▲馬房にて穏やかな表情のシンボリグラン
その気性に手を焼かせるも、長く走り続けたシンボリグラン
競走馬として晩年に差し掛かっていたシンボリグランとは、厩舎取材の合間によく顔を合わせていた。グランの隣にいる牝馬がお気に入りだったため、その牝馬と遊んでいるとグランは羨ましそうにこちらを見ていた。厩務員さんから、若い頃は相当気性がきつくて朝仕事に来るのが憂鬱だった、人参をあげると噛みつきそうな勢いで食べると聞いていたので、グランには警戒していた。だがそのエピソードとは真逆の可愛らしい表情でこちらを見るので、鼻面に触れてみようかどうか迷っていると「あげてみれば」と厩務員さんは人参を渡してくれた。おっかなびっくり人参を差し出してみると、グランはそっと顔を伸ばすと私の手から優しい表情で静かに人参を食べた。そんなグランが可愛くなり、いつも厩務員さんから人参をもらっては食べさせていた。引退の日は馬運車で旅立つのを見送り、ニュース記事にもした。グランはnetkiba.comに寄稿するようになったばかりだった当時の思い出の1頭となった。
▲引退時のシンボリグラン(2011年)
引退後のシンボリグランは馬事公苑で乗馬となったのちに、競走馬時代に管理していた畠山吉宏調教師のご子息が在籍していた早稲田大学馬術部に移籍している。グランを取材したくて、早稲田大学には1度問い合わせをしていたが、こちらの都合がつかなくて断念した。気が付けば、数年の時が流れていた。定期的にチェックしている公益財団法人ジャパン・スタッドブック・インターナショナルの引退名馬のHPでグランが、思いがけず近くにいることを知った。いつの間に早稲田から移動していたのだろう。うかつだった。久しぶりにグランに会いたくなった。
シンボリグランは、2002年5月18日生まれの芦毛馬で、間もなく満16歳になる。父はGrand Lodge、母Valixa、その父Linamixという血統で、生まれ故郷のアイルランドからはるばる日本へとやって来た。デビューは2004年の9月の札幌競馬場。芝1800mの新馬戦に松永幹夫騎手(現調教師)が騎乗して、1番人気に推されながらも5頭立ての5着と殿負けを喫してしまう。