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【障害GI連覇へ】石神深一騎手(3)『現状からの脱却 デビュー7年目での障害挑戦』

  • 2016年11月21日(月) 12時01分
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▲今週は石神騎手の騎手人生について。“引退”の二文字がよぎった時代から、GIジョッキーとなるまでの軌跡に迫ります


前回まではオジュウチョウサンと制した中山GJの話を中心にお聞きしてきましたが、ここからは石神騎手ご自身の話へと移っていきます。デビュー16年目でのGI制覇となった中山GJですが、そこに至るまでには騎手としての挫折も味わいました。減量がなくなり、所属厩舎が解散。年間勝利が一桁という年が続きました。“引退”の二文字もよぎるなか、騎手を続けるために決断したのが障害への挑戦。苦しい時代を乗り越えた今だから話せる思いとは。(取材:赤見千尋)


(前回のつづき)

障害には力も必要、トレーニングもしたし体の柔軟にも努めました


赤見 ここからはご自身のお話をお聞きしていきたいのですが、そもそも騎手を目指したきっかけというのは?

石神 やっぱり、父がジョッキーだったというのが一番ですね。

赤見 元JRA騎手の石神富士雄さんですよね。そうすると、早くから騎手になろうと決めていたんですか?

石神 乗馬を始めたのは小学5年生の時なんですけど、その時はまだはっきり決めていたわけではなくて。馬ってなかなか、思い通りに動いてくれないんですよね。「右に行け」って言っても行かないし、「前に行け」って言っても進まないし。中学1年生ぐらいになってようやく、自分の思った通りに馬を動かせるようになってきたんです。そこでおもしろいなと思えるようになって、そこからですね、馬に乗る仕事に就きたいなと思い始めました。

赤見 反対はされなかったんですか?

石神 父からですか? されなかったです。むしろ、何も言われなかったですね。勧められてもないし、反対されてもない。「お前がやりたいなら、やってもいいんじゃないか」って、それだけです。毎日乗馬に行ってたんですけど、乗るのはもちろん、馬の世話をしたり、先生が乗ってるのを見たりすることも楽しかったですね。

赤見 競馬学校の17期生ということで、同期は結構いらっしゃいますね(大庭騎手、川島騎手、小坂騎手、難波騎手、平沢騎手、蓑島騎手ら)。

石神 改めて見ると、障害ジョッキーが多いですね。大庭も今年からまた乗り始めましたしね。みんな辞めないで頑張ってます。

赤見 今でも仲は良いんですか?

石神 仲は良いですね。ローカルで会うことも多いので、一緒にご飯食べたり、みんなで旅行に行ったりもします。平沢は弱いんですけど、みんなお酒も飲みますしね。平沢は向こうに行ってすごく頑張っていて(2013年4月1日付で美浦から栗東へ所属変更)、特に今年は成績も残しているので、そういう姿を見ると刺激になります。「同期には負けられないな」って思いが出てきますね。

赤見 大事な仲間ですね。2001年にデビューして12勝、2年目が17勝、3年目が13勝。順調なスタートだったと思うのですが、ご自身で当時を振り返るといかがですか?

石神 んー、順調と言えるのかどうか…。もうちょっと結果を出せたんじゃないかなって、今では思います。師匠の成宮先生がたくさん乗せてくださったので、そういう環境に甘えていた部分もあったと思いますし、調子に乗っていたのかもしれないですね。

赤見 今改めて考えてみると?

石神 はい。そんなに努力もしてなかったですしね。騎手になったことがゴールだと思っていたんだと思います。そこからがスタートだって思えていたら、もっと努力もして、結果も出せたんじゃないのかなって。(当時は)3年で減量が無くなって、成宮先生の引退もあって(2006年2月28日)、だんだんと現実が厳しくなっていきますよね。

赤見 その2006年の勝ち星は5勝でした。

石神 平地で乗って行くのが厳しくなっていって、障害という道も考え始めたんです。そのきっかけをくださったのも、実は山本(康志)さんで。「障害に乗りたいなら教えてやる、馬も回してやるぞ」って言ってくださって。山本さんの手助けがあって、練習に乗せてもらえるようになって、競馬にも乗せてもらって。本当に感謝しています。

赤見 まさに恩人ですね。平地と障害では技術的にも違うと思うのですが、デビューから一度も乗っていない障害に挑戦するのは、大きな決断だったんじゃないですか?

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▲「デビューから一度も乗っていない障害に挑戦するのは、大きな決断だったんじゃないですか?」


石神 技術的にやっぱり、力も必要だなというのは痛感しました。それでトレーニングを始めましたし、関節や体の柔軟さも大事なのでストレッチをしたりして。障害自体にはずっと興味はあったんです。ただ、師匠が心配して。やっぱりデビューしたばかりだし、怪我も多くて危ないからって。危険なのは事実ですし、そういう面でも簡単には決断できないなとは思いました。ただ、平地での稼ぎが無くなってきて、騎手自体を続けられるかということまで考えた時に、「騎手を辞めたくない」と思ったんです。

赤見 騎手を辞める道、続ける道、どちらも考えたんですね。

石神 どちらも考えました。その時には子どももいたので、助手になって安定した収入がある方が家族のためにもなるのかなって。嫁の前でそういうことをぽろっともらしたんです。そうしたら「辞めない方がいいよ。辞めたら後悔するから続けた方がいいんじゃない」って言ってくれて。それで、踏み止まったんです。

赤見 素敵な奥さんですね。なかなか言えないことです。

石神 僕も正直びっくりしました。普段はあまりそういう事を言わない方で、僕の考えを尊重してくれるんですけど、その時は珍しく反対されて。そうやって言ってくれたので、「騎手を続けよう。これは頑張らなきゃいけないな」って思いました。

赤見 その言葉がなかったら、このGI勝利もなかったかもしれないですね。GIを勝った時は、奥さんにどんな言葉をかけたんですか?

石神 えっ、何だっただろう…(笑)? そういうのをあまり表に出さないというか、普段ほとんど競馬の話をしないので。当日競馬場には見に来てたんですけど、子どもたちが1番うれしそうでした。今年、長男が乗馬を始めたんですよ。

赤見 おいくつですか?

石神 11歳です。だから余計に、かっこ悪いところを見せたくないという思いも強くて。正直、あまり乗って欲しくなかったんですけどね。

赤見 騎手を目指してるんですか?

石神 うーん、やりたいとは言ってます。単にまだナメてると思うんですよね。「親父が乗れるんだから、俺にも乗れるだろう」って。そんなに甘い世界ではないですからね。

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▲「そんなに甘い世界ではないですからね」騎手を目指している長男へ、親としての思いを語る石神騎手


赤見 一見すると華々しい世界ですもんね。しかも、お父さんがGIを勝ったところを目の前で観たら、やっぱり憧れは強くなると思います。

石神 たしかにあの時は、インタビューとか表彰式とか華やかだなって僕も思いました。テレビにも出られますしね。でも、辛い思いもするし、痛い思いだってします。一歩間違えば、命にも関わってきますからね。騎手に復帰できない人を何人も見てきましたし、やっぱり心配はあります。だからやるなら生半可な気持ちではなく、きちんとした覚悟を持ってやってもらいたいと思っています。

(次回へつづく)



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※受付は終了しました。たくさんのご応募ありがとうございました。

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東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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