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女性騎手のさきがけ! ふたたび競馬場に戻ってきた山本泉元騎手のいま

  • 2018年06月19日(火) 18時01分
馬ニアックな世界

▲元騎手の田島(旧姓:山本)泉さん、現在のお仕事は“誘導馬騎乗者”


かつて2歳馬が「3歳」と呼ばれていた頃、夏の新潟3歳戦・ダリア賞で地方馬とある女性騎手が追い込んで2着という快挙がありました。ほどなくして彼女は妊娠を機に騎手を引退しましたが、18年の時を経てふたたび馬に跨る決意をしました。今度は競走馬ではなく、誘導馬。大井競馬場で華やかな衣装に身を包み、レースを引き立てます。今回の「ちょっと馬ニアックな世界」は騎手を引退しながらも、ふたたび競馬場に戻ってきた元騎手・田島泉さん(旧姓:山本)のお話です。


ダリア賞2着の女性騎手に訪れた転機


 普通の女子高生だった田島さんが騎手の道へと進むきっかけは、オグリキャップの有馬記念でした。

「ラストランの復活劇を見て『カッコイイ』って感動して、近所にあった乗馬クラブ兼牧場に押し掛けて行ったんです(笑)。それまで運動とかも特にはしていなくて、本当に憧れだけでした」

 自身の性格を「頑固でマイペース」という意志の強さが、競馬の世界へいざないました。

「JRA競馬学校を受験したんですが、2次試験でダメでした。その年に初めて女性候補生が合格して、話題になりましたね。次の年に増沢由貴子さん(旧姓:牧原)、田村真来さん、細江純子さんがお入りになりました。ちょうど女性の受験者が増えてきた時代じゃないかなと思います。私はその後、地方競馬教養センターを受験し、合格しました」

 当時、地方競馬には今よりも多くの女性騎手が在籍していました。地方競馬教養センターに入学した田島さんの同期にも他に2人、女性騎手候補生がいたといいます。

元女性騎手同士の掛け合い!山本泉さん×赤見千尋さんのインタビューも公開中

 1995年4月、大井競馬からデビュー。

「あの頃、船橋には女性騎手が多くいたんですが、大井は私だけだったので、遠征で女性騎手が来ると嬉しくて、彼女たちを捕まえて喋っていました(笑)」

 ハツラツとした笑顔で振り返りますが、田島さんが初勝利を挙げたのはデビューから1年1カ月後でした。そして99年に新潟競馬に移籍。騎手として歯がゆく悔しい時間を過ごしながらも、移籍して現役を続ける決断をしたということは、それだけ競馬や騎手という職業が好きだったのでしょう。その思いは、移籍先の新潟で素敵な馬との出会いに繋がりました。

 馬の名前はナッツベリー。当時3歳(旧齢)で、JRAに挑戦しダリア賞は9頭中8番人気ながら追い込んで2着。

「新潟競馬場は地方競馬でも同じコースのダートを使用していましたが、芝コースで乗るのは初めて。軽くて、伸びるのが気持ちよかったです」

馬ニアックな世界

▲「芝コースで乗るのは初めて。軽くて、伸びるのが気持ちよかったです」


 その後、新潟3歳Sにも出走し7着。しかしこの頃、田島さんのお腹には新しい命が宿っていました。

「騎手を続けるか産むか迷ったんですが、病院でエコーを見たら、『迷ってごめん』って本当に思いました」

 騎手に限らず、女性がキャリアを考える上で妊娠・出産は一つの転機になるでしょう。

 田島さんは騎手を続けたい一心で大井から新潟にやってきました。JRAで爪痕を残すこともできた矢先の妊娠でしたが、お腹の中で芽生え始めた母としての思いが引退へと導いたのでしょう。

 騎手を引退し、出産・育児に専念。2人の男の子の母になりました。

「しばらくは馬から離れていました。夫が大井競馬場で厩務員をしているので、厩舎に行って馬を見たりしていましたが、自分としてはすごく離れている感じがしました。でも、子供たちが小学校低学年になり自分の時間に余裕ができたこともあって、大井競馬場の馬車馬たちのお世話をし始めたんです」

 大井競馬場でファンを乗せるスタークルージングの馬車馬のお世話を始めました。

「馬車馬にも魅力があって、大人しくてすごく可愛いんです。甘えてきたりもしますし、馬って言うより巨大な動物かな(笑)。とっても可愛かったです」

「誘導馬は『はぁぁ』ってため息をつきながら、私に付き合ってくれるんです」


 そんな頃、「ずっと機を窺っていたんです」というチャンスが巡ってきました。

「やっぱりね、馬に乗りたいなって思っていたんです。馬車馬は可愛かったですが、乗ることはなくって。そんな時、誘導馬厩舎の坂口厩舎長が半ば冗談だと思うのですが、『泉ちゃん、乗ってみない?』って言ってくれたんです。だんだん私が真に受けてというか、本気になって、去年の暮れに坂口さんに正式に『誘導馬に乗りたい』とお願いをしました。検討していただいて、決定したのは今年の1〜2月ですね」

 3月から週末に誘導馬に乗る練習がスタートしました。

「きちんと馬に乗るのは本当に久しぶりで、最初は『乗れるのかな?』って心配でしたが、なんとなく乗れました。筋肉痛にはなりましたけどね(笑)。どうしても競馬の格好で乗っちゃうので、前傾姿勢になっていまうんです。乗馬の姿勢をいま教わっています。『はい、背筋伸ばして。肩下げて!』みたいな感じで。鐙の長さもハミの掛け方も、何から何まで乗馬と競馬とでは全然違いますね。練習に来た時は先輩たちの乗り方を見たり、乗っているところを動画に撮ってもらっています。家に帰るとその動画を見て、乗馬の本を読んで、勉強ですね」

馬ニアックな世界

▲「どうしても競馬の格好で乗っちゃうので、乗馬の姿勢をいま教わっています」


 4月16日、ナイキスターゲイザに跨り、大井競馬場で誘導馬騎乗者デビューを果たしました。

「競走馬に跨って本馬場入場していた時とは気持ちが違いますね。お客さんも馬のことも落ち着いて見ることができます。スタンドにお客さんが多いとすごく楽しいですし、誘導馬を撮ってくださる方もたくさんいるんですよ。誘導馬のことを現役時代からずっと追いかけているんだよっていうファンの方もたくさんいらして、いまだに声を掛けていただいているんです。『クリールマグナムで万馬券を獲ったんだ』とか。大井の誘導馬たちは競走馬としてここで走っていましたから、すごく愛されているなって感じますね」

 同じ馬でも、競走馬、馬車馬、乗馬と違った関わりをし、日々勉強中という田島さんはとても生き生きとした表情をしていました。

「騎手時代よりも馬と深い関わりをさせていただいています。現役時代は調教とレースだけでしたが、今は朝、厩舎に行って『おはよう』って声をかけて、馬房に入って手入れや馬房掃除。馬装をして乗り終えると、体を洗ってご飯を食べさせてあげます。1頭1頭に対する理解も深まりました。

 でも、私は不器用なのでタテガミを編むのが苦手で。こないだ、やっとなんとなーくできるようになったくらいなんです(苦笑)。たてがみはすごく柔らかくて編みやすいんですけど、私がこんがらがってしまって。ナイキが『はぁぁ。まだ終わんないの?』とでも言いたそうにため息をつきながら、じっと付き合ってくれるんです」

 大井競馬場には田島さんの誘導馬騎乗者デビューの相棒となったナイキスターゲイザの他にも2007年帝王賞勝ち馬のボンネビルレコード、2013年京成盃グランドマイラーズ勝ち馬のセイントメモリー、クリールマグナムと計4頭の誘導馬が在籍しています。

「誘導馬ってね、1頭1頭性格が人間のように違うんですよ。人間みたいに頑固だったり、冷静で頼りがいがあるけどワガママで3歳児みたいなところもある馬、すごくクールだけどご飯のことばかり考えている馬も(笑)。そんな個性を『南関誘導馬魂』(https://ameblo.jp/nankan0404/)というブログで南関東4場の誘導馬担当者がアップしているので、ぜひ見てほしいですね。誘導の合間に個性が見えることもあるんですよ」

 誘導馬や騎乗者はシフトを組んで担当を決めているそうです。田島さんは1開催中3〜4日、1日に約4レースの誘導を担当。

 かつて病院で「迷ってごめんね」と謝ったお腹の赤ちゃんは、高校3年生になりました。

 騎手として奮闘していた田島さんは、子育て期間を経てふたたび馬上へ。勝負服とはまた違った華やかな誘導衣装に身を包み、別の側面から競馬に携わっています。

競馬リポーター。競馬番組のほか、UMAJOセミナー講師やイベントMCも務める。『優駿』『週刊競馬ブック』『Club JRA-Net CAFEブログ』などを執筆。小学5年生からJRAと地方競馬の二刀流。神戸市出身、ホームグラウンドは阪神・園田・栗東。特技は寝ることと馬名しりとり。

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