▲キタサンブラックのパートナーとして一躍有名となった黒岩騎手、その素顔とは
昨年末の有馬記念で、見事有終の美を飾ったキタサンブラック。JRAのGI7勝は、史上最多タイ記録。輝かしい活躍を祝う引退セレモニーの場に、武豊騎手らと共に姿を見せたジョッキーがいました。黒岩悠騎手 ―デビュー前からキタサンブラックの調教を担当。彼の存在がなかったらここまでの活躍はなかったかもしれない、と言っても過言ではありません。NHKでも取り上げられ、一躍有名になった黒岩騎手の素顔に迫ります。(取材:東奈緒美)
将来は“騎手”か“調理師”か
東 今日はデビューのきっかけや3年目の大ケガ、清水久詞調教師との出会いからキタサンブラックとの思い出まで、いろいろ伺っていきたいと思っています。キタサンブラックについては、何度も同じことを聞かれたりして…、飽きてしまったかもしれませんが(苦笑)。
黒岩 そんなことないですよ。理由があっての取材なので、何回でも喋ります。ちょっと機械的になっているところはあるかもしれませんが(苦笑)。
東 わかりました(笑)。では、さっそくですが、ジョッキーを目指したきっかけは、お父さまに高知競馬場に連れて行ってもらったことだそうですね。
黒岩 はい。冬休みなどの長い休みを中心に、年に数回は行っていたと思います。小学校低学年…、いや、たぶんそれ以前から行っていたはずです。でも、当時は遊具に夢中で(笑)。“ふわふわコアラ”だったかな、あれを目当てに行っていた感じです。だから正直、競馬のイメージはそんなにないんですよね。とくに興味もなかったというか。
東 遊具で遊びながら、「あ、お馬さんもいるんやぁ」みたいな。
黒岩 そうそう、まさにそんな感じでした(笑)。
▲「地元の高知競馬場に連れて行ってもらってたけど、最初は競馬に興味がなかった」と黒岩騎手
東 ジョッキーを目指そうと思ったのはいつ頃からですか?
黒岩 中学生になったら親父と一緒に予想するようになって、それで競馬自体が面白くなって。まぁほとんど当たらなかったような覚えがありますが(苦笑)。でも、当時一番なりたかったのは野球選手だったんです。あと、頭のなかにあったのは、親がコックだったこともあって調理師とか。とりあえず、高校、大学と進んで行くのは嫌だなっていうのはありました。
東 勉強が嫌いだった?
黒岩 いえ、そうじゃないです。頭もそんなに悪いほうじゃなかったし。とにかく机の前でジッとしていることが好きじゃなかったんです。本当に野球選手になりたかったから、牛乳をめちゃくちゃ飲んだりしていましたけど、背がまったく伸びなくて。ホンマに何しよ…と思ったときに、そういえば競馬があったな、馬に乗ってレースをするのって楽しそうやなと思って。そのときになって、子供の頃の記憶がよみがえってきた感じですね。
東 競馬に触れたのは高知競馬場ですが、中央競馬を選んだのはなぜですか?
黒岩 ジョッキーを目指そうと思ってから、自分なりにいろいろ調べたんです。それで中央のほうがいいなぁと思って願書を取りました。でも、調べていくうちに、ものすごい倍率なのがわかって。これは無理やなぁと思ったので、正直、ダメ元で受けたんです。中央がダメやったら地方を受けて、地方もダメやったら調理師学校に行こうと思っていました。
東 弱冠15歳にして、いろんなプランを用意していたんですね。
黒岩 はい。調理師学校もアカンかったら、仕方がないから高校に行こうと(笑)。結果的に受かりましたが、受験中はまったく手応えがなかったです。だって、700人以上が受けて、合格するのはたしか52人に一人くらいの倍率だったので。乗馬経験もほとんどありませんでしたしね。
東 スゴイ! 運動神経がめっちゃよかったとか?
黒岩 いや〜、試験内容も懸垂とか簡単なものだったし、筆記試験も、みんなが普通にできるレベルの問題だったような…。だから、130人くらいで一次試験を受けたんですけど、このなかからどうやって選ぶんだろうと思った覚えがあります。もちろん、自分が受かっている感触なんてまったくなかったですし。
東 そうだったんですね。黒岩騎手はきっと、勉強も運動もサラッとできてしまうタイプだったんでしょうね。競馬学校の第18期生として入学し、現役では田辺裕信騎手や五十嵐雄祐騎手、鈴木慶太騎手(デビューは1年遅れの2003年)が同期ですが、学校時代はどんな期でしたか?
黒岩 五十嵐と田辺は福島出身で会津弁でしたから、最初は何を話しているのかまったくわからなかったです(笑)。田辺とは相部屋だったんですけど、本当に何を言っているのかわからなくて。そういえば、田辺は今でこそ大活躍していますが、最初は落ちこぼれタイプだったんですよ。
▲いまやトップジョッキーとなった田辺裕信騎手(写真はコパノリッキーの東京大賞典、撮影:高橋正和)
東 意外です。じゃあ相当努力されたんでしょうね。
黒岩 僕と田辺は、卒業間近にふたりしてクビにされそうになりましたからね。
東 それはまたなんで?
黒岩 そのときは成績とかではなくて、部屋が汚いとか髪の毛が長いとか。長いっていっても坊主なんですけどね(笑)。あと2、3週間で卒業というときに、ふたりで校長室に呼ばれたんです。「お前ら、このままじゃ卒業させられない。親に電話するから」って。もう半泣き状態で「止めてください!」ってお願いして。たぶん、そういって僕らを試していただけだと思うんですが、もう必死でしたね。
東 今となってはいい思い出(笑)。みんな仲は良かったんですか?
黒岩 いえ、1年生の頃はけっこうギスギスしていました。僕はほぼゼロからスタートしたので、馬の扱いなどもまったくわからずに、もう自分のことでいっぱいいっぱい。でも、南井や柴原は乗馬経験もバリバリで、圧倒的な差がありましたからね。でも、2年になるとトレセンでの実習も始まって、縛りから解放された余裕からか、徐々に打ち解けていきましたね。
東 なかでもライバル視していた同期はいますか?
黒岩 いえ、そういうのは全然なかったです。僕らの期って、落馬の回数がめちゃくちゃ多くて、当然ケガも多かったんです。「みんなで高め合っていこう!」みたいな感じではなく、ふと見るとそこら中で落ちているみたいな(笑)、わちゃわちゃした期だったように思います。
(文中継承略、次回へつづく)