▲「これから!」というタイミングで起きた落馬事故、葛藤の日々を明かします
キタサンブラックの陰の立役者、黒岩騎手のインタビュー第2回。今回はデビュー当時からを振り返っていきます。いきなり、所属厩舎の取り違えがあったという衝撃のエピソードが飛び出し…!? デビュー3年目に起きた全治半年の大ケガのことなど、波乱だった新人時代を語ります。(取材:東奈緒美)
デビュー当時はめちゃくちゃ引っ込み思案で…
東 2002年に栗東の吉岡八郎厩舎からデビューされたわけですが、先生とは何か所縁があったのですか?
黒岩 いえ、とくにご縁があったわけではありません。聞いたところによると、間違われたみたいで…。
東 えっ!? どういうことですか?
黒岩 容輔(高野容輔元騎手)が福永甲先生の厩舎に入ったんですけど、本来であれば、僕が入る予定だったみたいで…。福永先生は、僕と同じ高知のご出身なんですよね。だから、福永甲厩舎に引き取られるはずが、なにか行き違いがあったらしく(苦笑)。詳しいことはわからないんですが、厩舎に入ってからそのようなことをチラッと聞きました。
東 そうだったんですね(笑)。
黒岩 吉岡先生も優しかったですし、助手さんも厩務員さんも気さくな方ばかりでしたから、まったく気にしたことはなかったですけどね。僕が引っ込み思案だったこともあって、先生と競馬や馬についてジックリお話したことはないんですが、僕の知らないところでは、ほかの調教師の先生に「ウチの黒岩を頼むな」とずっと言ってくださっていたらしく…。そうやってずっと陰でサポートしてくださっていたんだなと感じています。
東 愛情深い先生ですね。ところで、黒岩騎手は引っ込み思案なんですか? そんなに“おとなしい”タイプではないような…。
黒岩 デビュー当時は、めちゃくちゃおとなしかったですよ。引っ込み思案で、前に出ないというより、出られなかった感じです。
東 競馬の世界では、自分を売り込んでいく強さも重要かと思いますが、そういうのも苦手だった?
黒岩 そうですね。今振り返ると、当時の自分に「お前、何してんねん!」って言ってやりたいですけど、当時は積極的に行動したり、アドバイスを求めたりすることができませんでしたね。
東 デビュー3年目の2004年1月には、落馬で全治半年にもわたる大ケガ(骨盤骨折)を負われて。2年目に勝ち星も大きく増えて、“さあ、ここから!”というときでしたから、心身ともに相当つらかったのではないかと。
黒岩 つらかったし、めちゃくちゃ焦りました。1年目は全然勝てなかったんですけど(2勝)、2年目から少しずつ勝てるようになって(平地13勝・障害4勝)、3年目も年明け早々に2勝したんです。次の年から減量がなくなるから、今年が勝負やな…と思っていた矢先でしたからね。運ばれた病院でも、一番最初に「歩けるようになるかわからへん」と言われて。
東 それくらいのレベルだったんですね。
黒岩 そうなんです。歩けなくなるかもしれないという不安のなか、テレビで自分が乗っていた馬が勝つシーンを観るのもつらかったですし…。頭のなかが整理できなかったです。ぐちゃぐちゃでした、たぶん。
このまま終わってしまうのは悔しすぎる
東 そうですよね。どうやって気持ちに整理を付けていったのですか?
黒岩 リハビリが始まって、だんだん体も動くようになって、体自体はちゃんと元通りというか、復帰できることがわかってきたので、それでちょっと落ち着きましたね。その時点ですでに何カ月も休んでいたわけだから、今さら焦ってもしょうがないと思えて。なにしろ、体がETみたいでしたから(笑)。
東 ETですか!?
黒岩 3カ月くらい寝たきりだったので、筋肉が全部削げ落ちてしまって。初めて自分の姿を鏡で見たとき、「ツルツルやな」と思いましたもん(笑)。これは焦ってもしょうがない、ちゃんとリハビリをせなアカンと逆に腹がくくれたというか。
東 テレビで競馬を観ながら、「絶対あの場所に戻ってやるぞ」と意を固めたわけですね。
▲「テレビで競馬を観ながら、“絶対あの場所に戻ってやるぞ”と意を固めたわけですね」
黒岩 そうですね。「このまま終わってしまうのは悔しすぎる。なんとかあそこに戻ってやる」と思いながら。
東 全治半年という報道通り、ちょうど半年後の7月に復帰されたんですよね。その後は徐々に障害レースへの騎乗が増えていって、2009年、2010年は年間未勝利に。この頃もまたつらい時期だったかと思いますが、どのように受け止めてらっしゃいましたか?
黒岩 騎手としていえば、すべて自己責任なので、自分の力と努力が足りなかったとしか言えません。でも、気持ちとしては…、やっぱり「しんどいなぁ」とずっと思っていましたね。
東 ジョッキーを辞めようと思ったことも?
黒岩 何度も思いました。たまに競馬に乗ってもレースに参加できないし、危険なことも多かったりで、正直、あんまり楽しくなかったので…。ああ、なんか競馬面白くないなぁと思いながら乗っていたし、辞めたいなぁという気持ちも常にどこかにあったような気がします。
東 そういう時期は、けっこう長かったんですか?
黒岩 2〜3年くらいはそんな感じでしたね。それでも、レースに乗っているなかで勝つ喜びというのを思い出すと、なかなか辞める踏ん切りが付かない。せっかくジョッキーになったので、ここで辞めてしまうのはもったいないという思いもありましたから。
東 競馬の面白さと、ジョッキーという仕事の魅力が思い止まらせてくれたんですね。
黒岩 そうですね。
東 2011年には、同期の田辺騎手が一気にブレイクしましたね。田辺騎手の活躍は、どのように見ていましたか?
黒岩 同期から活躍する騎手が出るのは喜ばしいことですし、自分にとってもホンマに励みになりました。さっきも言ったように、競馬学校時代の田辺は、どちらかというと怒られてばかりいるタイプでしたが、競馬のことに関しては一番考えていたので、いつかブレイクするやろうなと思っていました。それが形として現れたわけですから、単純によかったなと思います。それに、関西の同期は、全員引退してしまいましたからね。余計に頑張ってほしいという気持ちになるのかもしれません。
東 同期として、田辺騎手のブレイクを予見していたんですね。それはどういうところから?
黒岩 所属が美浦と栗東なので詳しくはわからないんですけど、五十嵐(雄祐騎手)と話していても、『田辺は競馬のことを本当によく考えている』という話がよく出ますからね。僕と話すときは、いつもおちゃらけてるんですけど(笑)。
東 黒岩騎手とは、あまり真面目な話はしない?
黒岩 まったくしませんね。いつもぬる〜い感じで(笑)。だから、どういうことを考えてるのかなって不思議に思います。馬に対して真面目に取り組んでいるのはわかりますけど、かといって、昔から「馬が大好き!」という感じでもなかったし…。たぶん、“競馬”というものに深くハマッたんでしょうね。
(文中敬称略、次回へつづく)