▲武豊騎手のGI完全制覇、“タガノ”のGI初制覇の期待を背負うタガノアシュラ(写真は前走の黄菊賞優勝時) (C)netkeiba.com
15年前、ひとりの地方競馬の騎手が、遠征先の阪神競馬場でJRA馬の強さに打ちひしがれた。JRAへ騎手としての移籍ではなく、馬づくりから携わりたいと思い20代半ばで騎手を引退した。現在は、大手馬主系列牧場で調教主任を務める。そして彼が携わったタガノアシュラが今週末、阪神競馬場で武豊騎手を背にGI・朝日杯FSに出走する。牧場という側面から携わる宇治田原優駿ステーブル調教主任の青山裕一氏に騎手から現在に至るまでの経緯や、タガノアシュラについて聞いた。(取材・文:大恵陽子)
引退予定の馬で重賞3勝
タガノアシュラは前走・黄菊賞で、ブエナビスタの初仔コロナシオンなど良血馬がいる中、逃げ切り勝ちを収めた。
「この世代で一番期待していた馬なんです」 そう語るのは宇治田原優駿ステーブル調教主任の青山裕一氏。タガノアシュラのオーナー系列牧場で、冠名「タガノ」の馬を中心に調教を取り仕切っている。
11年前までは地方競馬の園田・姫路で騎手をしていた。地元で重賞も勝ったが、20代半ばにして騎手引退の決意をした。それは、JRA遠征で馬の力の差を感じたことがきっかけだった。
「折り合いのつく園田の馬での遠征だったので、芝2000mがいいだろうとエリカ賞に出走したんです。ところがスタートからいきなり離されていって、折り合うどころか追っ付け通しだったんです。レース前は『着は拾えるんじゃないか』と思っていたのですが、大きく離れた最下位でした。どんだけ離されてまうんやろ…と思いましたね」 希望を胸に挑んだJRA遠征は、これまで味わったことのない衝撃に襲われた。
約半年後、再びJRA遠征のチャンスが巡ってきて、リベンジに燃えた。
「今度は道中もいい感じに運べて、脚をためることもできました。でも手応えが良すぎたことで舞い上がって、小回りの園田競馬場の感覚で3コーナーから仕掛けてしまったんです。最後は止まってしまい、11着。自分の経験のなさと甘さを感じました。この頃からJRAってすごいなと意識するようになったんです」 のちにJRAに移籍する小牧太騎手、岩田康誠騎手、赤木高太郎騎手が園田・姫路で上位を張っていた頃だった。
「俺は騎手としての実績がなかったから、JRAで調教助手になって強い馬づくりをしたいと思いました」▲元園田ジョッキーの青山裕一氏、JRA馬の強さを目の当たりにしたことが人生の転機に(撮影:大恵陽子)
当時は地方競馬で騎手経験があってもJRAで厩務員や調教助手になるには、基本的に牧場での勤務経験を積んだのち、JRA競馬学校厩務員課程に入学する必要があったという。
「そのために宇治田原優駿ステーブルで働き始めたんです」 働き始めて間もなく、
「こんないい馬、園田で乗ったことないわ!」と驚く馬に出会った。
タガノインディーという7歳の牡馬は、JRAから南関東に移籍したものの勝ち星を挙げられず、脚元に不安もあったため引退の話が持ち上がっている馬だった。
「最後に園田で走らせてもらえませんか?」 オーナーにお願いし、かつて自身が所属し世話になった厩舎へ預けてもらった。すると、わずか半年の間に地元重賞3勝を挙げる大活躍をした。