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【短期集中連載】たった一度っきりの“マッチレース” 1996年阪神大賞典−ナリタブライアンvsマヤノトップガン−(第1回/全7回)

  • 2019年03月10日(日) 18時00分
ナリタブライアン

▲ 今も語り草となっているナリタブライアンとマヤノトップガンによるデッドヒート(1996年阪神大賞典)


1996年3月9日。阪神競馬場のメインレース、阪神大賞典で繰り広げられた2頭の年度代表馬によるデッドヒート。あれから20年以上たった今なお、同じブライアンズタイムを父に持つナリタブライアンとマヤノトップガンによる“合わせ鏡”のようなマッチレースを、「史上最高のGIIレース」と評する声は多い。あの“名勝負”はいかにして生まれたのか。当時を振り返り、その背景に迫る。

(文=軍土門隼夫、写真=下野雄規、小金井邦洋、JRA、netkeiba)

第1章 プロローグ 〜歴史に残る「マッチレース」


 いわゆる競馬の「名勝負」は、いくつかの典型的な形に分類される。手に汗握る大接戦や、その正反対の派手な圧勝、あるいは大逆転劇などは、そこにレベルの高さや背景の物語性を伴ったとき、長く後世まで評価されるものとなる。

 そんなパターンのひとつに「マッチレース」がある。でもじつは、いざその形の「名勝負」の例を思い出そうとすると、案外と少ないことにも気づかされる。

 最後の直線で2頭が抜け出し、後続を引き離して競り合う「名勝負」はたくさんある。1981年天皇賞(秋)のホウヨウボーイとモンテプリンス。1993年天皇賞(秋)のヤマニンゼファーとセキテイリュウオー。2012年ジャパンCのジェンティルドンナとオルフェーヴル。まさに枚挙に暇がない。でも、それらは確かに「一騎打ち」だけど、「マッチレース」と呼べるまでのものではない。

ナリタブライアン

▲ ヤマニンゼファーとセキテイリュウオーが叩きあいを演じた1993年天皇賞(秋)はハナ差の決着だった



 もともと「マッチレース」という言葉は、最初から2頭だけの、他に出走馬のいない状態で行うレースを指している。高額な賞金をかけて行われるが、レース体系のなかで確固たる位置づけを持つものではなく、興行的な色合いが濃い。というか、ほぼその動機しかない。

 日本では記録に残る形で行われた例はない。しかし、かつて欧米ではよく行われていた。とくに20世紀に入ってからは、アメリカでいくつもの興味深いマッチレースが行われている。

 1938年にピムリコ競馬場で行われたシービスケットとウォーアドミラルのマッチレースは、当時の西海岸と東海岸の最強馬による対決で、まさに全米を熱狂させた。その様子は、映画『シービスケット』のなかでも感動的に描かれている。

 1975年のベルモントパークでは、その年のケンタッキーダービー馬フーリッシュプレジャーと、無敗でニューヨーク牝馬3冠を制した米国史上最強牝馬ラフィアンとのマッチレースが行われた。ハイペースで競り合うなか、ラフィアンが骨折で競走を中止し、それがもとで死亡してしまったこのレースは「悲劇のマッチレース」として今も語り継がれている。

 ちなみにラフィアンの当歳時に世話をしていたのは、当時アメリカの名門牧場クレイボーンファームで修行中だった日本人の岡田繁幸氏だった。岡田氏が帰国後に設立したクラブ法人「サラブレッドクラブ・ラフィアン」の名が同馬から取ったものであることは、よく知られている。

スペシャルウィーク

▲ 2012年ジャパンCの直線で叩きあいを演じたジェンティルドンナとオルフェーヴル


 そうした「マッチレース」は、レース体系の整備とともに、現在はアメリカでもほぼ行われなくなった。それでも僕たちは、ごく稀に「まるでマッチレースのような」闘いを目撃することがある。通常のレースなのに、レベルや背景や展開などが偶然、ひとつの方向に集約されて出現するそのレースは、見たことはなくとも、本来の「マッチレース」の興奮を十分に思い起こさせる。

 1977年の有馬記念は、まさにその頂点のような例だ。テンポイントとトウショウボーイがスタート直後から2頭で先頭を争い、何度も順番を入れ替えながら最後まで競り合ったこのレースは、日本競馬史に残る名勝負として今も語り継がれている。

ナリタブライアン

▲ 1977年の有馬記念では壮絶なマッチレースを繰り広げたテンポイントとトウショウボーイ



 アメリカにもある。1989年3冠の第2戦プリークネスSは、逃げるイージーゴーアに3番手からサンデーサイレンスが迫り、3コーナーあたりから長く、壮絶な一騎打ちを繰り広げた。結局、2頭は3冠とその年のブリーダーズCクラシックの計4度対戦し、すべてワンツー決着。そのライバル関係自体が長い「マッチレース」だったともいえる。

 そんな「マッチレース」的な名勝負の代表と呼ぶべきレースが、もうひとつある。1996年の阪神大賞典だ。

 ナリタブライアンとマヤノトップガン。2年前の年度代表馬と、前年の年度代表馬が鎬を削ったこのレースは、GIIにもかかわらず、いまだに忘れがたいレースとしてファンの記憶に残り、語り継がれ続けている。

 あの「名勝負」は、いかにして生まれたのか。なぜ今も、僕たちにとって大事なものであり続けているのだろうか?

(つづく)
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