「競馬と鉄道」が、学術研究の領域に達してきました
競馬が秋のG1シーズンに突入して、一段とおもしろさを増している今日この頃。ですが、実は私、ひょっとしたらレース予想以上におもしろくなるんじゃないか?ということをいっぺんに見つけちゃって、うれしい悲鳴をあげているところです。
きっかけは、くどいようですが「競馬と鉄道」という本を上梓したこと。それに、週刊競馬ブックに「今はなき競馬場を探す地図の旅」という記事を連載したことも重なっています。
それにまつわる資料探しや現場取材をしているうちに、新たな発見がありました。
まずは先日、大正時代から昭和初期まで存在していた競馬場の跡を訪ねて、太宰治の出身地として有名な青森の金木(かなぎ)に出かけたときのことから。その場所のそばに、「保食神社」という神社が建っていました。
当日はそのまま素通りしてしまったのですが、後で調べてみると、それは「うけもち神社」という由緒正しい社(やしろ)で、境内には御神馬の石像が立っているといいます(そのとき見ておけばよかった!)。
「保食神社」は、東北各地を中心に全国各地にあって、馬頭観音や牛頭観音のルーツだということもわかりました。
そして、競馬場を作った地元の有志(それには、太宰治の父・津島源右衛門も名を列ねています)たちがこれを“守護神”としたらしいのです。事実はどうなのでしょうか?今、調査を続けています。
次に、その関連で大正末期から昭和初期にかけての競馬成績書を繰っていたところ、今でいう中央競馬の出走馬の中に、東京・白金猿町と目黒で生産された馬がいるのを見つけました。なんと、東京で競走馬が生産されていたようなのです!
目黒には東京競馬場のルーツとなる目黒競馬場がありました。白金猿町は今の港区高輪3丁目あたり。目黒競馬場からそんなに遠くないところです。とはいえ、どんな人が生産に携わっていたのか、ちょっと調べてみたくなってきました。
そしてもう1つ。これはハッキリ言って“目からウロコ”の大発見です。でも、今は詳しく書けません。もったいぶっていて、どうもすみません!
ヒントは、これぞ「競馬と鉄道」。ほぼ同じテーマで書かれた研究論文が見つかったんです。しかも、両者に深いつながりがあった、なんていうナマやさしいものではなく、鉄道が競馬に大きな影響を及ぼした、という内容!いよいよ「競馬と鉄道」が、学術研究の領域に達してきました。さぁ、どうしましょう?
なんてことにあれこれと首を突っ込んで、にわかに忙しくなってしまいました。菊花賞は、ここ20年でダービー8着以下→秋初戦敗戦という馬がけっこう馬券圏内に来ているので、グレイル、タイムフライヤー、ステイフーリッシュをどう絡めて買うか、いつものように頭を悩ませているところでもあります。