▲宝塚記念優勝時のナカヤマフェスタ。この後渡仏し、異国でまさかのシーンが… (C)netkeiba.com
昨年末に8年間のジョッキー生活にピリオドを打った平野優元騎手。ジョッキーから攻め専に転向する方が多い中、自らの意思で持ち乗り厩務員を選びました。その真意はどこにあったのでしょうか? 話は、デビュー以来ずっと所属していた二ノ宮敬宇厩舎の思い出に。2010年の宝塚記念を制し、同年の凱旋門賞で2着に好走したナカヤマフェスタのエピソードも明かします。(取材:赤見千尋)
現役生活を支えてくれたルチャドルアスール
赤見 引退について、二ノ宮先生には相談されたんですか?
平野 11月の終わりごろだったかな、先生には一番先にお話しました。先生からも、「お前、これからどうするんだ? 正直、続けていくのも厳しいだろ?」って言われて、僕もそう思っていたので、じゃあこの先どうしようかという話になって。先生からは、「助手や厩務員になるにしても、その前に海外の競馬を見てきてもいいんじゃないか」とアドバイスをいただいたんですけどね。
赤見 そうだったんですね。じゃあ、そういった選択肢も視野に入っていたわけだ。でも、すぐに伊藤大士厩舎に決まりましたよね?
平野 そうなんです。伊藤大先生には普段からお世話になっていたので、二ノ宮先生とお話した次の週に、さっそく相談しに行ったんです。そのときは「今はスタッフの空きはないけど、サポートできることがあったらするから」という話だったんですけど、その2日後くらいに急きょ空きが出たみたいで。「1月1日からだけど、どうする?」と言われて、「お願いします」という流れになりました。さすがに「そんなにアッサリ決めちゃっていいの?」って言われましたけどね(笑)。
赤見 そのぶん悩んだ期間が長かったわけですから。それに、必要とされるところで働けるというのは幸せなことですし。
平野 そうですね。僕なんか、馬を扱えるかどうかもわからないド素人みたいなものですけど(苦笑)。
赤見 そんなことないです! あ、でも、元ジョッキーといえば攻め専(調教専門の助手)に転向される方はよく聞きますけど、平野さんは持ち乗り厩務員なんですよね?
平野 そうなんです。伊藤大先生からは、「攻め専でも持ち乗りでもどっちでもいいよ」と言われたんですが、僕から持ち乗りを志願したんです。どうせなら馬のことを全部知りたいと思ったので。それならやっぱり、自分の担当馬がいたほうがいろいろ覚えられるのではないかと。ゆくゆくは助手になるかもしれないですけどね。
▲「馬のことを全部知りたいので、それなら担当馬がいたほうが覚えられる」
赤見 まずは経験のために、ということですね。ちなみに、馬、引っ張れますか(笑)?
平野 それは…わかりません(苦笑)。今後の課題ですね。
赤見 となると、担当馬が気になるところですね。どんな馬が好み?
平野 ん〜、どうだろう…。
赤見 元ジョッキーということで、乗れることはわかっているから、他の人が乗りこなせない難しい馬が割り当てられるような…。
平野 いやいやいや。僕、そんなに巧くないですから。もうね、おとなしい馬がいいです……おとなしくて走る馬(笑)。
赤見 それ最高!
平野 そんな馬、なかなかいませんけどね(笑)。
赤見 たしかに。これまでいろんなタイプの馬に騎乗されてきたと思いますが、現役生活を振り返って思い出の馬を挙げるとしたら?
平野 やっぱりルチャドルアスールですね。あの馬には本当にお世話になりました(4歳2月に笠松から転厩後、中央での28戦中26戦でコンビを組み、全4勝をマーク)。僕が苦しいときにもずっと乗せていただいて、4つも勝たせてもらって。
▲▼ルチャドルアスールとのコンビで4勝、写真はセプテンバーS優勝時(撮影:下野雄規)
赤見 オープン特別でも惜しいレースがたくさんありましたし、重賞にも出走しましたものね(2015年・セントウルS14着)。
平野 はい。ケガをして以降は、あの馬がいたから頑張れた感じです。
赤見 調教でもずっと騎乗されていましたが、普段はどんな馬だったんですか?
平野 普段の調教から引っ掛かるので、すごく乗り難しい馬でした。だから、どう乗りこなそうかとずっと考えていた感じです。やはり、調教だけではなく競馬にも乗せてもらえるとなると、必然的に力が入るし、考えることも多くなりますからね。その過程でいろんなことを勉強させてもらいました。
赤見 そういう馬が1頭でもお手馬としていてくれると、モチベーションにつながりますもんね。
平野 そうですね。今の時代、ずっと乗せてもらうこと自体、なかなか難しいので。
赤見 二ノ宮厩舎といえば名門厩舎ですから、ルチャドルアスール以外にもたくさんいい馬が身近にいたと思いますが、なかでも印象的だった馬というと?
平野 そうだなぁ、やっぱりナカヤマフェスタですかね。僕は乗ったことはないんですが、とにかく気性が激しくて。助手の佐々木さんという方が乗っていたんですけど、いつも「スッゲーな!」と思いながら見てました。
赤見 坂路で「俺は絶対に動かない!」みたいになっちゃって、助手さんの手を焼かせていましたよね。
平野 そうそう、止まっちゃってね(笑)。走っているときに、突然止まったこともあるみたいですよ。フランス遠征には僕も一緒に行かせてもらったことがあるんですけど、そのときもいきなりビューン! と池垣みたいなところを飛び越えていったりして。
赤見 すごい! 異国でいきなり障害の才能を披露したわけですね(笑)。
平野 天才と何とかは紙一重っていいますけど、ナカヤマフェスタはまさにそのギリギリのところにいて、だからこそ大成したのかなって。凡走するときもあれば、すごく強い競馬をするときもあって、凱旋門賞なんかは本当に興奮しましたからね。
赤見 そうですよねぇ。でも、身近でナカヤマフェスタのような成功例を見られたというのは、今後のホースマン人生においても大きいのでは?
平野 そうですね。
赤見 では、いつかナカヤマフェスタのような馬を手掛けることを目標に!
平野 いや、ナカヤマフェスタのような馬はちょっと…(苦笑)。まぁどんな馬が担当になっても、「一緒に頑張る!」という気持ちを大切にしていきたいです。
(次回へつづく)