相馬野馬追は、東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故で甚大な被害を受けた福島県相馬市と南相馬市で行われている。今年は440騎ほどが参加し、千余年の伝統が、またしっかりとつながれた。
この世界最大級の馬の祭に参加する馬のほとんど――おそらく8割以上は、JRAや地方の競馬場で走った元競走馬である。
ということで、今年の野馬追で出会った元競走馬たちの元気な姿を、ここに紹介したい。
アースソニック(牡8歳)と我妻隆さん
7月30日、日曜日。本祭の朝、甲冑行列のスタート地点に近い一軒家に、一騎の騎馬武者が駒を寄せた。
「申し上げます! それがし、中ノ郷御先乗――」と、馬上の我妻隆さんが口上を述べ、そこに住まう重鎮にお目通りを願った。
吾妻さんが乗っていたのが、今年野馬追初参戦となったアースソニック(牡8歳、父クロフネ、母ダイヤモンドピアス)であった。
アースソニックは、現役時代は前田幸治氏が所有し、栗東・中竹和也厩舎に所属していた。48戦6勝で、その6勝には2013年の京阪杯が含まれている。
鞍上が声を張り上げて口上を述べても、また、甲冑姿の侍や、風になびく旗指物を見ても平然としていたのは、馬自身肝が据わっているのと、野馬追に向けた馴致がきちんと行われていたことを示していた。
花形の甲冑競馬第1レースを2年連続勝っている吾妻さんにとって、今年が26回目の甲冑競馬。後方から追い上げたが、惜しくも3着だった。
ステラウインド(牡8歳)と佐藤弘典さん
去年の7月まで現役として走り、アースソニックと同じく前田幸治氏が所有したステラウインド(牡8歳、父ゼンノロブロイ、母ビーウインド)も、今年初めて野馬追に参加した。騎乗したのは、大山ヒルズのキッチンマネージャーだった佐藤弘典さんだ。
「名馬はみな、野馬追が初陣でも大丈夫なんです。特にこの馬は、キズナと一緒にフランスに遠征するなど、世界を駆けめぐった馬ですからね」
南相馬で生まれ育ち、乗馬の指導者となった佐藤さんは、故郷を離れて仕事をするようになってから野馬追には参加しなくなっていた。しかし、震災を機に、故郷に戻って野馬追に出る友人が多くなったこともあり、2013年からまた野馬追に出るようになった。そして、今年は十数年ぶりに神旗争奪戦に出場する、と、笑顔で語ってくれた。
ドラゴンフラッシュ(牡8歳)と只野晃章君
甲冑競馬の第4レースで優勝したのは、中学3年生の小高郷の騎馬武者・只野晃章(てるあき)君が騎乗したドラゴンフラッシュ(牡8歳、父フレンチデピュティ、母パラダイスバード)だった。
社台ファームで生産されたドラゴンフラッシュは、中山と川崎で1勝ずつし、2014年6月のレースを最後に引退。翌2015年から、只野君を背に野馬追に出陣し、3度目の甲冑競馬となった今年、人馬ともに初勝利を挙げた。
小高郷の陣屋で、侍大将の今村忠一さんらに武勲を報告した只野君は、不意にこちらを向き「島田さんですよね?」と言い、笑顔でこうつづけた。
「ドラマの『絆』見ました。本も読みました。いい物語だと思いました」
私は、中学生の読者がいるとは想定せずに書いたのだが、さらりとそう言ってのけるのだから、たいしたものだ。私の本を小学生のときから読んでいたK君は一昨年東大に合格し、中学生のときに読んで作家の伯母に薦めたという若者は、明治大学から一流企業に進んだ。こういうことは本人に言うとよくないので、以前から知り合いだった只野君のお父さんに伝えたら、お父さんは照れたように笑っていた(でも、声が大きかったので聞こえたかな)。
コティリオン(牡9歳)と本間北斗さん
上の写真は、野馬追3日目の7月31日、相馬小高神社で行われた野馬懸のワンシーンである。参道を走る裸馬を追いかけている青鹿毛の馬がコティリオン(牡9歳、父ディープインパクト、母ジェミードレス)で、乗っているのは小高郷の本間北斗さん。
コティリオンは、現役時代、金子真人HDが所有し、2010年のラジオNIKKEI杯3着、翌2011年の毎日杯とNHKマイルカップで2着になった実力馬だ。
馬にとっては初陣となった今年、甲冑競馬の第1レースでは3コーナーから後退して敗れたが、野馬懸では見事に裸馬を追い込む役割を果たした。
ここに紹介した4頭は、みな、この地で繋養されている馬たちだ。ここ相双地区には、10頭、20頭と入る厩舎で飼育されている馬もいれば、一軒家の玄関脇の大きな犬小屋にも見える厩で飼われている馬もいる。年に3日の祭のために、家族と同じように暮らしている馬がたくさんいるのだ。
相馬野馬追に出場する馬の半数ほどは相双地区にいて、残りは他地区の乗馬クラブなどから借りてくる馬だと言われている。ということは、相双地区では200頭以上の馬が飼われていると思われる。震災と原発事故の影響で、その数はかなり減ったと言われているが、それでも、野馬追の準備が本格的に始まるゴールデンウィークごろから、早朝、蹄がアスファルトを叩く音が響く――という、この地ならではの「人馬の共生」の形は保たれている。自家用車が走る公道を馬がパッコラパッコラ歩き、そこここにボロが落ちている眺めは、独自の馬事文化が深く根づいていることの証でもある。
本稿の読者にとっては言わずもがなかもしれないが、種牡馬や繁殖牝馬になれない大多数の競走馬の余生の現実には、なかなか厳しいものがある。
そんななか、人と馬とが互いを必要とし、互いの役割を認め合い、ともに喜び、一緒に幸せになろうとする姿を見せてくれる相馬野馬追という素晴らしい祭を、来年もまた見に行こうと思う。