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ダート競馬の本場・北米から参戦する“パヴェル”とは

  • 2018年11月28日(水) 12時00分

茨の道に答えを求め、トップホースに挑み続けた


 今週に日曜日(12月2日)に中京競馬場で行われるG1チャンピオンズC(d1800m)に北米から参戦するパヴェル(牡4)をご紹介したい。

 母モンズヴィーナスは未出走馬だったが、母の2番仔で、本馬から見ると7歳年上の半兄に、G2デルマーマイル(芝8F)、G2ロバート・B・ルイスS(AW8.5F)、G3デイトナS(芝6.5F)と3つの重賞を制した他、G1フランク・E・キルローマイルS(芝8F)2着、G1シューメーカーマイルS(芝8F)2着などの実績を残した活躍馬カラコータードがいるという、血統背景を持つのがパヴェルだ。

 カラコータードはドン・ブラハット氏の自家生産馬だったが、カラコータードが5歳を迎えた2012年1月、ブラハット氏はモンズヴィーナスをキーンランド・ジャニュアリーセールに上場。同馬は25万ドルで、エアドリー・スタッドのブレレトン・ジョーンズ氏と、ウィンスター・ファームのパートナーシップに購買された。

 翌2013年、モンズヴィーナスにエアドリースタッドで供用されていたクリエイテイヴコーズが交配され、2014年4月23日に母の7番仔としてケンタッキーで生まれたのがパヴェルである。

 父クリエイティヴコーズ(その父ジャイアンツコズウェイ)は、サンタアニタに2歳G1ノーフォークS(d8.5F)を含む3重賞を制した他、G1デルマーフューチュリティ(AW7F)2着、G1サンタアニタダービー(d9F)2着、G1BCジュヴェナイル(d8.5F)3着、G1プリークネスS(d9.5F)3着などの実績を残した後、2013年にエアドリー・スタッドで種牡馬入り。その初年度産駒の1頭となるのがパヴェルである。

 当歳秋にキーンランド・ノヴェンバーセールに上場され、マクマホン&ヒル・ブラッドストックに9万ドル(当時のレートで約1040万円)で購買されている。

 その10か月後、キーンランド・セプテンバーセールに上場されて転売が図られたが、販売側の思惑通りには値が上がらず、ここでのパヴェルは8万ドルで主取りに終わっている。

 ポール・レダム氏のレダム・レーシング社の所有馬となり、西海岸に拠点を置くレダム氏の主戦調教師ダグ・オニールが営む厩舎の一員となったパヴェルは、3歳7月にサンタアニタのメイドン(d6.5F)でデビュー。ここを4.1/2馬身差で快勝して、緒戦勝ちを飾った。

 陣営が同馬の2戦目に選択したのが、4週間後に東海岸のサラトガで行われたG2ジムダンディーS(d9F)で、G1ケンタッキーダービー馬オールウェイズドリーミングや、G1プリークネスS(d9.5F)勝ち馬クラウドコンピューティングらとぶつかることになった。陣営はこの当時から、パヴェルの潜在能力を「G1級」とにらんでおり、だからこその重賞挑戦だったのだが、さすかにいきなりこのクラスが相手では荷が重かったようで、パヴェルは勝ち馬から5.1/2馬身遅れた、5頭立ての4着に敗れた。

 それでも陣営は、パヴェルの3戦目にパークスのG3スマーティージョーンズS(d8.5F)を選択。ここを6馬身差で制して重賞初制覇を果たしたから、陣営の見立てはあながち間違っていたわけではなかったのだ。ちなみにパヴェルのG3スマーティージョーンズS優勝が、父クリエイティヴコーズにとっても産駒の重賞初制覇となった。

 そして、陣営が同馬の次走に選んだのが、古馬の一線級が集まるベルモントパークのG1ジョッキークラブGC(d10F)で、ここはさすがに相手が強いかと見られたのだが、パヴェルはここでも勝ち馬ディヴァーシファイから1.3/4馬身差の3着に健闘。古馬ダート戦線の最前線で戦う力があることを実証して見せたのだった。

 ところが、そこからしばらく、パヴェルは茨の道を歩むことになる。

 多少なりともメンバーの薄いところを狙っていけば、重賞の3つや4つは簡単に獲れそうなところを、相も変わらず陣営は、ダート中距離路線のバリバリのトップホースたちが集まるレースにのみ照準を絞って、パヴェルを戦いの場に赴かせたのだ。

 G1BCクラシック(d10F)が勝ち馬から34馬身差の10着、G1マリブS(d7F)が勝ち馬から5.1/2馬身差の4着で、3歳シーズンを終了。

 G2サンパスカルS(d9F)をひと叩きし4着となって挑んだ、メイダンのG1ドバイワールドC(d2000m)が勝ち馬から7.3/4馬身差の4着。帰国後8週間ほどで使ったG1ゴールドCアットサンタアニタS(d10F)も、勝ち馬から9.3/4馬身差の4着と、目指すG1のタイトルは、目一杯伸ばした手の、まだだいぶ先にある印象を拭えなかったのだった。

 だが、陣営の執念がついに実る時が来た。

 4歳シーズン4戦目となった、6月16日にチャーチルダンズで行われたG1スティーヴンフォスターS(d9F)で、道中4番手追走から、4コーナーの途中で先頭に立つ積極的な競馬を見せ、最後は後続に3.3/4馬身という決定的な差をつけてパヴェルは優勝。G1初制覇を果たしたのだった。

 続いて出走した、デルマーのG1パシフィッククラシック(d10F)でも、アクセレレイト(牡5)2着に健闘。しかし、後に制するG1BCクラシック(d10F)を含めて、18年の1シーズンだけで5つものG1を手中にしたアクセレレイトからは、12.1/2馬身も離された2着であった。

 そして、2年連続での出走となった前走のG1BCクラシックでも、勝ったアクセレレイトから9馬身離された10着に終わっている。

 ジャパンCダートという名称で施行されていた時代を含めて、このレースを制した遠征馬は、2005年のフリートストリートダンサーのみだ。そのフリートストリートダンサーを手描けていたのがダグ・オニールだから、パヴェルのチャンピオンズC参戦は、まずはそのあたりの線から浮上した構想だろうと推察される。ただし、チャンピオンCにおけるパヴェルは、オニールのアシスタントであるレアンドロ・モラの管理馬としての出走となっている。

 また、スティーヴンフォスターSを制している同馬には、チャンピオンズCを勝てば70万ドル、2着でも28万ドル、3着でも17万5千ドルが支給される予定で、このあたりも来日を促した要因であろう。

 ダート競馬の本場・北米においてパヴェルは、超一線級とまでは言えないまでも、トップリーグに所属する1頭であることは間違いない。中京の路面をこなすことが出来れば、ボーナスを手にする可能性はおおいにあると見ている。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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