▲肌で感じた世界レベルの馬作りとは。さらに、あのエンパイアメーカーの秘話も
イギリスの大学の馬学科に進学した中内田調教師。充実した学生生活の一つが、イギリスの有名厩舎での貴重な体験でした。その後アメリカへと渡り、名門厩舎でスタッフとして働くことに。そこで担当することになったのが、日本でも馴染みのあるエンパイアメーカーでした。(取材:東奈緒美)
(前回のつづき)
2歳馬が4、5戦連闘のハードローテーション
東 すごく刺激的な大学生活を送られたとのことですが、イギリスのリチャード・ハノン調教師のもとで働かれたそうですね。
中内田 はい。在学中のことなんですけど、大学にどこか馬に乗れるところを紹介してしてほしいとお願いして、毎朝学校に行く前に乗りに行ってました。2年半ぐらいですかね、結構長いことお世話になりました。
東 名馬がたくさんいる名門厩舎なんですよね?
中内田 今ではそうですけど、厩舎が突き抜けてきたのはその後ですね。僕がいた当時はGIを獲るような馬はあまりいなくて、2歳馬とか短距離馬では強かったです。
東 日本の馬作りとは違うこともあるのかなって思うのですが。
中内田 ありますね。特に違うなというのは、調教やレースの使い方が厳しい。とにかく鍛えて鍛えて、2歳馬でも連闘で4、5回ポンポンっと使ったりしてましたよ。
東 2歳馬がですか!?
中内田 ええ。それでも不思議と馬が応えるんですよね。こんな使い方しても馬は勝つものなんだなと思いました(笑)。日本で一緒のことをしたら、たぶん潰れてしまうでしょうけどね。
東 向こうの馬ってタフなんですね。
中内田 思ったよりもタフでしたね。向こうは競馬にシーズンがあるので、3月の後半から10月ぐらいまでに詰めて使い込むんです。その後に半年ポンと休むというスタイルなので、できることでもあるんでしょうね。
東 イギリスではみなさんそういう使い方をするんですか?
中内田 全然、全然! リチャード・ハノンだからできることでもあると思います。それで成功している方ですからね。そこでイギリスの競馬を学ばせてもらって、フランスのクリケット・ヘッドのところでも3、4か月ぐらいお世話になって、2000年にアメリカに行きました。
▲「イギリスの調教師みんながそういう使い方なわけではありません。リチャード・ハノンだからこそできたことです」
東 なぜアメリカだったんですか?
中内田 ヨーロッパの競馬は勉強できたので、次はアメリカの競馬を見てみたいなと。それとビザの問題もありまして。それで紹介してもらって、ロバート・フランケル厩舎へ行くことになったんです。
東 年間でGIを25勝するほどの超名門厩舎ですよね。
中内田 良血馬ばかり揃っている厩舎でしたね。そこを選ばせてもらったのは、ヨーロッパの実績馬でGIを獲っていたからなんです。しかも芝のレースに強いという。実際に行ってみたら、ヨーロッパでそんなに成績を挙げていない馬でGIを勝っていたので、その辺はやっぱりすごいなと思いました。
東 結果が出る秘密はなんだったんですか?
中内田 路線変更で活躍させることもあったんですけど、1頭1頭の特徴を見極めるのに特に長けていたと思います。血統とか過去の成績もすごく勉強する方だったんですが、何よりすごいのが、あれだけの調教師ですけど朝は絶対に厩舎に出て来て、1頭1頭の追い切りの指示を出すんです。追い切りって時計重視なんですけど、ちょっとでも時計が狂ったら激怒で。
東 厳しい方なんですね。
中内田 厳しかったです。自分の中で「これだけやれば競馬に行ける」というものを持っていたと思います。で、スタッフが一言でも余計なことを言おうものならまた激怒。僕がずっと調教を任されていた馬がいて、長期休み明けの追い切りの後に「どうだ?」って聞かれて、「うーん、1戦必要ですかね」って言ったんです。そうしたら僕には何も知らせず、レースが2週延ばされていました。結局そのレースは勝ったんですけど、「この人は簡単には使わないんだな」と思いましたよね。
東 勝てないなら使わない。
中内田 そうです。1戦必要と言ったということは、そこは勝てないということなんですよね。ものすごく勝ちを意識しているのと、勝てないレースには出さない。その辺はしっかり教え込まれました。
それに向こうはスクラッチができますからね。出馬投票しても、条件が合わなかったら止められます。エンパイアメーカーもデビュー戦を3回ぐらい延ばしてるんですよ。
東 3回もですか!?
▲エンパイアメーカーのデビュー戦が3回も延期になったエピソードにびっくり!
中内田 1回は最内枠が当たって。ベルモント競馬場って向正面からワンターンのコーナー2つのコースなんですけど、奥からのスタートで、そこに内馬場とのギャップがあって飛び込むかもしれないからって。もう1回は雨が降って、蹄が悪くなるって止めたんです。
東 妥協しないんですね。先生ご自身は、厩舎でどういうお仕事をされていたんですか?
中内田 日本で言う攻め専ですね。普段の調教から任されている馬が3、4頭いて、それ以外は全部追い切り。向こうは競馬が水曜日から日曜日まであったので、追い切りが毎日あるんです。多いときで1日に10頭ぐらい乗ってました。
東 10頭って…すごいです。
中内田 でも向こうの調教は軽くダクを踏んで、馬場を1周クルッと回ってくるだけなんです。時間にしたら10分か15分ぐらいで、次から次に回転させるような感じだったので、乗ってる分には全然苦ではなかったです。
東 エンパイアメーカーの名前も出ましたけど、ご担当されていたんですよね?
中内田 そうですね。デビュー前から乗っていて、普段の調教から任された時期もありますし、追い切りだけ乗っていた時期もありますし、その辺はいろいろでした。
東 日本でも種牡馬生活を送っていましたが、どんな馬でしたか?
中内田 とにかく頑固。調教中に止まるんですよね。走りたくないって、出入口のところでピタッと止まっちゃうんです。そこから1歩も動かない。
東 それは困りますね。そういう時はどうするんですか?
中内田 その時は帰ります。血統がそうなんですよね。あの上も全部フランケル厩舎にいたんですけど、上の子たちもみんなそうで。だから仕方がないかなって諦めてました(笑)。
東 産駒が厩舎にも入っていますが、その性格をそのまま受け継いでいるんですか?
中内田 うちの厩舎に入ってる馬はそこまで我は強くはないです。でもやっぱり、お父さんから受け継いでいるなっていう気配はありますね。でもまあ、わかってるだけに管理しやすいですし、大きな目で見られますね。それに昔関わっていた馬の産駒というので、感慨深いところはあります。
東 ちなみにこの時期にティンボロアやユーカーなど、フランケル厩舎の馬が続々と来日してジャパンCにも出走しましたが、これは先生が関わっていらっしゃったんですか?
中内田 いやいや、僕は何も。調教師が昔から日本に興味があって、ペイザバトラーでジャパンCも勝ってますからね。それで積極的に参加していたんです。
東 向こうでは先生が乗られていたんですか?
中内田 乗っていました。だからその時は、日本の馬ではなくうちの馬を応援させてもらいました(笑)。その当時、ジャパンCって向こうのテレビでは見られなかったんです。それで日本に電話して受話器をテレビの前に置いてもらって、音声だけで応援してました。
(次回へつづく)
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