◆日本人の篤い心が寄付を生むことを願う 往年の名騎手リチャード・ダンウッディ(53歳)による、日本を舞台としたチャリティ・ウォークが、来週の月曜日(2月27日)にスタートする。出発地点は、九州本島の最南端にあたる佐多岬で、九州、本州、北海道を徒歩で踏破し、日本の本土最北端となる宗谷岬まで、2000マイルの旅になる予定だ。
目的は、Sarcoma(=肉腫)と称される、骨や軟骨といった組織に発生する癌に対する、研究と治療のための財源確保である。リチャード・ダンウッディの甥にあたるジョージ・ダンウッディさん(21歳)が、肉腫と診断されたのは、今から1年半ほど前のことだった。ボートの選手として2014年の世界ジュニア選手権に英国代表として出場したほど、壮健な肉体を誇っていたジョージさんだったが、15年8月に体の不調を訴え、診断の結果、肉腫に侵されていることがわかり、競技生活続行を断念。以降、抗癌剤及び陽子線を用いた治療が行われている。
若くして癌との闘いを強いられることになった甥の姿に、リチャード・ダンウッディは居ても立ってもいられなくなり、何か行動を起こさねばと考えた末、チャリティ・ウォークの実行を決意したのだ。
18歳となった82年にアマチュア騎手としてデビューし、2年後の84年にプロに転向したダンウッディは、更にその2年後の86年にウェストトリップに騎乗してグランドナショナルに優勝し、トップジョッキーの仲間入りを果たしている。88年には、チャーターパーティーに騎乗してチェルトナムゴールドCに優勝。20世紀終盤に現れた障害の名馬デザートオーキッドとのコンビで、キングジョージ6世チェイスを連覇したのは、89年・90年のことだった。
92/93年シーズンに、待望の初リーディングを獲得すると、93/94年シーズン、94/95年シーズンと、3季連続でリーディングの座に君臨。この間の94年には、ミネホーマに騎乗して2度目のグランドナショナル制覇を果たしている。落馬の後遺症で首と右腕の関節が思うように動かなくなり、98年をもって現役を引退。積み上げた1699という勝ち星は、英国の障害騎手としては当時の最多記録だった。
引退後は写真家を本業としているダンウッディだが、実はこれまでも何度か、チャリティ目的の冒険を敢行し、成功を収めている。08年にはアメリカ人冒険家のダグ・ストゥープとともに、700マイルという距離をスキーと徒歩で進み、48日間を掛けて南極に到達。翌09年には、ニューマーケットのバリーロードを往復しながら、1000時間で1000マイルを歩くチャリティ・ウォークを敢行。レスター・ピゴット、トニー・マッコイ、フランキー・デトーリ、更にはシェイク・モハメドまでが、部分的に参加したこのイベントは大きな話題を呼び、総額で15万2千ポンドもの寄付を集めることに成功している。
今回、ウォークの舞台に日本を選んだのは、トラベルライターのアラン・ブースが書いた「The Roads to Sata(佐多への道)」という本に感銘を受けたからだという。2年ほど前に、来日して佐多岬を歩くという長年の夢をかなえ、その美しさに驚嘆し、再度来訪する機会を待ちわびていたそうだ。
27日にその佐多岬を出発し、1日20マイルから30マイルを歩いて、予定では3月18日に北九州に到達。その後本州に入り、4月2日に大阪、その後は中山道を通って、4月22日に東京、5月18日に青森、5月28日に札幌、そして6月10日に目的地の宗谷岬に到達するスケジュールとなっている。宿泊は、民宿や旅館を予定しているが、そうした施設のない地域もあることを想定し、野営用のテントも持参する予定だ。
そして、いつ、どこで、になるかは現在のところ未定だが、15年に引退した歴代最多勝障害騎手のトニー・マッコイが来日し、ダンウッディと一緒に歩くことが計画されているという。マッコイとダンウッディの2ショットが日本で実現するだけでも、競馬ファンにとっては大変なことで、何とかタイミングを見つけて筆者も、その場に駆けつけたい心境である。ダンウッディのチャリティ・ウォークに賛同し、寄付を行いたいという方は、下記のウェブサイトが窓口となっている。
https://www.justgiving.com/fundraising/Japan4SarcomaUK※外部サイトにリンクします
チャリティ・ウォークが完遂し、日本人の篤い心がたくさんの寄付を生むことを、願ってやまない。