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平成元年そして30年

  • 2018年12月12日(水) 18時00分
生産地便り

平成時代は空前の競馬ブームの到来とともに幕を開け、その人気の中心にいたのがオグリキャップ


空前の競馬ブームの到来ともに大きな注目を集めた「平成三強」


 今年も残すところあとあとわずかとなった。平成の年号は来年新しく変わり、また一つの時代が終わろうとしている。そのこともあって、この年末は、平成時代の30年間を総括するようなテレビ番組が目につく。

 30年といえばかなり長い時の流れであり、世の中もまたかなり大きな変化を遂げた。もちろん競馬においても、平成元年と今年を比較してみると、驚くほどの様変わりだ。因みに、次に平成元年のGI競走優勝馬を列記してみる。

 桜花賞 シャダイカグラ(武豊)日高
 皐月賞 ドクタースパート(的場均)新冠
 天皇賞・春 イナリワン(武豊)日高
 安田記念 バンブーメモリー(岡部幸雄)浦河
 オークス ライトカラー(田島良保)浦河
 ダービー ウィナーズサークル(郷原洋行)茨城
 宝塚記念 イナリワン(武豊)日高
 天皇賞・秋 スーパークリーク(武豊)日高
 菊花賞 バンブービギン(南井克己)浦河
 エリザベス女王杯 サンドピアリス(岸滋彦)新ひだか(静内)
 マイルチャンピオンシップ オグリキャップ(南井克己)新ひだか(三石)
 ジャパンカップ ホーリックス(ランス・オサリバン)ニュージーランド
 朝日杯3歳ステークス アイネスフウジン(中野栄治)浦河
 阪神3歳ステークス コガネタイフウ(田原成貴)伊達
 有馬記念 イナリワン(柴田政人)日高

 こうして並べてみると、現在とはまるでGI馬の生産地が異なっているのが歴然としている。

 この年のダービーは史上初の「茨城」産馬ウィナーズサークルが優勝し、話題となったが、その父はシーホークで、浦河にて繋養されていた種牡馬である。シーホークはこの翌年のダービー馬アイネスフウジンも輩出し、2年続けてダービー馬の父となった。

 コガネタイフウは伊達の黄金牧場生産馬で、この年の平地GI馬では唯一の胆振産馬。そして、残り全てが、ホーリックスを除けば、いずれも日高管内の生産馬で占められている。

 平成時代は、空前の競馬ブームの到来ともに幕を開けた。その人気の中心にいたのが、言うまでもなくオグリキャップで、イナリワン、スーパークリークとともに「平成三強」としてファンから大きな注目を集めていた。

 オグリキャップは前年(昭和63年、1988年)の有馬記念を制していたが、この年の前半を繋靭帯炎のため休養を余儀なくされ、福島の競走馬総合研究所常磐支所にて温泉治療を行っていた。オグリの復帰は9月のオールカマー。それ以後、毎日王冠を経て、天皇賞・秋、マイルチャンピオンシップ、ジャパンカップ、有馬記念と常に人気を背負いながら善戦していた。とりわけ毎日王冠以降、有馬記念に至るまでの過酷なローテーションに対する批判も多く、いつも話題の中心にいた。

 私事ながら、この年のジャパンカップを一般席で現地観戦したことが忘れられない。友人たちと訪れた東京競馬場は、文字通り「凄まじい大混雑」であった。午後になると、スタンド内は一切身動きのできないほどの人、人、人。やっと「確保」した階段の一角の手すりにつかまりながら、ついにパドックはおろか、馬券すら買いに行けずに終わった苦い思い出がある。因みに、その翌年、アイネスフウジンの勝ったダービー当日が、東京競馬場の入場人員レコード(19万6517人)で、今もなお語り草になっているほどだ。

 それには及ばなかったとはいえ、このジャパンカップ当日も、おそらく16万人〜17万人くらいは入っていたものと思われる。競馬ブームの凄まじさを目の当たりにした貴重な経験であった。

 余談ながら、このジャパンカップでは、オグリキャップとホーリックスとの組み合わせで2−2(当時は枠連しかなかった)の的中馬券を友人が5万円当てて(配当は300万円以上になった)狂喜乱舞していたことも懐かしい思い出だ。時計も2分22秒2で、この記録は長い間破られなかった。

 生産地にいると、競馬ブームを実感する機会はあまりなかったが、それでも、今思えばこの頃は日高を訪れる競馬ファンがひじょうに多かった気がする。とりわけオグリキャップは新ひだか町三石の小さな牧場で誕生し、笠松競馬でデビューした後中央入りしたサクセスストーリーを地で行くアイドルホースだったために、当然のことながら、生産者の稲葉牧場もまた競馬ファンの「巡礼地」のような様相を呈した。「あの頃、一夏で1000人は来訪したと思う」と生前の稲葉裕治さんからうかがったことを記憶している。

 その後、オグリキャップは翌平成2年暮れの有馬記念で劇的なラストランを飾り、多くの人々に強烈な記憶を残したまま惜しまれて引退した。平成3年(1991年)1月には、京都、中山、そしてデビュー後である笠松でも引退式を挙行し、いずれも大変な入場人員を記録した。たまたま私はこの京都競馬場での引退式を間近で見る機会に恵まれたが、後にも先にも京都のスタンドがあれほど混雑していたのは見たことがない。

生産地便り

後にも先にも京都のスタンドがあれほど混雑していたのはオグリキャップの引退式でしか見たことがない


 オグリが走路に姿を現すと、スタンドからは歓声とも悲鳴ともつかない声が上がり、最前列に陣取ったぬいぐるみを胸に抱えた熱狂的なファンが泣きながらオグリとの別れを惜しんでいた光景が忘れられない。

 それにしても、上記の中央GI優勝馬に、社台ファーム生産馬がいないというのも、今思えば不思議な気がしてくる。当時からすでに社台ファームは常に生産者ランキングのトップを独走していたが、有力馬の多くが日高産馬で占められていた時代であった。

 以来、約30年。まさに隔世の感がある。ついに先週の阪神JFにて、ノーザンファームが13個目のGIレースを制覇し、記録を更新したばかり。平成最後の年は、ノーザンファームと外国人騎手の台頭が象徴的な年として語り継がれることになるのかも知れない。とはいえ、日高産馬の奮起もまた競馬人気を支える大きな要素のひとつではある。オグリキャップ再来とは言わぬまでも、日高産馬の中からのヒーロー誕生が待たれる。

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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