▲ヨーロッパからアメリカへ、海外を渡り歩いた訳とは?
先週4月5日に飛び込んできたショッキングなニュース――「ダノンプレミアムが挫跖のため皐月賞を回避」。主役に起こったまさかの事態に、動揺も広がりました。「皐月賞は残念ながら出走できませんが、ダービーに向けて走れる体勢に整えていきます」と中内田調教師。気持ちを切り替え、“ダービー”に向けて進んでいるそうです。さて、今週のインタビューでは中内田調教師の異色の経歴をたどっていきます。海外を渡り歩いた、その訳とは?(取材・構成:不破由妃子)【中内田充正厩舎のオフィシャルHPはこちらから!】
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「28歳で競馬学校に入る人なんて、なかなかいませんよね」
佑介 異色の経歴などもいろいろ伺っていきたいんですけど、中学生時代はジョッキーになりたかったというのは本当ですか?
中内田 うん、本当はジョッキーになりたかった。ちょうど「オグリキャップと武豊」の世代で、やっぱり花形やし、単純に憧れたよね。でも、中学生の時点で、体重が50キロくらいあって…。
佑介 あ、そうだったんですね。当時の競馬学校の受験資格は、たしか43キロ以下でしたから、さすがにちょっと厳しいかもしれませんね。今の先生の体型なら、ジョッキーでも全然おかしくないですけど。
中内田 結果的にはそうやけど、当時はさすがに「無理やな」と。でも、実家が育成牧場だったから、何かしら馬に携わる仕事がしたいという漠然とした思いはずっとあったんだけどね。
佑介 それで留学先にアイルランドを選んだんですか?
中内田 そうやね。実際、向こうの高校に編入してからも、近くの厩舎で研修させてもらったりしながら、週末だけはずっと馬に乗ってた。