メイセイオペラの記念碑が完成
「たくさんの方々に協力していただいて…。感謝してもしきれない」
赤見:メイセイオペラ記念碑建立委員会の流れは以前このコラムでご紹介させていただきましたが
【2016/11/8メイセイオペラの記念碑設立へ!井上オークスの奮闘】、今日の除幕セレモニーを迎えて、どんなお気持ちですか?
井上:もう本当に、たくさんの方々に協力していただいて…。感謝してもしきれないくらいです。自分で発起人になって事務局をやっておきながらアレなんですけど、ここまで来られたことが奇跡みたいに感じます。かなり不甲斐ない事務局だったので(苦笑)、よくできたなって。
井上オークスさん「たくさんの方々に協力していただきました」
赤見:皆さんから寄付や収益金を集めて、かなり大きな額で記念碑を作るというのは大変なことだったと思いますが、その中でも一番大変だったことは何ですか?
井上:大変だったというか、一番悩んだのは、記念碑に刻む文字です。メイセイオペラのゴール写真を表面にしてもらうっていうのは決まっていたんですけど、水沢の○○メイセイオペラというような文字も刻もうと思っていたんですね。それが、岩手の英雄なのか、水沢の雄なのか、水沢の英雄なのか、もう本当にわからなくて、それを1か月くらい悩んでました。
だって、みんなそれぞれの想いがあるわけじゃないですか。岩手のっていう方もいれば、いや水沢のっていう方もいて。英雄なのか、それともフェブラリーSの実況で言われた、「水沢の雄メイセイオペラやりました!」っていう、あれがよかったんだって言う人もいて。何人かに相談したらバラバラの答えだったので、さらに悩んで。本当に決断力がないんですよ…。最終的に(菅原)勲さんに助けを求めたら、「水沢の英雄だな」って即答してくれました。
1999年のフェブラリーSを制した「水沢の英雄」メイセイオペラ(撮影:森内智也)
赤見:水沢の英雄なんですね。
井上:そうなんですよ。岩手の方が大きい括りなんですけど、この小さい水沢競馬場からこんなにすごい馬が出たんだってことをその時にみんなが誇りに思ったんだなって。どんどん広げて行ったら東北のでもいい気がするし、地方のっていう風に言われることもあるじゃないですか。大きい方がいいかなとも思ったんですけど、水沢競馬場に作るんだし、水沢だなって思いました。
赤見:なるほど。記念碑建立に関しては、自分だけの意見で通せる部分と、みんなの想いをっていう部分があって難しいですよね。
井上:みんなの想いをめちゃめちゃ感じながらポストカードを売っていたので、『みんなの願いを叶えたい』と思って。それぞれのイメージがあるからそんなの無理なんですけどね。
赤見:いよいよ除幕セレモニーを迎えて、達成感はありますか?
井上:それはないんですよ。セレモニーが終われば違うのかもしれないですけど、記念碑を見てみんながどう感じるかっていうのがまだわからないですから。自分自身の達成感ということよりも、一人一人に頭を下げて感謝したいくらいです。こんなにやってもらって。挙動不審になるくらい(笑)、いろんな人に助けてもらいましたから。
あと、いろんな人にお会いできたことも大きかったです。(担当厩務員だった)柴田洋行さんとか、これがなかったら取材する機会はなかったかもしれないですし。そういう方に話を聞けたことも嬉しかったです。もらってばっかりって感じです。
赤見:オークスさんはライターとして競馬に携わって来て、こういう活動をしたのは初めてだったと思うんですけど、やってみてどうですか?新たな何かを感じましたか?
井上:そうですね。わたしはライターですから、普段はだいたい文章で伝えていて。だから、読んで相手が何を思ったかってわからないんですよ。でもポストカードを売ったり、オークションをやったりして、この馬に対してどういう風にみんなが想っているかってことを直接聞けたことが、すごく大きかったです。
メイセイオペラを見てた方々もたくさん協力してくれましたし、メイセイオペラが走っていた頃は小さな子供だったような若者たちが、追悼特集号とかを見て『こんなすごい馬がいたんだ!』って知って協力してくれました。それってすごいことだし、競馬を伝える意味を教えてもらったような気持ちです。
赤見:競馬を伝える意味…すごく大切なことを感じたんですね。
井上:そういう気持ちをずっと感じていました。ダービーグランプリの日にオークションをやったんですけど、その時に勲さんの騎手時代のステッキを競り落としてくれたのが、お父さんと娘さんだったんです。娘さんが乗馬をやってて、「欲しい」っていうからお父さんががんばって競り落としてくれたんですよ。それで、「今日は娘の誕生日なんです」って言って、勲さんからサインをもらってすごく嬉しそうに帰って行ったんです。きっと、親子でメイセイオペラはどんな馬だったかって話をすると思うんですよね。そうやって伝えられていくんだなって、ものすごく教えられました。ファンの方からもですし、メイセイオペラからも教えてもらいました。
赤見:ポストカード販売など本当に大変だったと思いますけど、いろんな反応がすごく面白いって言ってましたよね。
井上:そうなんですよ。想い出をたくさん話してくれて。わたしはリアルタイムでは見てないけれど、なんだか追体験をさせてもらったみたいな感じで。すごくいい時間でした。
赤見:謎の使命感と仰ってましたけれども、一番の原動力は何だったんですか?
井上:2014年に勲さんや赤見さんと一緒に韓国に行きましたけど、その時に『余生は日本で』ってみんなそう思っていたじゃないですか。その中で突然亡くなってしまったから、後悔というか、何かできたんじゃないかなって、差し出がましくも思ってしまって。それで、何かしたいって思ったんです。
赤見:事務局のブログ
(https://ameblo.jp/meiseiopera2017/)やうまレター7月号で、メイセイオペラの子供たちのことを読んで、「後悔があったけど、これはこれでよかった」という風に書いてあったじゃないですか。わたしも気持ちの中に後悔があったので、なんていうか、引っ掛かっていた気持ちがストンと落ちた気がしました。
井上:本当に?それはよかったです。なんかすごくしっくり来たんですよ。韓国にいたから、最後まで子供たちを残すことができたわけで。メイセイオペラにそっくりな子供たちを見たら泣きそうになりました。
メイセイオペラにそっくりな子供たち(撮影:井上オークス)
赤見:しかもすごい遺伝力ですよね。
井上:みんなそっくりですよね(笑)。去年は12頭生まれていますし、今年も3頭生まれました。韓国にいたからこそ、こうして子供たちの将来を楽しみにできるわけですから。繁殖入りした牝馬もいますし、オペラの血が繋がっていくことが嬉しいですね。
赤見:では改めて、メイセイオペラとはどんな馬ですか?
井上:生きている時、走っている時、いろんな人に夢や希望を与えてきたわけですけど、亡くなってからもこうやっていろんなことを教えてくれたり、18年も前のことなのに、若い人たちをわくわくさせたり。そんなことできる馬はそういないですから。本当に唯一無二の馬だと思います。