以前、同期の荻野極騎手に出演していただいた際、「菊沢は、同期の中で一番探求熱心です」とおっしゃっていました。まさにその通りの人物で、レース前の準備も徹底しています!
(取材・文/大薮喬介)
失敗こそが一番の近道
――レース前に心がけていることはありますか?
菊沢 毎週のことだと、自分が騎乗するレースの出走メンバーを研究しています。相手のレースも見て、スタートしてどのくらい行けるかなどを出馬表が出てから予想して、それから新聞と照らし合わせて、どういう隊列になるかを考えます。あとは、自分のコンディションが万全でないと、いざレースの時に体が動かない場合があるので、硬くなりやすい箇所を入念にストレッチしたり、レース前はあまり胃に残らないような物を選んで食べたりしています。今はそういったレースに行くまでの準備を大切にしていますね。
――それはデビュー時から行っていることなんですか?
菊沢 それが…デビューした頃は好きな物を食べて、ストレッチもせずにそのまま競馬に行っていました(苦笑)。でも、それではダメだということがわかりましたから、先輩方のやり方を学びながら、自分もコンディションを整えるようになりましたね。今はそれをルーティンにするよう心がけています。マイアミ・マーリンズのイチロー選手が好きで、結構本を読んだんですよ。あのイチロー選手でさえ、失敗したことが何度かあるみたいで、“失敗こそが一番の近道”ということを本で書かれていたんですね。今でも自分が試していることに対して不安になることもあるんですが、無駄なことが、後々無駄ではなくなるんだと思うようにして取り組んでいます。
――デビューした頃とは取り組み方がまるで違うわけですね。
菊沢 違いますね。いろいろ試してみて、結局元に戻ることもあります。それこそ競馬学校時代に教えていただいたことが、今わかるというか。逆にちょっと前まで正しいと思っていたことが、間違っていたと思うこともあります。本当に今は日々、考えて、反省して、気づかされることばかりです。
――そういえば以前、同期の荻野極騎手に出ていただいた時、菊沢騎手は探求熱心だとおっしゃっていましたが、まさにその通りですね。
菊沢 その回、読みました! 極は褒めてくれていましたけど、それがマイナスになることもあるんですよ。考えすぎたり、試行錯誤しすぎて、予想とは違った時に上手く対応できないこともありましたから。ただ、今はそういったことをトレーナーさんに客観的に見ていただいて意見していただけるので、ゲートを出てから臨機応変に対処できるようになってきました。
――1年目はほとんどが中央開催での騎乗でしたね。
菊沢 はい。間近で一流騎手の乗り方を見たかったので、(菊沢)先生にお願いして、中央で乗せていただきました。騎乗依頼をくださった馬主の方々や調教師の方々には、本当に感謝しています。
――今年も中央開催中心になりますか?
菊沢 いえ、今年はローカルを中心になると思います。中央開催よりもチャンスのある馬に騎乗できる機会が増えますし、ローカルはローカルで勝つことが難しいので、今年はそのあたりを勉強したいと思っています。例え力が劣っている馬だとしても、少しでも上の着順に持ってこれるように頑張ります。
――好きな競馬場はありますか?
菊沢 どの競馬場も好きですが、思い出のある競馬場でいえば、初勝利をあげた東京競馬場です(5月7日東京1R・ジョリガーニャント)。直線の長いコースなので、追い込んで勝った時も気持ちがいいですから。
――夏の新潟で後方から追い込んで勝ったタカラジャンヌ(8月27日新潟12R)も鮮やかでしたよね。
菊沢 あの馬も難しい馬で、レース前に藤原先生から「馬の耳を見て、気分を害さないように乗ってこい」とアドバイスをいただいたので、そこを意識して騎乗したら、直線でスゴイ脚を使ってくれました。勉強になりましたし、あのレースは一番気持ちがよかったですね。
――ということは、追い込みタイプが好き?
菊沢 追い込みも気持ちがいいですし、理想は好位につけることだと思いますが、好みでいえば逃げです。4コーナーを先頭で立つと“よしっ、行くぞ!”と気合が入りますし、逃げが一番ペース判断が難しいと思うんです。展開をコントロールできるのも逃げている馬にしかできないことですし、そういったことも含めて好きですね。
展開をコントロールできるのも逃げている馬にしかできないことですし、そういったことも含めて好きですね
――でも、好きな東京競馬場で逃げるのは難しくないですか?
菊沢 そうですね。でも、ダートだとパサパサの乾いた馬場だったら、案外差しが決まりにくかったりするので、前が残ったりします。それにペースも必然的にゆるむので、前が有利になることもあります。
――ああ、確かにそうですね。
菊沢 ある先輩ジョッキーが、“逃げはリスクもあるけど、その分、いろいろなことができる”ともおっしゃっていました。実際、僕が初勝利をあげた時は逃げですから!
(次回へつづく)