今回のゲストは乗馬経験ゼロという状態で競馬学校に入学した新人・富田暁騎手です
競馬学校に入学するまで乗馬経験もまったくなく、初めて馬に触れたのも入学が決まってからという異例の経歴を持つ富田暁騎手。第2回となる今回は普通高校に進学したものの騎手になることを決断した時の経緯、競馬学校入学後に泣くほど悔しかった当時の心境などをストレートな言葉で語ってくれました。
(取材・文/森カオル)
“やってやるぞ!”という自信があった
──富田騎手は現在20歳。同期より2つ年上ということになりますが、どういった経緯で騎手を目指すことに?
富田 もともと父が競馬好きで、よくテレビで観ていたんです。それで僕も何となく観るようになって。だから、ジョッキーという職業があること、小柄な人が多いということは早くからわかっていましたし、頭の片隅にはずっと憧れのようなものがありました。
──幼い頃の夢は、スポーツ選手になることだったそうですね。
富田 はい。スポーツは何でも好きだったので、スポーツ選手全般に憧れていましたね。ただ、中学のときはサッカーに夢中で、当時の僕にとって、まだ競馬界は別世界でした。テレビで観ていたといっても、あまりにも遠い世界でしたから、踏み込む勇気がなかったというのが正直なところです。
──でも、高校に入ってから気持ちが変わった。
富田 気持ちが変わったというより、決まったという感じですね。高校1年のときに、将来の夢をテーマにした授業があって、「俺はこのまま何をして、将来は何になるんだろう…」と考える時間が増えて。考えるうちに、自分のやりたいことをやるべきだという気持ちが強くなっていったんですね。騎手になるにはすでに1年遅れだったので、だいぶ悩みましたけど、最終的には“自分の体格を生かせるなら”と心を決めて。両親にも「ちょっと話があるんだけど…」と、改まって話したことを今でも覚えています。
──そのときのご両親の反応は?
富田 「自分のやりたいことをやるのが一番だから」と応援してくれました。
──競馬関係者ならともかく、そういう授業があったにしろ、16歳で自分の将来を真剣に考える…というのもすごいですね。
富田 今考えるとそうですね(笑)。でも、なぜかものすごく考えました。とはいえ、小学生の頃からジョッキーを目指している人に比べれば、当時は意志の強さではまだまだ負けていたと思いますけどね。高校1年のときに受けた試験は、何が何だかわからなくて、あっさり落ちましたからね。
──それでもあきらめずに、翌年に再チャレンジ。ちなみに、乗馬はどのタイミングで始められたんですか?
富田 結局、乗馬はやらなかったんです。
──えっ!? それは珍しい。
富田 ですよね。一度、美浦の乗馬苑に行ってみたんですけど、「今から始めて変な癖を付けるよりは、乗馬経験以外の自分のアピールポイントを見つけて、そこを試験で発揮したほうがいい」とアドバイスをいただいて。不安はありましたが、乗馬は入学してから取り組もうと気持ちを切り替えました。だから、初めて馬に触れたのは、競馬学校に入ることが決まってからなんですよ(苦笑)。
──そうなんですね。それで受かったというのがまたすごい!
富田 試験のときはがむしゃらでしたけど、なぜか“やってやるぞ!”という自信があったんですよね。それに、同期より2歳年上だったので、“2コ下なんかに負けたくない”っていう気持ちもすごく強くて。でも、乗馬経験もないまま、高校3年になる年に入学したわけですから、この世界では異例ですよね。
──競馬学校生活はどうでした? 2歳年上ということもあって、やりにくいことも多かったのでは?
富田 普段の生活はすごく楽しかったんですけど…、乗馬に関してはみんな巧かったので、やっぱりきつかったです。川又は同じ未経験というくくりで入って、入学前から一緒に乗っていたんですけど、それでも僕より全然巧かったです。
──川又くんは確か、半年程度の乗馬経験があったんですよね。
富田 そうなんですけど、それでいて他のみんなと同じくらいのレベルで乗れていましたし、実際、試験もずっと上位でしたからね。そんななかで、僕は3年間を通してずっとビリでしたから。めっちゃ悔しくて、試験が終わるたびに親身になってくれる先生のところにいって、毎回泣いていました。当時は、2つ年上というプライドもあったりして…。
親身になってくれる先生のところにいって、毎回泣いていました
──本当の勝負はデビューしてからなんですけどね。
富田 先生もそういってずっと励ましてくれたんですけど、当時の僕はそう思えなくて。とにかく苦しかったです。8回あった模擬レースも、僕は一度も勝てませんでしたからね。デビューしてからも全然勝てなくて、ついこのあいだまで「僕はこのまま一生勝てないんじゃないか」と本気で思っていました(苦笑)。
(次回へつづく)