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【騎手引退】平野優元騎手(1)『2年遅れの騎手デビュー、苦労の裏に三浦皇成騎手の優しさ』

  • 2018年01月15日(月) 12時01分
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▲昨年12月28日、ラストライドのパドック(撮影:下野雄規)


年内で引退した平野優元騎手。今年から伊藤大士厩舎で、持ち乗り厩務員としての再スタートを切りました。「レースを体験していることは強味になると思います」という思いが実り、1月6日の中山第1Rを担当馬のコウギョウブライトが勝利。今年のJRA競走の第1戦目を制するという、幸先の良いスタートとなりました。2010年に名門・二ノ宮敬宇厩舎からデビューし、同期一番乗りで初勝利。2012年には落馬による内臓損傷の大ケガも経験。8年間の騎手生活を振り返ります。(取材:赤見千尋)


騎手を目指したきかっけは船橋の仲野光馬騎手


赤見 このたび、持ち乗り厩務員への転身を決断されたということで、デビュー当時のことからいろいろうかがっていきたいと思っているんですが、まずは騎手を目指したのはどういったきっかけで? 平野さん、背が高い(170cm)ですよね。(騎手を目指したのは)体が小さかったから…というのはよく聞きますが。

平野 僕も競馬学校を受験したときは158cmくらいだったんですよ。

赤見 あ、そうなんですね。

平野 はい。あとは地元が府中で、東京競馬場が近かったので、小学生のころから父に連れられてよく遊びに行ってたんです。そんな感じで、もともと競馬が身近だったんですが、中学2年のときに仲野光馬(なかの かづま)が転校してきて。

赤見 船橋の仲野光馬騎手ですね。

平野 そうです。彼は乗馬をやるために府中に引っ越してきたんですけど、「一緒にやってみない?」って誘われて。それが乗馬を始めたきっかけですね。

赤見 その後、平野さんだけJRAに受かって。複雑な気持ちだったのでは?

平野 そうですね。一緒に受かりたいという気持ちが強かったので。本当はそんなふうに思ったらいけないんでしょうけど、正直、「ゴメン」ていう気持ちがありました。でも、今は地方で頑張っていて、「いつか一緒に乗れたらいいね」って話していたんですけど、今回僕が辞めることになって、結局それも叶わずじまいで。

赤見 そうだったんですね。競馬学校時代は、けっこうご苦労があったそうですね。

平野 はい。普通の人より2年も多く在籍していましたからね(苦笑)。

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▲「普通の人より2年も多く在籍していましたからね」と明かした平野元騎手


赤見 何か悪いことでもしたんですか(笑)?

平野 いえいえ、単純に至らない部分が多かっただけです。実際にデビューしたときは、むしろ時間が掛かってよかったと思ったくらいですから。

赤見 それはなぜ?

平野 その間、北海道の牧場に研修に行ったり、いろいろな経験をさせてもらったんです。中学校を卒業して、世間一般を知らないまま学校に入ったので、そうやって別の世界を知ることができたのは本当に貴重な経験だったと思っています。

赤見 とはいえ、2年は長かったでしょう。同期はすでにデビューしているわけですから。よく挫けなかったですね。

平野 正直、当時はつらかったです。入学したときの同期が三浦皇成、伊藤工真、大江原圭の3人なんですけど、彼らが活躍している姿を見るのはやはり…。でも、辞めたら負けだと思っていたので。

赤見 なかでも皇成騎手がドーン! といったから。その頃、平野さんは、北海道の牧場で修行していたわけですよね。

平野 そうですね。「寒いだろうから」ということで、皇成が僕に手袋とネックウォーマーをプレゼントしてくれたりして。

赤見 えー! 皇成騎手の好感度が急上昇! そうかぁ、そういう支えもあって踏ん張れたんですねぇ。同期ならではですね。

平野 はい。今でも普通に仲いいですよ。

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▲入学当初の同期・三浦皇成騎手、優しいエピソードにほっこり (C)netkeiba.com


「僕がこんな一流厩舎に行っていいのかな」


赤見 そういえば、二ノ宮厩舎に所属したのはどんな縁だったんですか?

平野 それは…わかりません(苦笑)。たまたまだと思いますけどね。一度面談はしましたけど、もともと二ノ宮先生と繋がりがあったわけではないです。

赤見 そうなんですね。二ノ宮厩舎といえば、いうまでもなく一流厩舎ですが、所属が決まったときはどんな思いでしたか?

平野 驚きましたね。“僕がこんな一流厩舎に行っていいのかな”という気持ちでいっぱいでした。

赤見 5年間の苦しい時間を経て、晴れてデビューの日を迎えたときはどんな気持ちでしたか?

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▲「5年間の苦しい時間を経て、デビューを迎えたときは?」


平野 ん〜、なんかあまりにも学校生活が長すぎて、逆に実感が湧かなかったんですよねぇ。

赤見 そっかそっか。

平野 二ノ宮厩舎の馬でデビュー週に初勝利を挙げさせてもらったんですけど、そのレースもわけがわからないままアッという間に終わってしまって。ただ、翌週にいろんな方から「おめでとう」と声を掛けていただいて、そこで初めて「勝つということは、こんなに祝福されるものなんだな」って喜びが湧いてきた感じです。

赤見 実際にデビューしてみて、理想と現実のギャップはありましたか?

平野 ありましたねぇ。みんな夢を持ってデビューすると思うんですけど…、やっぱり最初は乗せてもらえませんから。

赤見 最初のきっかけをつかむのが難しいですよね。

平野 もっと乗りたいと思っても、どう営業したらいいのかもわからない。そういうモヤモヤした気持ちがずっとありましたね。

(文中敬称略、次回へつづく)

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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