◆シャマーダル、ドゥバウィなど数々の名馬でG1制覇
札幌競馬場を舞台とした「ワールド・オールスター・ジョッキーズ」が、今週土曜日(26日)・日曜日(27日)の両日にわたって開催される。
16年/17年シーズンにまたも香港における年間最多勝記録を更新したジョアン・“マジックマン”・モレイラ(33歳)、モデルのオファーを断って騎手の道に入ったという美人過ぎる女性騎手“ケイトリン・マリオン(23歳)など、話題に事欠かない顔触れが集まるが、筆者が敢えて注目したいのは、意外にもこれが初来日となるケリン・マカヴォイ(36歳)である。
これだけの実績を残している騎手が、このシリーズの前身であるワールド・スーパー・ジョッキーズ・シリーズにも、日本のどの国際競走にも、騎乗したことが1度もなかったというのは、よほど巡り合わせが噛み合わなかったのであろう。
1980年10月24日、サウスオーストラリアのストリーキーベイで生まれたマカヴォイ。母方の祖父が調教師で、父と二人の叔父が騎手という競馬一家に生まれ、幼少の頃から騎手を目指した彼は、97年に祖父の厩舎で見習い騎手としてデビュー。その後、出身地であるストリーキーベイに程近いヴァロッサヴァレイにリンゼイパークという調教拠点を持っていた、トップトレーナーのピーター・ヘイズのもとに身を寄せ、研鑽を積んだ。
まさに鮮烈だったのが、彼の表舞台へのデビューだった。20歳の誕生日を迎えて2週間後の11月7日、M・モロニー厩舎のブリューで夢だったG1メルボルンC(芝3200m)初騎乗を果たすと、後方から鮮やかな追い込みを決めて、見事優勝。メルボルンC史上2番目に若い優勝騎手となった。
メルボルンCの3日前にフレミントンで行われた、G2SAABクオリティを制してメルボルンC出走権を掴んだのがブリューで、メルボルンCにおけるハンデは出走22頭中最軽量の49キロであった。すなわち、主要騎手たちは既に先約があり、ましてやこの重量で乗れる騎手はおいそれと見つからず、棚ボタのように巡ってきた騎乗チャンスを逃さずモノにしたあたりは、さすがに将来の大物である。
これがきっかけとなって、翌01/02シーズンにはメルボルン地区のリーディング2位に躍進。そして02/03年シーズンにリーディングの首位に立ったのだが、この人の引きの強さがまたしても発揮されたのが、このシーズンの前半だった。ドバイがスポンサーとなった「ドバイ・レーシングクラブ・デイ」が、9月にコーフィールド競馬場で開催されたのだが、ここで1日4勝という超目立つ活躍を見せたのがマカヴォイであった。
ここでドバイの関係者におおいに名前を売った彼は、その2か月後、この年のメルボルンCに3頭出しで臨んだシェイク・モハメドから声を掛けられ、このうちの1頭であるビーキーパーの鞍上に指名されたのである。なおかつ、モハメド殿下の主戦であるフランキー・デトーリが乗ったピュージンが18着に大敗した一方で、マカヴォイはビーキーパーを3着に持ってきたのだった。
これがきっかけで、03年春のドバイ開催がスタートすると、マカヴォイはドバイに招聘され、2か月にわたってゴドルフィンの馬に乗ることになり、ダヌタで制したムーンシェルマイルを含めて4勝を挙げることになった。そしてマカヴォイは、04年からヨーロッパに拠点を移し、フランキー・デトーリに次ぐゴドルフィンの第2騎手として騎乗を始めたのである。
C・ブリテン厩舎のウォーサンでG1バーデン大賞を制したのが、欧州におけるG1初勝利で、その1週間後にはS・ビン・スルール厩舎のルールオヴローでG1セントレジャーを制しクラシック初制覇と、ヨーロッパにおけるキャリアも順調にスタートさせたマカヴォイは、その後も、シャマーダル、ドゥバウィといった名馬の手綱をとり、G1制覇を重ねることになった。
マカヴォイが豪州に戻ったのは、08年の半ばだった。シェイク・モハメドの豪州における競馬組織拡大にともない、08/09年シーズンから、モハメド殿下の豪州における第1騎手として騎乗することになったのである。モハメド殿下の豪州におけるお抱え調教師に指名されたピーター・スノウデン師とのコンビで、ヘルメット、シーポイといった、現在は種牡馬となっている馬たちに騎乗し、数々のビッグレースを制している。モハメド殿下との契約が終了した14年/15年シーズン以降は、フリーランスとして騎乗。昨年11月にはアルマンダンに騎乗し、16年ぶり2度目となるメルボルンC制覇を達成している。
実績、経験ともに申し分なく、なおかつ、ここ一番の勝負強さはピカイチのものを持っているのがマカヴォイだ。週末の札幌における騎乗が、非常に楽しみである。