人のつながりの縁で佐賀へ移籍、グレイトパール佐賀記念へ!
佐賀で復活を期すグレイトパール
松の内も明けてしまいましたが、今年もよろしくお願いします。このコラムも以前の『地方競馬に吠える』というタイトルだったころからずいぶん長く続けさせてもらっていて、いつからだろうと思って自分のパソコンに保存されている過去の原稿を遡ってみたところ、どうやら2006年5月に始まったらしい。
今年5月に平成から新元号に変わるのとともに、このコラムも14年目。重ねてよろしくお願いします。
年明け初回は、「なぜこれほどの馬が中央から佐賀へ?」とネットでも話題になっているグレイトパールについて取り上げてみたい。
グレイトパールは、2013年セレクトセール(当歳)において3150万円で代理人が落札、カタールのファハド殿下の所有馬として2016年1月、3歳時に京都でデビューした。芝の新馬戦を勝ったものの、その後の2戦は着外。
ダートに路線変更すると500万条件から2017年4歳時の平安Sまで5連勝。レース後に軽微な骨折が見つかり休養するが、11月ぶりの復帰戦となった2018年のアンタレスSも制し、ダートでは無敵の6連勝。このあたりまで、多くの人がダートGI戦線での活躍を期待したのではないだろうか。
しかしその後の3戦は結果を残せず。昨年11月にJRAの登録を抹消となったが、その経緯については中内田充正厩舎の公式サイトのニュース「ありがとうグレイトパール号」(http://nakauchida.com/news/3739/)をご覧いただきたい。
佐賀の川田孝好厩舎に移籍したグレイトパールは、12月24日の周防灘特別(1400m)を7馬身差、1月6日の準重賞・雷山賞(2000m)を9馬身差と、当然のように楽勝で2連勝とした。
まずは移籍の経緯について、川田孝好調教師にうかがった。
「これはもう、人のつながりの縁です。中内田調教師のおじいさんがウチで馬主をしていたことがあって、息子(川田将雅騎手)が乗っていたこともあって、そういう話になりました」
JRAでのオーナーだったファハド殿下は、結果がでなくなったことで「(賞金)1億4000万円、十分に稼いだから」ということで、現在のオーナー(高野哲氏)にトレードされ、そのタイミングでの移籍となったそうだ。
JRAでの最終出走となったブラジルC(10着)の馬体重が554kg。そして佐賀での2戦はともに571kgで出走と、かなり馬体が増えている。
「グリーンウッド・トレーニングで2週間ほど乗り込まれて、ウチに来たときは560kgあって、まるっこくて太いような感じでした。
その後、調教を積んだら体がシュッとなったと思ったんですが、計ったら570kg。体重は増えていましたが、体は引き締まっていたし、ものすごく汗もかくので、これでいいのかなと思いました。レースではさらに1kg増えて571kgでの出走でした」
初戦の周防灘特別は中団追走から3コーナー過ぎで先頭、続く雷山賞は好スタートも3番手に控え3コーナー手前で先頭、ともに直線ではほとんど追われないままの楽勝だった。
「こちらに来てからは、飼葉も調教も手探り状態で、2戦してようやくわかってきたかなという感じです。人間のほうが覚えていかないといけないことが多いですね」
先の雷山賞は、2月11日に行われる佐賀記念(JpnIII)のトライアルで、1着馬に優先出走権が与えられる。佐賀記念を目指しての移籍かと思ったのだが、そうではなかったらしい。
「たまたまタイミングがそうなっただけです。転入馬は2戦以上しないと佐賀記念には出走できません。それでも佐賀記念に間に合いそうということで、初戦から雷山賞は少し強行軍(中12日)になりましたが、さすがにここでは力が違いました。
環境から何から、すべて変わっているので、中央で連勝していたときの状態と比べてどうなのかはわかりません。ただ、そのときに近い状態で出せるようにはと思っています」
佐賀で行われているJpnIIIの佐賀記念、サマーチャンピオンでは、地方他地区からの遠征馬はそれぞれ何頭か勝っているが、地元佐賀所属馬が勝ったのは、1996年佐賀記念のリンデンニシキのみ(当時のレース名は開設記念)。
中央との交流になって2年目のことで、当時はまだ統一グレードがない交流重賞だった。
佐賀記念ではこれまでの2戦同様、鮫島克也騎手が鞍上予定とのこと。20年以上ぶりに地元馬に栄冠となるかどうか、グレイトパールにかかる期待は大きい。勝てば、もちろん「あっぱれ!」だ。