中央・地方の相互発売は実現したものの、システムなどの制約によって、発売日や時間帯、1日に発売可能な場数などはまだまだ限られている。それらの制限を緩和、もしくはなくす方向へという努力や話し合いは続けられるべきと思う。