▲2000年の桜花賞馬チアズグレイス、時を越えてつながった物語とは (撮影:下野雄規)
今回は、ある日の園田6Rに秘められた桜花賞馬チアズグレイスと園田の騎手との物語。のちのオークス馬シルクプリマドンナや1番人気サイコーキララを抑え、好位から抜け出したチアズグレイスが桜花賞を制覇したのは2000年のこと。一方、今年2月23日(金)園田6R、平日の昼下がりの下級条件レースで中田貴士騎手(31歳、兵庫)は1着でゴールの瞬間、人生2度目のガッツポーズをしました。右手のこぶしに込められた思いは18年前の桜花賞馬に通じます。
闘病中の父のために
中田騎手が生まれ育ったのは栗東トレーニングセンターのすぐ近く。お父様が厩務員で、同級生たちの多くは現在栗東トレセンで調教助手として働くなど馬の世界にいます。友人たちと同じく中田騎手も中学生になると乗馬を習い始めました。
「小学生の時に所属していた少年野球の監督から『これからは馬の世界でがんばれ』ってメッセージカードを卒団の時にもらったり(笑)、なんだかもう馬の世界に進むのが義務みたいな雰囲気でしたね」
トレセンで生まれ育ったいわゆる“トレ子”にありがちな話なのだといいます。当然のようにJRA競馬学校騎手課程を受験しましたが不合格。高校卒業後は北海道のケイアイファームと滋賀県のグリーンウッドで調教騎乗員になりました。転機はグリーンウッドにいた頃です。
「地方競馬に騎手の一発試験があることを知ったんです」
▲中田貴士騎手(31歳、兵庫)、牧場での調教騎乗員を経て地方の騎手を目指すことに
一発試験とは、地方競馬教養センター(JRAで言うところの競馬学校)に入学せず、筆記試験と実技試験を受けて直接騎手を目指す方法。難易度は上がりますが、中田騎手は兵庫(園田・姫路)で1年間厩務員として働いたのち、一発試験を文字通り「一発」で合格。2008年11月に騎手デビューしました。
2011年には年間20勝を挙げましたが、その後、「気持ち的に底辺で何もできひん時間が続きました」といいます。きっかけは厩務員だったお父様が病に倒れたこと。
1人でお見舞いに行くと、普段は強がりなお父様が「お前がレースでがんばってるから、俺もがんばれるねん」と言う姿に奮起しました。
「最初は僕が地方競馬で騎手になるのを反対していましたが、なんだかんだ言って応援してくれていたんですよね。毎週競馬が終わると電話でああだこうだレースの話をしていましたから」
残念ながら2013年にお父様は亡くなられます。その後、ショウナンカリブという馬に出会い約半年で4勝を挙げるなど奮闘しますが、「何を思ってジョッキーを続けていけばいいのかな…と気持ちが沈んでいました」
そんな姿を見かねたある調教師が「高知競馬で期間限定騎乗できる騎手を探しているけど、どうや?」と声を掛けてきました。
二つ返事で高知競馬での騎乗を開始。すると、ポンポンと勝ち星を積み重ね、約2カ月後の2016年7月24日トレノ賞(メイショウツチヤマ)で自身初となる重賞制覇を遂げました。さらに、それまで自身の年間最多勝記録だった20勝を上回る26勝を期間限定騎乗中のわずか3カ月の間に挙げました。
「高知では人気薄の馬でも『中田やし来るかもしれんな〜』ってファンの方が言ってくれる声が聞こえて嬉しかったです。応援してくれる人や、勝って喜んでくれる人も多くて、『あ、これやわ!』って思えたんです」
自分が勝つことで誰かを喜ばせたい――その思いが中田騎手の原動力となり、沼底に沈んでいた気持ちは浮上していきます。
「こんな嘘みたいなことあるんやなぁ〜」
再び騎手としてのやりがいを見つけた中田騎手。ある日、新聞を見つめながらこう呟きました。
「明日のデンコウグロリアス、この馬でホンマ勝ちたいんよなぁ〜」
それは“育てのおじいちゃん”を喜ばせたい思いからでした。
「デンコウグロリアスが転入してきた時から調教に乗っていて、『どんな馬なんやろう?』と調べたんです。そうしたら、チアズグレイスの仔! めっちゃビックリしました! チアズグレイスはおじいちゃんが担当していた馬なんです」
2000年の桜花賞で2〜3番手から抜け出し優勝したチアズグレイス。
「あの時は父の担当馬も出走していたので応援に行ったんですが、チアズグレイスの方を応援していました。前走のチューリップ賞で10着やったことだけが『あれ?』って感じでしたけど、強い馬やなぁと思っていたんです。
おじいちゃんって言っても血は繋がっていないんですけど、僕は“じい”と呼んでいます。僕、生まれた時には実の祖父は2人とも亡くなっているんです。“じい”は家族同然で運動会に来てくれたり、仕事が休みの月曜は僕が学校から帰るのを家で待ってくれていました。いつも『今日、何が食べたい?』って聞いてくれて、ラーメンとか一緒に食べに行ったりしましたね」
デンコウグロリアスに騎乗が決まった時に報告することもできました。でも、中田騎手は「やっぱり勝って報告したい」と、内緒にしていました。
「この馬で勝てるかどうかも分からないけど、早く言いたくてウズウズしていました」
2月23日、転入2戦目となる園田6R。
このレースから着用したブリンカー効果もあり行きっぷりよくハナを奪うとそのまま先頭を守り抜き1着でゴール。その瞬間、中田騎手は右手をグッと握りしめました。
「やった! でしたね。ガッツポーズなんてこれまでしたことなかったけど、今年2回しました。1回目は家族が久しぶりに応援に来てくれた時で、2回目がデンコウグロリアス。勝って自分が嬉しいレースより、人が喜んでくれるレースを勝ったほうがやっぱり嬉しいなぁって、高知に行ってから思うようになりました」
思い入れのある血統馬で勝利を挙げると、すぐにカメラマンに写真を依頼しました。
焼き上がった写真の裏に“じい”へ「ありがとう」とメッセージを書き、ポストに投函。すると後日、電話がかかってきました。
「何年も経って、こんな嘘みたいなことあるんやなぁ〜」電話越しに“じい”はそう喜んでくれたといいます。
今年もまた桜の季節が近づいてきました。中田騎手は現在通算192勝。地元リーディングは17位。
「兵庫はとにかく上位層が厚いので、急にガンと上に登り詰められるものではないと思っています。だからこそ、1つ1つ順位を上げて一歩ずつ進んでいくことを大切にしたいですね」
その先に、また誰かの笑顔があるかもしれないですね。
▲▼自分が勝つことで誰かを喜ばせたい――その思いが中田騎手の原動力となっている