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【浜中俊×藤岡佑介】第2回『23日間の騎乗停止処分 自身の口で語る“マイルCS”』

  • 2018年02月28日(水) 18時01分
with 佑

▲マイルCSでの騎乗停止処分、様々な思いが交錯したあの日を改めて振り返ります


順風満帆だった浜中騎手の騎手人生に、大きな影を落とした2016年のマイルCS。ミッキーアイルで逃げ粘って勝利するも、最後の直線で外側に斜行し、4頭の進路を妨害。23日間の騎乗停止処分を受けました。GIでの出来事に、関係者からもファンからもあがる声は大きく、その現実と自身の責任をただ一心に受け止めてきた浜中騎手。いま改めて当時を振り返るとともに、これまで口に出さなかったある思いを、初めて明かします。(取材・構成:不破由妃子)


事象だけを見ると処分は仕方ない、ただ同じ騎手として気持ちは大いにわかる


佑介 東京新聞杯のケガから5月に復帰して、そこから秋の後半までは順調だったけど…、今度はマイルCSでの騎乗停止があって。あれは反響が大きかったよなぁ。ネットの反響も大きかったし、競馬関係者以外の人からも「あの騎乗はどうなの?」ってたくさん聞かれたもん。GIの怖さを改めて思い知ったよ。ハマも反響の大きさに驚いたんじゃない?

浜中 はい。エゴサーチは怖くてできませんでしたけど(苦笑)。でも、自分でそんなことしなくてもわかるくらいの影響の大きさを感じたので。当然、被害を与えてしまった先輩騎手からも指導を受けましたし、裁決からもきつく言われましたしね。表彰式も正直きつかったですから。

佑介 あの表彰台の上の、魂が抜けたようなハマの顔が忘れられない。カップや花束を持ってんねんけど、今までに見たことがない種類の顔をしてた。

浜中 またあの日の天気が何とも言えへん天気で。僕からすると、“この世の終わりなんちゃうかな”というような淀んだ空の色だったんですよ。それに、あの日は嫁さんと子供も競馬場にきていて…。だから余計に気まずかったんですよね。

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▲GI勝利も、馬上の浜中騎手に笑顔はなかった (C)netkeiba.com


佑介 野次が凄かったみたいだもんね。でもまぁ、それは仕方がないことというか。

浜中 野次が飛ぶのは当然だと思います。ただ、あの日は嫁さんと子供がちょうど僕から見えるところにいたんですよ。だから、僕への野次が、当然子供にも聞こえていて…。それがきつかったですね。普通なら、最後にひと言、ファンのみなさんに向けて話すじゃないですか。でも、あのときばかりは、本当に申し訳なかったんですけど、「やりたくないです」とわがままを言わせてもらって、サーッと帰りました。

佑介 ハマの場合、家族が競馬場にくること自体、珍しいもんね。

浜中 そうなんです。来る予定も聞いていなかったので、嫌な予感がしたんですが…。

佑介 大好きなおじいちゃんが亡くなったことを報告しにきたんだよね。

浜中 はい。体調が悪いことは知っていて、エリザベス女王杯の前に会いに行ったんですけど、すでに話せないような状態で、その時点で「一週間持つかどうか」と言われていたんです。それでも頑張ってくれていたから、嫁さんには先に僕の実家(福岡県)に行ってもらって、「月曜日に会いに行くから」と伝えてあったんですけどね。それなのに、マイルCSの当日、福岡にいるはずの嫁さんがなぜか競馬場にいて…。明日行くって言ってるのに、なんでわざわざ福岡から来たんだろう…みたいな。でも、表彰式のあと、嫁さんが「実はね…」と切り出したときには「もうわかってる」と。

佑介 俺たちは金曜日の夜から連絡が取れないからね。

浜中 母親からも、「競馬が終わるまでは俊に言わないでほしい」と言われていたみたいで。僕は何も知らされていなかったから、ひょっとしたらじいちゃんが見てくれているかもしれないと思ってレースに臨んだんです。とにかくあのレースは勝ちたかった。ホンマにがむしゃらでした。

佑介 気持ちのコントロールができなかった?

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▲「とにかく勝ちたかった」その思いが強く出てしまったというゴール前 (C)netkeiba.com


浜中 情けないけど、その通りです。馬はまったく悪くないし、ただただ僕の気持ちが引き起こしたことです。とにかく残したくて、もう必死でした。そのうえで扶助がちゃんとできていればよかったんですけど…。それができていなかったことで、たくさんの人にご迷惑を掛けてしまって。

佑介 あの事象だけを見るとね、たしかに動いているし、実際に邪魔になっているから、処分は仕方がないと思う。プロなんだから、真っ直ぐ走らせろという意見もごもっとも。ただ、同じジョッキーからすると、気持ちは大いにわかるんだよね。逃げ馬ですでに脚が上がっている、でもゴール前で接戦、何とか残したい…という思いで、必死になって残しにかかったところでの動きやから。しかも、背景にそういうおじいちゃんのことがあってさ。

浜中 まぁこういう話をすると、「じいちゃんのせいにしやがって」と思われるかもしれませんし、正当化したいわけではないんです。制裁を受けたのは、僕の未熟さ以外の何物でもないので。ただ、あのときの自分の頭のなかには、本当にそれしかなくて…。じいちゃんがいなかったらジョッキーになっていないと思いますし、いろんな意味で、僕の人生の道を作ってくれた人だったから。

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▲「正当化したいわけではないんです。ただ、あのときの自分の頭のなかには、本当にそれしかなくて…」


佑介 そういう特別なレースだった、ということやね。大変な日やったんやなぁ。

浜中 火葬が終わった直後にレースが始まったらしく、僕が勝ったことで、みんな泣いて喜んでたみたいですけどね。でも、審議になって、「あれ? あれ?」みたいな(苦笑)。表彰式を見た母親が、「こっちも葬式が終わったばかりやけど、あの子も葬式みたいな顔してるわ」って言ってたらしいです。

佑介 さっきも言ったけど、ホンマに「この世の終わり」みたいな顔してたわ。おじいちゃんが亡くなったことをなんとなく察しつつ、騎乗停止になった不甲斐なさと、家族が見ている前での野次と…。表情が失われるのもわかるよ。でも、その舌の根も乾かぬうちに、今度はフィリーズレビューの一件があって。

浜中 あれはもう…。正直「俺、終わったな」と思いましたね。

(文中敬称略、次回へつづく)
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JRAジョッキーの藤岡佑介がホスト役となり、騎手仲間や調教師、厩舎スタッフなど、ホースマンの本音に斬り込む対談企画。関係者からの人望も厚い藤岡佑介が、毎月ゲストの素顔や新たな一面をグイグイ引き出し、“ここでしか読めない”深い競馬トークを繰り広げます。

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1986年3月17日、滋賀県生まれ。父・健一はJRAの調教師、弟・康太もJRAジョッキーという競馬一家。2004年にデビュー。同期は川田将雅、吉田隼人、津村明秀ら。同年に35勝を挙げJRA賞最多勝利新人騎手を獲得。2005年、アズマサンダースで京都牝馬Sを勝利し重賞初制覇。2013年の長期フランス遠征で、海外初勝利をマーク。2018年には、ケイアイノーテックでNHKマイルCに勝利。GI初制覇を飾った。

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