▲園田が誇る「ダートグレード夫婦」夫・小田翔嗣さん(右)と妻・尚子さん(左)
いま園田競馬場で「ダートグレード夫婦」と呼ばれる有名な30代の男女がいます。
夫・小田翔嗣さんはタガノジンガロで2014年かきつばた記念(JpnIII)を、妻・尚子さんは先月20日、黒船賞(JpnIII)をエイシンヴァラーで制覇しました。
地方所属馬がJRA馬相手にダートグレードレースを制覇することは快挙中の快挙。実際、兵庫所属馬では歴代5頭だけです。そのうち2頭を小田夫妻が手掛けるのですから、2人ともバリバリの敏腕厩務員!…かと思いきや、どちらかと言うとお互いを支え合うことで好循環を生み出しているような印象です。
牛舎の隣で生まれ育ち、兵庫で厩務員になりながらも、引退した担当馬の行く末に対峙し、一度は競馬の世界から離れた尚子さん。「(キャリアの)最後に、馬が生まれる瞬間を見たい」と北海道の生産牧場へ単身赴任することを許してくれた翔嗣さんの優しさに支えられ、約2年前に厩務員に復帰しました。
今回の「ちょっと馬ニアックな世界」では、支え合う「ダートグレード夫婦」をご紹介します。
「僕も手伝います」夫のサポートで厩務員復帰
兵庫県の山あいの町で生まれ育った尚子さん。偶然見た競馬で馬のカッコよさに惹かれて、地元の牧場で働き始めました。そこは西脇トレセン(園田・姫路競馬の2カ所ある厩舎地区のうちの1つ)から競走馬が休養に来たり、2歳馬の馴致をする牧場でした。
「翔嗣さんはその牧場の先輩だったんです。入れ違いで、一緒に働くことはなかったんですが、その後、私が西脇トレセンに入ると、1年先にトレセンで働いていた翔嗣さんが仕事を教えてくれました」(尚子さん)
所属厩舎は別々でしたが、担当馬の馬主が同じだったことも重なり、翔嗣さんのフォロー体制ができたようです。しかし、次第に尚子さんはある悩みを抱えるようになりました。
「自分の担当馬が引退したらどうなるのかを考えだして……ちょっとしんどいなって」(尚子さん)
厩務員を辞めました。その後、翔嗣さんと結婚。しばらくは西脇トレセンから車で約1時間の三木ホースランドパークで厩舎作業のアルバイトをしていましたが、「やっぱり『競走馬がやりたい』って気持ちがあったので、(キャリアの)最後に北海道の生産牧場に行って、競走馬がどう生まれてくるのかを見たいなと思ったんです。単身赴任ですね(笑)」(尚子さん)
それに対して翔嗣さんは「繁殖は僕も未知の世界。経験しておくにはいいですよね」と快く送り出しました。
▲兵庫県の牧場を経て北海道の生産牧場に単身赴任、自身で決めた道を歩んでいる尚子さん
繁殖牝馬10頭ほどの家族経営の牧場で春から秋まで約8カ月、お産や種付け、セール、離乳などを見た尚子さん。北海道から帰ってくると翔嗣さんから「厩舎を移籍する話があるんやけど」と相談を受けます。
それは西脇から園田に引っ越しを伴うものでした。それでも、「いいんちゃう」と笑顔で背中を押し、2014年春、夫婦で転居。翔嗣さんは園田競馬場脇に馬房を構える新子雅司厩舎に移籍すると同年4月、タガノジンガロでかきつばた記念を制覇しました。
「オープン馬を担当すること自体、初めてでした。タガノジンガロに跨った時の印象は強く残っています。乗り心地がよくて、伝わってくる力がとてもありました。調教に乗るとオーラがすごすぎて怖さを感じるほどでしたし、プレッシャーもありましたね」(翔嗣さん)
尚子さんは「家でもそんな話をしていたね」とほほ笑みました。一方この頃、尚子さんの気持ちに変化が生じます。
「乗馬クラブや繁殖の現場を見て、やっぱり厩務員がいいなって思うようになったんです。いま走っている馬のお世話を一生懸命やりたいなって。担当についていると、一番近くでパートナーのような存在になれるのがいいですよね。一生懸命やると馬も応えてくれる気がしますし、勝つとやっぱり嬉しいです」(尚子さん)
翔嗣さんが所属する新子厩舎の馬房掃除の手伝いからスタートし、約2年前に正式に厩務員として復帰しました。
最初に担当したのはオープン馬のタガノプリンス。元々は翔嗣さんが担当していましたが「うるさい面があったのが落ち着いてきていたので、『僕も癖が分かるし手伝いますので』と新子先生にお願いしました」(翔嗣さん)
この馬で尚子さんはオープン初勝利を収めることができました。
次走はかきつばた記念、見据える先にはコリアスプリント
エイシンヴァラーは昨秋、浦和から移籍してきた当初から尚子さんが担当しています。
新子師は「結果的に、我の強いヴァラーにとって尚ちゃん(尚子さん)がちょうど合っていたかもしれないですね」と話します。
▲新子雅司調教師が騎乗して、角馬場で体をほぐしているエイシンヴァラー
「普段は甘噛みをされたり遊ばれていますけどね(笑)。いまね、ヴァラーには好きな牝馬がいるんですよ。他厩舎の馬なんですけど、黒船賞の前からすっごい好きになって、その馬を見ると止まったり後ろに下がってみたりして待ち伏せしよるんですよ(笑)」(尚子さん)
個性の強いエイシンヴァラーは移籍当初こそ夏バテ気味でしたが、昨年10月の移籍初戦となる地元オープン戦(1400m)を1分26秒4で勝利。「5割のデキだった」(新子師)という状態で、コースレコードに1秒差まで迫りました。
その後は笠松に遠征して、地方全国交流・笠松グランプリに参戦しますが、尚子さんにとっては初めての遠征競馬。かつてタガノジンガロで笠松に遠征経験のあった翔嗣さんが同伴しサポートしました。
地元・兵庫ゴールドトロフィー5着を挟み、今年2月の黒潮スプリンターズC(高知)では四国地方が大雪に見舞われ、通常4時間の輸送時間が6時間半もかかるトラブルに遭いました。笠松遠征でさえ輸送が得意ではない雰囲気をみせていたエイシンヴァラーですから、この時6着に敗れたのは当然の結果だったのかもしれません。そこで黒船賞は前日輸送で挑みました。
「翌朝の運動では元気にしていました。レースの用意をしている時には気合いが入っていましたね」(尚子さん)
前日輸送でしっかりと体調を整えたエイシンヴァラーは単勝234.3倍の評価を覆し、ゴール前3頭横一線の接戦を制し優勝。尚子さんにとっても重賞初制覇となりました。
「ゲートまで行っていたので、レースは3〜4コーナーしか見られなかったのですが、先生に『勝ったよ』って聞いた時は感激してぶわぁ〜って泣きました。採尿所では2着の人にも祝福していただいて嬉しかったです」(尚子さん)
目指すは園田から韓国遠征
エイシンヴァラーは黒船賞の後はさすがに少し疲れていたといいますが、いまはすっかり元気になっています。
「一時期、暑くなったので早めに扇風機を回したりして、だいぶマシになってきました。今朝も涼しかったので馬っ気を出して、牝馬を見つけて止まっていました(笑)」(尚子さん)
目指すはダートグレード2勝目。次走のかきつばた記念(4月30日、JpnIII・名古屋ダート1400m)はゴールデンウィーク中で渋滞が予想されるため、万全を期して前日入り予定です。その先には海を渡りコリアスプリントも見据えています。
こうして「ダートグレード夫婦」となった小田夫妻は、新子厩舎2階の社宅に居を構えています。仕事時間は深夜1時過ぎから朝10時前までと、午後1時半から3時までは手入れや昼飼い葉つけ、そして夕方5時に夜の飼い葉つけ。一般社会から見ると「ハードそう」と思いますが、仕事時間も休日も一緒。つい先日、阪神競馬場のパドックにはコーヒーを片手に馬を見つめる小田夫妻がいました。
「園田在籍時に僕が担当していた馬が走るんですよ」と翔嗣さん。
「一緒に応援に来ました」と笑う尚子さん。
肩肘張らずに競馬観戦を楽しんでいました。プライベートも仕事も肩に力を入れ過ぎず、足りない部分はお互い支え合っている姿がなにより魅力的でした。
▲プライベートも仕事もお互い支え合っている「ダートグレード夫婦」