▲父親は競馬学校の元教官、双子の弟は装蹄師 平沢騎手自身の生い立ちをたどる
障害の春の大一番・中山グランドジャンプを終えて…今週は、平沢騎手自身の生い立ちをたどっていきます。父親が競馬学校の元教官、双子の弟が乗馬の装蹄師という馬に携わる一家。特に弟の康治さんとは「一卵性だと聞いているんですが、二卵性としか思えない」と言うほど似ていないそうで? 康治さんだけが先に競馬学校の試験を受けたといういきさつも語ってくださいました。(取材:東奈緒美)
(前回のつづき)
双子で同じ職業に就くのは嫌だった(笑)
東 ここからは、平沢騎手ご自身についていろいろとお聞きしていきたいと思います。ご出身は千葉県で、今35歳。まずは競馬の世界を目指したきっかけから教えてください。
平沢 父親が競馬学校の教官をしていたので、小さい頃から乗馬をしていたんです。でも、当時は全然面白くなくて、いやいや馬に乗っていた感じで(苦笑)。ただ、成長するにつれて、何でもいいから馬に携わる仕事をしたいなと思うようになりました。
東 そうだったんですね。そのなかで騎手を選択されたと。
平沢 双子の弟がいるんですけど、中学3年生のときに、まずは弟が競馬学校の試験を受けたんです。
東 平沢さんは一緒に受験されなかったんですか?
平沢 はい。双子で同じ職業に就くのは嫌だったので(笑)。弟は試験に落ちてしまって高校に行ったんですけど、身長がどんどん大きくなってしまったんです。それで、じゃあ今度は僕が受けてみるかと。今考えると、けっこう安易な感じですよね(笑)。
東 お父さまと弟さんは、今現在、どんなお仕事をされてるんですか?
平沢 父はもう隠居していて、弟は乗馬の装蹄師をやっています。
東 乗馬と競馬の違いはあれど、同じ馬の世界にいらっしゃるんですね。弟さん、平沢さんが競馬学校の試験に受かったときは悔しかったでしょうね。
▲「弟さんも騎手を目指していたなら、平沢さんが競馬学校の試験に受かったときは悔しかったでしょうね」
平沢 いや、弟はすでに体が大きくなっていたので、逆に落ちてよかったと思っていたんじゃないですかね。
東 確かに、受かったら受かったで、減量で大変な苦労をされたかも。
平沢 間違いなく大変だったと思います。今ではおそらく、障害ジョッキーの斤量もクリアできないでしょうから。身長は170?くらいなんですが、体重はたぶん70キロ以上あって、とにかく全部が筋肉というくらいにゴツイんです。
東 平沢さんも、ジョッキーのなかでは背が高い(165?)ほうですものね。
平沢 まぁそうですけど、弟とはそもそも骨格からして全然違うんですよね。体型だけではなく、顔も性格もどう見ても似ていない。親からは一卵性だと聞いているんですが、僕からすると二卵性としか思えない(苦笑)。
東 なんだか神秘的なお話(笑)。
平沢 僕は一応、筋トレをしているじゃないですか。弟は、トレーニングはとくにしていないのに、蹄鉄を持ったり馬の脚を持ったりといった仕事だけで筋肉が付いてしまう。腕相撲をしても、弟はビクともしませんからね。絶対にケンカしたくないです。100%負ける(苦笑)。
東 完全降伏ですね(笑)。ご家族として、応援はしてくれていますか?
平沢 応援というか、「お互いにもっと稼げればいいね」という話をたまにしたりします。弟は弟で装蹄師として頑張って、僕は僕で乗り役として頑張って。
デビュー3年目に初めて障害レースに騎乗
東 素敵なご関係ですね。では、話を戻しまして、競馬学校時代のお話を伺っていきたいのですが、どんな思い出がありますか?
平沢 ん〜、あまり記憶がないというか(苦笑)。同期とは今でこそ仲がいいですけど、当時はそうでもなかったですし…。
東 一匹狼的な存在だったんですか?
平沢 よくいえばそうなりますけど(苦笑)。競馬学校時代はとにかく減量がきつかったので、自分自身にまったく余裕がなかったし、ひたすら汗取りをしていた思い出しかないですね。僕ね、けっこういろんなことを忘れちゃうんですよ。
東 そうなんですね(笑)。2001年に美浦の稗田研二厩舎からデビューされたわけですが、では当時のこともあまり…?
平沢 ん〜、あまり覚えてない(苦笑)。というか、毎日必死だったので、自分のことが見えていなかったのかもしれません。ただ、稗田先生がものすごく優しい先生だったこと、初騎乗は自厩舎のトーセンスピリッツというすごく乗りやすい馬で、3着にきたことはよく覚えています。
東 初年度は4勝、2年目は1勝と厳しいスタートになったわけですが、そんななかで3年目に初めて障害レースに騎乗されて。減量が取れるタイミングでもあったと思うのですが、何かきっかけがあったのですか?
平沢 もともと乗馬をやっていた頃から障害のほうが好きだったということもありますが、何より平地で乗るのが厳しくなってきていたので…。障害に乗るか、引退するかという状況でしたから、だったら障害に乗ってみて、それでもダメなら引退せざるを得ないなと。
東 選択を迫られたという現実もあるのでしょうが、それ以前に、もともと障害が好きだというベースがあったんですね。
平沢 そうですね。やっぱり障害のほうがシンプルで面白いので。
▲「乗馬をやっていた頃から障害のほうが好きだった、障害のほうがシンプルで面白いです」
東 具体的にどういったところに面白さを感じますか?
平沢 たまに馬の動きと自分の扶助がピタッとハマることがあるんです。そういうときは本当に気持ちがいいし、改めて「障害って面白いな」と思います。もちろん毎回ハマればいいんですけど、なかなかそこまでは技術が追い付いていなくて。
東 人馬一体の瞬間が魅力ということですね。毎回上手くいくわけではないからこそ、面白いのかもしれませんね。
平沢 そうかもしれません。踏み切りにしても、よく見えるときもあれば、あまり見えない日もありますし。
東 「踏み切りが見える」というのは、どういうことなんですか?
平沢 ひとつの障害物に対して、ちょうどいい踏み切りっていうのが絶対にあるんですよ。
東 ああ、位置ですね、踏み切る位置。ほかの馬もいるなかで、踏み切る場所まで歩幅を合わせて走ってくるということですから、高い技術が求められるんでしょうね。
平沢 そうですね。その位置が近すぎると、馬は上に跳ばざるを得ないからスピードが落ちてしまいますし、遠いと今度は人馬転する可能性が出てきてしまう。そのどちらでもない、ちょうどいい踏み切りの位置があって、それが見えることがあるんですよね。そういうときは、今日は上手く乗れたなと思うんですけど、実際は毎回見えるわけではないし、同じ馬に乗っても、いいときもあればダメなときもある。それがもう少し安定して見えてくるようになれば、レースがもっと面白くなってくるはずなんですけどね。
(文中敬称略、次回へつづく)