▲チョンファ競馬場の第1ゲート。中国と香港の国旗、そしてHKJCの旗が掲揚されている
(取材・文=須田鷹雄)
香港ジョッキークラブが中国本土にトレーニングセンターを作った、というニュースを目にした方は多いことだろう。今回現地で見学・取材する機会があったので、その様子と筆者の感想をお伝えしたい。
今年の8月28日に正式オープンしたこの施設は、名称を「從化馬場」という。計画時にはトレーニングセンターと呼ばれていたが、最終的には「馬場」=競馬場、の呼称となった。横文字ではConghaなのでコンファと読みそうだが、実際には「チョンファ」と発音される。
チョンファは広州市の中心部から北東約100kmにある町で、2010年にはアジア大会の馬術競技が行われた。温泉などのあるリゾート地として知られているようである。香港からは車で片道4〜5時間かかる。
この從化馬場(以下チョンファ)はどのような施設なのか。まず第一の役割は沙田競馬場に対するバックアップ基地、外厩のような機能である。ルール上、レースの2日前までにチョンファ→沙田と移動すれば、馬はレースに出走できる。現状ではチョンファで追い切る厩舎は少数派(沙田に早めに移動して通常の調教を行う厩舎のほうが多い)のようだが、将来は増える可能性がある。
ただこの体制を作るのも容易なものではなかった。防疫上の体制が整っていない中国本土から香港へ馬を出入りさせることは、香港競馬の清浄性を低減させることになる。この点を解決するために、香港ジョッキークラブ(以下HKJC)と広東省政府は、香港〜チョンファの領域を馬の疾病が無い地域(EDFZ)とすることを目指してきた。
その取り組みで最も分かりやすいのはチョンファの施設デザインで、厩舎地区に入るまでには3つのゲートを通る必要があり、最後のゲートから厩舎地区に入る際は外来者の登録や持ち込み所持品制限などをクリアしなくてはならない。
▲厩舎地区など最も厳しいバイオセキュリティゾーンに入るための第3ゲート
▲馬運車を含む車両はここで洗浄されてからバイオセキュリティゾーンに入る
車両の消毒もあり、馬運車については香港〜チョンファ輸送のため専用に設計されたものが使われている。さらに施設は外部から動物が侵入することを防ぐため、地上部分には上端に電流が流れる柵がめぐらされ、その基礎は地中6メートルまで築かれている。
これにより香港と他国が国際交流のために結んできた二国間協定は基本的に維持されているが、検疫問題に厳しいオーストラリア政府は新しい体制を認めず、現状香港→オーストラリアの馬輸送は事実上できなくなっている(第三国での着地検疫を経る必要がある)。
香港側はその解決を模索しているが、オーストラリアの競馬関係者を同意させることはともかく、政府を納得させることは容易でない。それを解決するためには、ハードだけでなくソフトも含めた、厳格な防疫体制の維持が必要だろう。
一方、調教基地として以外の存在意義はなにか。HKJCのCEO・ウィンフリード・エンゲルブレヒト-ブレスケス氏が挙げる点はいくつかある。中国本土における馬事文化の育成、チョンファでの(馬券を伴わない)競馬開催による観光開発、中国本土出身のホースマン育成などである。
ただそれを字句通りに受け入れるのは難しい。口に出さずとも究極の目標が中国本土での馬券発売を伴う競馬開催であることは容易に想像できる。現状はそのコンセンサスを形成するための下地づくりというところだろう。その中で唯一リアリティがあるのは人材育成で、チョンファでは騎手養成の第一段階が行われるほか、獣医、装蹄師、ライダーの養成も行われつつある。
▲騎手養成の第1段階もチョンファで行われ、厳しい指導がなされている
では他に、現時点でリアリティを感じられるチョンファの役割はなにか。そちらについてもブレスケス氏が語る点はいくつかあり、聞く側としても内容的に受け入れやすい。
それは馬房増による効果だ。沙田とトータルでの馬房数が増えることにより、沙田側には競走に対して臨戦態勢の馬だけを集めることができる。チョンファを、疾病を持つ馬や休養馬、ストレスの少ない空間を必要とする馬、レースまで時間のある馬などが利用すれば沙田の運用効率が良くなる。
▲2000mのスタート地点となるシュート奥から、休養馬放牧地を望む
▲現在チョンファで休養中の馬たち
また、馬主はいままでより購買馬の輸入時期を早めて、チョンファにおいて日本で言う「後期育成」を行うこともできる。さらに開場から40年が経過した沙田は施設改修が必要になりつつあり、その場合にもチョンファの存在が生きてくる。
休養馬については、放牧地が20面しかないなど頭数が限られるが、馬にとって良い環境であることは間違いないだろう。診療所も沙田と同様の環境が用意されており、将来的にはCTやMRIといった機器も導入されるそうだ。リハビリのためのハードも揃っている。
▲診療所には最新の設備が整い、沙田と同様の治療体制が用意されている
▲リハビリ厩舎にはウォータートレッドミルのほか、馬用のジェットスパも設置されている
すべての施設を沙田と同等かそれ以上にというのがチョンファの基本設計になっており、厩舎のスペースには余裕があるし、馬房も広い。ウォーキングマシーンは厩舎ごとに設置されており、さらにはプールもあって、調教にバリエーションもつけられる。
▲厩舎はスペースを贅沢に使った作り。手前が洗い場で、奥が馬房
▲厩舎では屋内に砂浴びのできるスペースが用意されている
▲馬房の作りは沙田の国際厩舎と同様で、広さも十分
▲直線、周回、いずれの形での利用も可能なプール
ただ唯一残念なのが、今回鳴り物入りで導入された坂路コースだ。路面が芝というところにも疑問符がついていたが、実際に見学すると斜度が全く足りない。1.5%とのことで、栗東の調教タイム計測区間が2.0〜3.5%、民間外厩にはそれ以上のものがあることを考えると、「強い馬づくり」のための負荷としてはちょっと不足してしまいそうだ。
▲坂路コースの路面は芝で、斜度は正直物足りないところ
調教にもそして将来のレースにおいても使われる周回コースは、沙田と同様のスケールであり、十分な内容である。バミューダ芝に時期によってライグラスをオーバーシードする芝コースは周長2000mで直線400m。直線には沙田と違い1%の上り勾配が設けられている。また2箇所のシュートがあり、距離設定のバリエーションを増しているが、沙田にあるホーム側1000m直線の設定はない(バック側には直線1000mのハロン棒があった)。
内側には大小2本のバークチップによるオールウェザーコースがある。大きいほうのコースにはゴール板が設置されているので、レースでも使用されるのだろう。
▲メインのオールウェザーコースを使った調教風景
現在は調教にのみ使用されているチョンファ「競馬場」だが、2019年3月23日にははじめてのショーケースレーシング(エキシビジョンレース)が予定されている。この開催の内容と盛り上がりによって、チョンファの競馬場としての方向性が見えてくる可能性もある。
▲ゴール板付近から4コーナー方向を望む。直線は400m
▲ゴール板だけでなく優勝馬の口取り用枠場も沙田と同様のものが用意されている
競馬開催の準備はかなり進んでいる。装鞍のための枠場が沙田より多い(香港ではパドック周回直前に装鞍するが、沙田は枠場がほとんど無い)など、改善されている面もある。
検量室、裁決室、ジョッキールームなどはほぼ完成しており、救護室は調教中の事故もあるので既に稼動している。グランドスタンドはこの開催時点では仮設になるが、将来的には作る予定があるとのこと。パドックはもう完全に出来上がっている。
▲検量室の様子。体重計の設置はこれから
▲ジョッキールームの様子。3月23日のレースで初使用される予定
▲落馬事故などがあった場合には場内で応急的な治療を行えるほか、地元の病院とも連携している
▲手前がパドック。奥の白いテントは、将来グランドスタンドになるスペースに設置された、臨時の観覧席
2019年は競馬場としてもトレセン・外厩としても、チョンファの真価が問われる年になるだろう。開催の盛り上がりは現地における競馬の方向性を定めることになる。調教面では、約150頭→約250頭と同時利用頭数が増える予定で、さらにシーズン終了時にチョンファが正式存在する初めての年ということにもなる。
これまで超一線級の利用は少なかったが、シーズン終了時に増える可能性もある。また、既に「前走後チョンファを利用した馬」はレースごとにアナウンスされるようになっているが、香港のファンがどう予想ファクターとして消化していくのかも興味深い。
いずれにしても、これだけの投資をしている以上、HKJCにはそのメリットを享受して欲しいものだ。ブレスケス氏はHKJCの基本方針として「量は追求せず、質を追求していく」と語っている。
しかしいちばん良いシナリオが実現すれば未来において量と質を両立させられるはず。その第一歩を、いま我々が目撃している可能性もある。