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メジロ生産馬にダービー馬の半弟も クレイン伊奈に暮らすバラエティ豊かな元競走馬たち

  • 2017年05月30日(火) 18時00分
第二のストーリー

▲05年鳴尾記念の勝ち馬・メジロマントルらが暮らす「クレイン伊奈」のメンバーを紹介


フサイチコンコルドの半弟も在籍


 ホースマンなら誰もが夢見る競馬の祭典、日本ダービーが終わった。祭りのあとの静けさ、寂しさはあるものの、競馬は変わらず続いていく。今週は東京競馬場でGI安田記念、阪神競馬場ではGIIIの鳴尾記念が行われる。鳴尾記念はこれまで開催時期や距離が幾度となく変更されてきたが、12月に実施された2005年の同レースに優勝したメジロマントルが、前回紹介した1998年の日本ダービー3着のダイワスペリアーと同じ乗馬クラブクレイン伊奈に在籍している。

 メジロマントル(セン20)は、1997年5月31日に北海道伊達市のメジロ牧場で生まれた。父はヘクタープロテクター、母メジロティファニー、母の父がモガミという血統だ。またメジロティファニーは、名牝メジロドーベルの姉という良血でもある。

 成長したメジロマントルは、美浦の大久保洋吉厩舎の管理馬となり、2000年の4月に吉田豊騎手が騎乗して4歳未出走戦でデビュー。だが初勝利には手が届かないまま、しばらく中央競馬で走り続けていたが、未勝利で地方競馬へと転出している。2002年6月から10月の間、高崎、宇都宮競馬場で走り、6戦1勝2着2回の成績を残して、再び中央競馬へと戻ってきたのだった。

「メジロ特有の晩成型という感じでした。なかなか勝てなかったのですが、地方から帰ってきた時は、馬もしっかりした感じがしました」と、メジロマントルの現役時代について話をしてくれたのは、主戦だった吉田豊騎手だ。

 2003年5月に中央初勝利を挙げると、同年7月から2004年6月にかけて、休養を挟みながら4連勝するなど年齢を重ねて本格化。2004年8月には1600万下の朱鷺Sに勝って、とうとうオープンまで上り詰めた。

「当初はダート戦で走っていたのですが、芝を使うようになって良い感じで連勝してくれました。先行して踏ん張るタイプの馬でしたね」(吉田豊騎手)

 2005年12月には「先行して踏ん張る」という持ち味を存分に発揮して、鳴尾記念に優勝。ついに重賞ウイナーとなった。

「平均ペースで逃げても頑張れましたし、遅いペースで逃げても直線で瞬発力を発揮できまました。大人しくて操縦性も良くて乗りやすい馬でしたから、極端な話、誰が乗っても大丈夫な馬でしたね」

 吉田豊騎手は、メジロマントルと臨んだ一戦、一戦を懐かしそうな表情で振り返った。競走馬時代乗りやすかったというメジロマントルだが、現在は

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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