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【北村友一×藤岡佑介】第1回『500勝の裏には6000回の負けがあって…』

  • 2017年03月08日(水) 18時01分
with 佑

▲兄のように慕う佑介騎手の前で見せる本当の“北村友一”とは――


2月12日に小倉でJRA通算500勝目を達成した北村友一騎手。弟のように可愛がっている佑介騎手は、インタビューを聞いて、成長に目を細めたと言います。“ネクストブレイクジョッキー”と佑介騎手が言うように、熱のこもった騎乗で勝ち星を量産中。その一方、あまりメディアに出ないだけに、“あの一件”のイメージもいまだ強いのでは? 佑介騎手の前で見せる本当の“北村友一”に迫ります。(取材・構成:不破由妃子)


乗れば乗るほど、1頭の馬に乗せてもらえることの重みがわかってくる


佑介 友一、今日はよろしくお願いします。

北村 はい! それにしても、ミルコのあとが僕って…。落差が激しすぎませんか(笑)? そもそもnetkeiba怖いし(苦笑)。

佑介 大丈夫だよ。コラムのページにはコメント欄がないから(笑)。

北村 あ、そうなんですね。僕はどうやら、ファンには乱暴な人間だと思われているようなので…。また何か言われてしまうんじゃないかと。

佑介 確かに友一はあまりメディアに出ないから、“あの一件”以降、大半の人には超暴れん坊だと思われているかも(笑)。

北村 そうですよねぇ。でも今日は、「北村(机)」のイメージを払拭するいい機会だと思っています。よろしくお願いします!

佑介 こちらこそ。友一はすごく“自分”というものをしっかり持っているジョッキーだし、そのあたりを伝えられたらと思って。その前に、まずは500勝おめでとう!

北村 ありがとうございます。藤岡先輩にはゼッケンを持っていただいて。

佑介 「コイツ、めっちゃいいこと言うやん!」と思いながら、後ろでインタビューを聞いてたよ。インタビューの最初、「ん〜」て一瞬考えて、なかなか言葉が出てこなかったけど、あの間はどういう心境だったの?

北村 いや、とくに意味は…(苦笑)。レース後の取材などでも、答えるまでに少し間が空いてしまうんです。だからといって、何かを考えているわけではなく…。癖ですね。

佑介 そうなんだ。あの「ん〜」には想像力を掻き立てられた人も多かったと思うよ。

北村 すみません(笑)。至っていつもの僕でした。

佑介 それにしても、友一はだいぶ変わったよね。500勝のインタビューを聞きながら、改めて「しっかりしてきたなぁ」と思った。ハマ(浜中俊騎手)とかもそうだけど、メディアのインタビューを通して後輩の成長を感じることがすごく増えたよ。「表立っては500勝ですけど、その裏には6000回の負けがあって…」というのも、すごくいい言葉だったね。

北村 それは本当にそう思うんです。乗れば乗るほど、年を取れば取るほど、1頭の馬に乗せてもらえることの重みがわかってきて。感謝の気持ちが大きくなってきたからこそ、自分の技術や成績ももっともっと上げていきたいとすごく思います。こんな気持ちになるなんて、僕も年を取ったんですねぇ。

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▲「感謝の気持ちが大きくなってきたからこそ、自分の技術や成績ももっともっと上げていきたいと」


いまだに大きい“サンライズプリンス”の存在


佑介 まだ30歳やろ(笑)。

北村 そうですけど(笑)。藤岡先輩は早生まれで、僕が一度競馬学校の試験に落ちたこともあって、期としては2期後輩ですが、生まれ年は同じ(1986年)なんですよね。藤岡先輩には、デビューした頃からずっと面倒を見ていただいてますから、今となっては、なんか本当に“お兄ちゃん”のような(笑)。本当に心から悩みを打ち明けられる存在です。

佑介 普段からいつも一緒にいるわけではないけど、友一とは要所要所でいろんな深い話をしてきたよな。今でも覚えているのが、2年目の夏に友一がフリーになったときのこと。

北村 あのときも藤岡先輩にはいろいろ話を聞いてもらいましたよね。

佑介 それまでは正直、子供っぽいイメージだったんだけど、あのときは友一が本当に危機感を感じているのが伝わってきたよ。早くにフリーになるのがいいとは言わないけど、今となっては、早いうちにそういう経験をして良かったんじゃない?

北村 そうですね。自分の置かれた状況を冷静に考えられるようになったというか。

佑介 (川田)将雅もそうだったけど、大事なのはそこからどう這い上がっていくかだもんな。その点、将雅も友一もフリーになった年に勝ち星がグンと伸びて。

北村 僕の場合は、音無先生に声を掛けていただいたおかげなんです。フリーになった直後、北海道でたまたま音無厩舎の馬に乗っていて、そのときに先生が「(栗東に)帰ったら攻め馬するとこあるのか?」って。「いえ、何も決まっていません」と答えたら、「じゃあ、ウチを手伝うか?」と言ってくださって。今思えば、そこで先生に声を掛けていただいたことがすごく大きかったですね。

佑介 で、3年目にはシェーンヴァルト(岡田厩舎)で重賞(デイリー杯2歳S)を勝って、皐月賞(4着)、ダービー(6着)にも出走した。

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▲初重賞勝利となったシェーンヴァルトでのデイリー杯2歳S (C)netkeiba


北村 あの馬はよく覚えています。函館の調教で跨ったのが最初だったんですけど、乗った瞬間、重賞を勝ったことがなかった僕ですら、「この馬は重賞を勝てる」と思いましたからね。そうそう、その前の年だったかな、シルクネクサスでオールカマーを2着したとき、藤岡先輩に「友一、バッチリだったな」って褒められたのを覚えてます。

佑介 マジで? それは覚えてない…(苦笑)。

北村 藤岡先輩は、本当にいつもちゃんと見ていてくれるから。それでまたジャッジが正確だから、いまだに勝ったときも負けたときも藤岡先輩の顔が思い浮かびますよ。

佑介 そうなんや(苦笑)。友一が乗った馬で、俺が一番印象に残っているのはサンライズプリンス(音無厩舎、2010年、北村騎手の手綱で3歳新馬、ビオラ賞を連勝)だな。

北村 あ〜、あの馬もめっちゃいい馬でしたね。いまだに「これまでに乗った馬のなかで、一番乗り味が良かった馬は?」と聞かれたら、答えは決まって「サンライズプリンス」です。

佑介 明らかに初めてGIを意識した馬だろうし、いろんな意味で友一に大きな影響を与えた馬なんじゃないかなって。

北村 そうですねぇ。スプリングS(4着)で出遅れて、皐月賞の権利を取れなくて…(次走、横山典騎手に乗り替わって、ニュージーランドTを勝利)。自分でも自信がありましたし、皐月賞にも行けると思っていたから余計なんですけど、出遅れた瞬間、頭が真っ白になり、その後の組み立てもチグハグになって脚を余して…。しかも4着ですからね。あれはものすごく悔しかったです。その後、馬主さんも悔しがっておられたと聞いて、レースに対する重みや責任の大きさというものを今まで以上に痛感しました。

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▲横山典騎手に乗り替わってのニュージーランドT、その悔しさはいまだ忘れられないという(撮影:下野雄規)


佑介 そういう馬で、GIまで手綱を取り続けられなかったという経験は、当人にとってはもちろんつらいことだけど、成長するために必要な経験というか、友一はこれを乗り越えることでまたステップアップするんだろうなと思って見てたよ。叶わないことだけど、そういう馬には今の自分の状態と技術でもう一度乗りたいよな。

北村 はい、乗りたいです。あの馬に出会ったことで、もっともっと上手くなりたいという気持ちが強くなりましたからね。

佑介 俺から見ても、あのあたりから友一の技術に対するストイックさが増していったような気がする。もっともっと高めてやろうっていう意欲が、周りの俺たちにも伝わってきたよ。

(文中敬称略、次回へつづく)
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JRAジョッキーの藤岡佑介がホスト役となり、騎手仲間や調教師、厩舎スタッフなど、ホースマンの本音に斬り込む対談企画。関係者からの人望も厚い藤岡佑介が、毎月ゲストの素顔や新たな一面をグイグイ引き出し、“ここでしか読めない”深い競馬トークを繰り広げます。

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1986年3月17日、滋賀県生まれ。父・健一はJRAの調教師、弟・康太もJRAジョッキーという競馬一家。2004年にデビュー。同期は川田将雅、吉田隼人、津村明秀ら。同年に35勝を挙げJRA賞最多勝利新人騎手を獲得。2005年、アズマサンダースで京都牝馬Sを勝利し重賞初制覇。2013年の長期フランス遠征で、海外初勝利をマーク。2018年には、ケイアイノーテックでNHKマイルCに勝利。GI初制覇を飾った。

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