▲4連勝で重賞スワンSを勝利したサングレーザー (C)netkeiba.com
6年前に廃止となった地方競馬場の元騎手が育てた馬が、GI・マイルCSに出走する。松島慧元騎手(荒尾)とサングレーザー。当時、日本で最南端に位置していた荒尾競馬場から、厳冬期は-30℃近くまで冷え込む北海道の追分ファームリリーバレーにやって来た。これまでは脚元に不安を抱える老練馬に多く騎乗していたのが、ここではフレッシュで前途洋々な若駒に乗ることになり、レースという表舞台から、馬を調教・育成する裏方の立場となった。
馬に乗ることには変わらない。しかし、若馬の馴致やこれまでは乗ったことのない坂路コースなど最新の調教施設での騎乗…一つの競馬場の廃止で環境・仕事内容は変わった。そして、新しい喜びも感じるようになった。調教を担当していた馬がGIの晴れ舞台に出走する――その胸の内とは。(取材・文:大恵陽子)
廃止される荒尾競馬の騎手や厩務員を受け入れ
2011年12月、熊本県の荒尾競馬場が廃止された。廃止決定のニュースが流れた頃、興味深い記事を発見した。
「新しく開場した追分ファームリリーバレーが、廃止される荒尾競馬の騎手や厩務員を受け入れる予定」 同年6月にフルオープンした追分ファームリリーバレーは屋根付き周回コースが2つ、屋根付き坂路コースが1本と最新の設備を備えた施設だった。
▲▼2011年6月にフルオープンした追分ファームリリーバレー (写真:同牧場ご提供)
追分ファームの吉田正志マネージャーは当時を振り返る。
「ちょうどうちもオープンさせたところで人手が欲しいと思っていたので、お互いウィンウィンの関係でした。競馬組合や調教師などに事前に相談し、私が荒尾競馬場に行って希望者を面接しました。予想以上にたくさんの人が面接に来てくれたのを覚えています」 不況や競馬ブーム終焉を受けて地方競馬場は減る一方だった。再就職が難しい中での救世主だったであろう。
現在、追分ファームリリーバレーで調教スタッフとして働き、サングレーザーの調教を担当していた松島氏は再就職のきっかけをこう振り返る。
「最初は違う仕事をしようかと考えていたんです。父が荒尾で騎手と調教師をやっていたので荒尾競馬場で生まれ育ったのですが、あの頃は廃止の話ばかりで騎手を続けるのは『もういいか』と思いました。移籍を希望する騎手も少しはいましたが、多くの人は『もういいか』って感じでしたね。賞金も減って、生活もキツくなっていましたから。結局、自分は違う仕事はせずに、廃止から1ヶ月くらいしてリリーバレーに来ました」