先週末、札幌競馬場で行われたワールドオールスタージョッキーズ(WASJ)を取材してきた。かつて、秋に阪神や東京でワールドスーパージョッキーズシリーズとして実施されていたころは、ジャパンカップのついでと言うと言葉は悪いが、もともと国際色が濃くなる時期に行われていたので、その特殊性があまり目立たなかった。つまり、よくも悪くもインターナショナルな雰囲気になじみ、溶け込んでいたのだ。
ところが、3年前にWASJとして札幌で行われるようになってからは、「真夏の北海道開催で国際騎手招待レースが行われる」という唐突な感じが、このイベントのスペシャルさを際だたせるようになった。
前にも書いたように、いわゆるミスマッチの妙でもあるのだが、実は、札幌は欧米の技術者や研究者、教育者の力を借りて街づくりと文化の熟成が比較的近い過去に行われた都市なので、こうした国際イベントと非常に相性がいいのだ。
各国からの招待騎手と地方代表、そしてJRA代表の腕比べを堪能しながら、このシリーズには出ていない、ふたりの騎手の手綱さばきにも注目していた。
そのひとりと、日曜日の第9レース終了後に話すことができた。
松田大作騎手である。
検量室でレースリプレイのモニターを見上げる表情からして、以前の彼とは違っていた。声をかけるのをためらっていると、向こうが気づいて出てきてくれた。
松田騎手は前週の8月19日、田中剛厩舎のリンシャンカイホウで復帰後初勝利を挙げていた。私がそれを祝うと、彼は「ありがとうございます」と言い、こうつづけた。
「復帰初戦で乗ったイズモという馬がレース中に故障したとき、頑張って、倒れないでいてくれたんです。馬に守られていることを感じました」
それは、8月12日、土曜日の札幌第8レースだった。芝1200メートルで行われた500万下のこのレースで、彼が乗ったイズモは4コーナーで右第一指関節開放性脱臼を発症、競走中止となった。
松田騎手は、自身の復帰初勝利より、まず、自分を助けてくれた馬への感謝の思いから口にしたのだ。
「さっきのレースも、難しい馬だったんですけど、ぼくが動かし切れませんでした」
ひとつひとつのレースに乗る気持ちが、復帰前とはまるで違っていることが伝わってきた。
ただ、まっすぐこちらを見つめる端正な顔を見ているうちに、不安も出てきた。前に会ったとき、彼が「島田さん、やせたんじゃないですか。大丈夫ですか」と心配してくれたのだが、今回は、彼の頬がちょっとこけたように見えたのだ。
彼が、騎乗停止の原因となった一件の前の自分を全否定しているのではないか、と気になった。それ以前の松田騎手には、陽気で明るい彼ならではのよさがあった。それが人にも馬に伝わり、大いにプラスになっていたはずだ。
もともとの自分のよさまでも見失わないよう伝えると、こう答えた。
「同じことを言ってくれる人はほかにもいるのですが、今はそういう気持ちにはなれません。もともとの自分のよさって何だろう、と考えてもわからないですし」
なるほど、今は余計な言葉は邪魔になるだけかもしれない。
復帰後初勝利という結果が出たということは、やっていることが正しいことの証でもあるので、この調子で、ただあまり自分を責めすぎず頑張ってほしい、と伝えた。
「はい」と力強く答えた松田大作騎手の、今後の騎乗を見るのがますます楽しみになった。
もうひとり、手綱さばきを見るのを楽しみにしていたのは、同じ札幌での落馬事故から1年ぶりに復帰した三浦皇成騎手だ。
松田騎手と同じ8月12日に復帰してから札幌と新潟で3勝ずつ挙げている。もともと騎乗技術の高さは言わずもがなだが、エルムステークスで8番人気のドリームキラリで3着に逃げ粘ったレースなどは、上手さに凄みが加わった感じで、見事だった。
私が贔屓にしていたスマイルジャックから降ろされるような格好になって以来(彼から見ると私は半分スマイルの関係者のようなものだったから仕方がないのだが)、ちょっと話しづらくなっているのだが、その負けん気を持ちつづけて、「超回復」した三浦皇成を見せてほしい。
ジョッキーのほか、調教師も、フリーランスのジャーナリストやカメラマンも、北海道で会う競馬関係者はみなリラックスしている。競馬場にいなければできない話や、そこに立っていないと湧いてこないテーマなども当然あり、いろいろな人と情報交換できてよかった。スタジアムであり、鉄火場であり、社交場でもあるのが競馬場ならではの魅力だ。
札幌と小倉での開催はあと1週。
もうすぐ舞台を中山と阪神に移し、秋競馬が開幕する。