今年、2018年は、福島競馬場開設100周年にあたる。開設された1918年は大正7年。富山で米騒動が起きたり、日本が英米仏軍とともにシベリア出兵を実施した年だ。
現在、福島競馬場の看板レースとなっているのは七夕賞だが、かつては天皇賞の前身である帝室御賞典が行われていた。
福島競馬場は、福島の実業界の大物で、のちに衆議院議員になる大島要三らの尽力により、静岡の藤枝競馬倶楽部を移転させる形で開場した。大島は、福島電灯、福島瓦斯などの経営者で、馬主でもあった。1922年に福島競馬場で行われた第1回帝室御賞典の優勝馬ホーンビームは長男の大島長十郎、1925年の優勝馬チヤペルは自身の所有馬で、どちらも鞍上は函館孫作だった。そう、1932年に初代ダービージョッキーとなる、伝説の名手である。こうしたビッグネームのつながりを確認できるのも、節目の年の面白さだろう。
今年はまた、1941年に日本初の三冠馬となったセントライトが誕生(1938年)してから80年でもある。こちらのほうが福島競馬場開設よりも前のようなイメージがあるが、まだ80年。いや、やはり、もう80年という感覚か。
その後の三冠馬出現を見ていくと...。
1964年シンザン
1983年ミスターシービー
1984年シンボリルドルフ
1994年ナリタブライアン
2005年ディープインパクト
2011年オルフェーヴル
1941年から数えると、77年で7頭。10年に1頭も現れないわけだ。
しかし、83年のミスターシービー以降は急に出現率が上がり、35年で5頭だから7年に1頭となる。エポカドーロが三冠馬となったら、それが5.8年に1頭になる。
日本の競馬のレベルが上がり、競走馬全体の能力も底上げされ、差が小さくなっているはずなのに、昔より三冠馬が出やすくなったのはなぜだろう。
調教技術と獣医学の進歩によって、能力の高い馬を壊さずに鍛えることができるようになったからか。
さて、「今年は何の年」に戻りたい。
保田隆芳元騎手・調教師が、ハクチカラとともにアメリカに遠征し、帰国後モンキー乗りを日本に普及させたのが1958年だから、今年で60年。ということは、同年に完成した東京タワーも60周年なのか。
その保田元騎手・調教師がマーチスで皐月賞を制し、騎手として史上初の八大競走完全制覇を達成(1968年)してから50年。達成したのは保田元騎手・調教師と武豊騎手の2人だけだ。
加賀武見元騎手・調教師は完全制覇まで皐月賞、岡部幸雄元騎手は桜花賞、柴田政人調教師はオークス、河内洋調教師は天皇賞・秋、安藤勝己元騎手は皐月賞だけ未勝利のまま騎手を引退した。
現役では、横山典弘騎手と蛯名正義騎手が王手をかけている。横山騎手は桜花賞、蛯名騎手はダービーだけが未勝利だ。なお、岩田康誠騎手は天皇賞・秋と有馬記念、ミルコ・デムーロ騎手はオークスと天皇賞・春、クリストフ・ルメール騎手は皐月賞と春秋の天皇賞を残している。
美浦トレセンが開場(1978年)してから40年。ということは、78年に生まれた競馬学校騎手課程13期生の武幸四郎調教師や勝浦正樹騎手は、今年で40歳になるわけだ。
栗東トレセンにプールが完成(1988年)してから30年。タマモクロスが史上初の天皇賞・春秋連覇を達成した年でもあった。
スペシャルウィークで武豊騎手がダービー初勝利(1998年)を挙げてから20年。これにより武騎手は八大競走完全制覇を果たした。
三浦皇成騎手がデビューし、武騎手が保持していた新人最多勝記録を更新する91勝をマーク(2008年)してから10年。直近の三冠馬オルフェーヴルが生まれた年でもあった。
今年は、10年後、20年後に振り返ったら、どんな年として競馬史に残っているのだろう。
これまでのところ、ニュースとしてのインパクトが強いのは、オジュウチョウサンが中山グランドジャンプを勝ったことによる、史上最多のJ・GI5勝達成だろうか。それを暮れの中山大障害でさらに伸ばすか。
凱旋門賞で日本馬が大仕事をやってのければ、当然トップニュースになるだろう。いつかきっと勝つはずだが、それが今年になるか、もう少し時間がかかるのか。
今回も、とりとめのない話になってしまった。