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【減量復活】原田和真騎手(3)『理想と現実との差 落ちるところまで落ちた』

  • 2016年10月19日(水) 18時00分
今回は競馬学校時代やデビュー後の苦労した話をお聞きしました


前回、お父様の影響で競馬場に行っていた原田ジョッキーですが、当初は競馬が好きではなかったことを告白してくれました。しかし、乗馬センターに通うようになってからは、ジョッキーになるべく気持ちは一直線だったそうです。さらに、競馬学校時代やデビュー後の苦労した話をお聞きしました。
(取材・文/大薮喬介)


自暴自棄の自分を救ってくれたもの

――中学校時代は、勉強はしていましたか?

原田 自分が進む道を決めていたので、あまりしてなかったですね。母親が教育熱心だったのと、騎手になるのを反対していたので、いつもより点数が低いと怒られていましたけど。ただ、僕は勉強をしていい点数を取ることにステータスを感じなくなっていたので、怒られても勉強をすることはなかったですね。

――騎手になるために一直線だったわけですね。

原田 はい。これを逃したら、自分は一生家にいることになると思っていましたから。乗馬センターの中でも誰が受験をするかわかっていたので負けたくなかったですし、騎手試験も乗馬はセンスを見るだけで、未経験でも合格できることは知っていましたが、自分がアピールすることができるのは乗馬だけだったので、一生懸命に乗馬の技術を磨きました。

――その努力が実って、合格したわけですね。しかし、最近の若手騎手は空手をやっている方が多いですよね。今年デビューした藤田騎手、荻野極騎手、森裕騎手が空手を習っていたそうですし、騎手と空手は何か関係があるんですかね?

原田 どうなんでしょうね。他の人はわからないですけど、僕は空手をしていることで、辛抱強くなったのは良かったかなと思います。とにかく僕が通っていた道場は厳しかったですから。腕立て100回、スクワット100回、腹筋100回が準備運動ですからね。

――それはハードですねぇ。じゃあ、競馬学校に入っても辛くはなかったんじゃないですか?

原田 いやぁ、それが辛かったんですよね(苦笑)。

――辛抱強くなったのでは!?

原田 怒られてばかりでしたけど、精神的には大丈夫でした。トレーニングも厳しかったですが、やっている最中は大丈夫なんです。でも、当時の僕は筋肉が全然なくて、トレーニングした後にドッと疲れが出て、その疲れがなかなか取れないのがキツかったですね。やれと言われたことはこなせるんですが、その後の反動がすごくて(苦笑)。

――気持ちに対して体がついていかなかっただけで、ある意味、辛抱強かったのかもしれないですね。

原田 そうかもしれないですね。辛いと思うよりは、怒られているうちに何とかしないと、という気持ちのほうが強かったです。

――騎手学校での成績はいかがでしたか?

原田 だいたい順位は下のほうでした。

――よく乗馬と競馬はまったく違うと聞くのですが、乗馬の経験はあまり関係がなかったのですか?

原田 そんなことはないと思いますよ。乗馬にしても競馬にしても、さまざまなタイプの馬に乗って、このタイプの馬はこの扶助に対して、どう動くかということを知っていることはすごく大事だと思います。

――人間と同じで、馬もさまざまなタイプの馬がいると。

原田 はい。だから、たくさん馬に乗って、たくさん考えて、経験を得ていくことがすごく大事なんじゃないかと思います。

――経験が大事なんですね。

原田 経験をしているからといって、固定観念で決めつけるのも良いことではないんですよね。だから、前に乗ったことがある馬と似ているなと思い出す程度で、いつでも対処できるようにしておいて、その時の感覚も大事にしつつ騎乗するのが理想です。

――なるほど。ちなみにデビューした時の目標、何て言ったか覚えていますか?

原田 よく覚えていないですが、確か新人賞を獲りたいとか、100勝したいとか、そんなことを言っていたように思います。今考えると、恥ずかしいですよね(苦笑)。

――いやいや(笑)。実際、デビューされていかがでした?

原田 勝ち負けとか、稼ぐとか、もうその次元ではなかったです。土日に競馬に乗るのがどれだけ大変かを思い知らされましたね。競馬学校って、競馬に乗った時のことは教えてくれますけど、乗る以前のことは教えてくれませんから。まぁ、それは自分で何とかしろってことなんでしょうけど、実際、乗る以前のことがもっとも重要なんじゃないかと思いますね。

――競馬に乗ることがどれだけ大変かってことですよね。

原田 はい。レースに乗っていなくても、レースの乗り方や流れ、その他もろもろの考え方などは口で説明できますし、頭でも理解できるんです。でも、競馬に乗っていないと、いざという時に体が動かないんですよね。レースに乗ること自体がとても貴重な経験で、それと同じような経験や知識を得るような練習がないんです。本当に、競馬に乗ることってすごく重要なんですよ。

――それはジョッキーにしかわからないことですよね。では、デビュー後はかなり苦労されたわけですか。

原田 いやぁ、もう腐りもしましたし、落ちるところまで落ちたなと思ったこともありました。最終的には、これは考えても仕方がないということだと思うようになりましたね。

――一番キツかった時期はいつ頃だったんですか?

原田 1年目は(天間)先生の看板もあって、それなりに騎乗もありましたし、がむしゃらだったので、考える余裕がなかったんです。キツかったのは2年目ですね。1年目の年末あたりから、騎乗が減ってきて。その時はまだ競馬学校を上がってきた頃の向上心があったんですが、それが空回りして、理想と現実との差がどんどん開いていったので、すごく落ち込みました。

――先ほど言っていた落ちるところまで落ちたと。

原田 ええ、あの頃は人当たりも悪くなって、誰の言うことも耳に入らない状態でした。自分の反省を見つけようとせずに、「頑張っているのに、なぜ乗せてくれないんだ」と思ってしまって、もう自暴自棄になっていました。

――ちょうどその頃ですよね、障害に騎乗するようになったのは。

原田 そうですね、2年目の頃に先生から乗ってみないかと言われて騎乗するようになりました。正直、その時はあまり乗り気ではなかったんです。競馬学校時代も「障害には乗らない」と思っていて。だけど、その考え方自体が間違いだったんですよね、本当に思い込みで判断してはダメです。障害も平場も同じレースですし、障害専門のジョッキーもいるわけですから。僕は障害レースに救われたんです。障害に乗るようになってから、(障害と)平場とセットで乗せてくださいと営業をするようになって、平場の騎乗数も少しずつ増えていきましたから。
(次回へつづく)
キシュトーーク

僕は障害レースに救われたんです

元祖「キシュトーーク」のレギュラー陣、国分恭介、国分優作、松山弘平、川須栄彦、高倉稜を中心に、栗東・美浦・地方からも幅広く、これからの競馬界を担うU25の若手ジョッキーたちが登場します!

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