▲名馬を振り返る「ベストパートナー」、今回はネオユニヴァースの後編 (C)netkeiba.com
過去にミルコ騎手が騎乗した名馬を振り返る「ベストパートナー」。今回は先週に引き続き、2003年の二冠馬ネオユニヴァース編。当時はまだイタリア競馬に所属していたミルコ騎手。執念と情熱で、“ダービー騎乗”の道を切り開き……
(取材・文=森カオル)
前日からの雨で重馬場「最高の舞台だと思った」
──前回はネオユニヴァースの皐月賞までを振り返っていただきましたが、当時はイタリアの厩舎との契約もあり、ダービーには騎乗できない可能性もあったそうですね。
ミルコ はい。毎年契約をしていましたから、大事な時期はなかなかイタリアを離れられなかった。でも、あのときのダービーは絶対にチャンスだと思っていたから、どうしても乗りたかった。
それで、イタリアの調教師に「ごめんなさい。僕はどうしてもネオユニヴァースに乗りに行きたい」とお願いしたら、先生も僕の気持ちをわかってくれて。で、1週間だけ短期免許で乗りにくることができました。みんな応援してくれましたね。
──なにしろ二冠がかかるダービーでしたものね。
ミルコ 皐月賞を勝ちましたけど、もともと皐月賞よりダービーのほうがチャンスがあると思っていたんです。むしろ皐月賞のコースは、ネオユニヴァースには合わないと思っていた。その時点で東京は走ったことがなかったけど、広くて大きいコースのほうが絶対に合うという自信がありました。
──ダービー騎乗が可能となり、当週の月曜日に来日。1番人気必至という状況のなか、日に日に緊張感が高まっていったのでは?