ビッグゴールドとオーナーの岡本義徳さん(提供:ビッグゴールドサポーターズクラブ)
“馬の幸せ”とは一体何か
今振り返ると2005年の天皇賞・春(GI)で2着に入った春シーズンが、JRA時代のビッグゴールドのピークだったのだろうか。その後の宝塚記念(05年・13着)、ジャパンC(05年・17着)、有馬記念(05年・13着)のGIをはじめ重賞やオープン特別に出走を続けたが、2005年のアルゼンチン共和国杯(GII)5着、2006年の万葉S5着、大阪―ハンブルグC4着以外は残念ながら掲示板にのれなかった。
「2005年のジャパンCはアルカセットが2分22秒1の日本レコード(当時)で勝ったというとんでもないレースで、ゴールド自身も走ってはいるんですけど、さすがに厳しかったですね。続く有馬記念は先行する力もだいぶ衰えていたのかな…」(岡本義徳さん)
善戦はできなくとも、ゴールドが辿った軌跡の1つ1つに岡本さんは愛着があるようだった。特にジャパンCには海外からも6頭の参戦があったし、前年の覇者ゼンノロブロイは夏にイギリスのインターナショナルS(GI)に遠征して僅差の2着という成績を残しており、まだ国際レースらしい華やかな雰囲気が漂う時代でもあった。デビュー時からしばらく440キロ〜450キロ台と牡馬としては小柄な馬体で頑張ってきた姿にも、岡本さんは引かれていた。ジャパンC時は468キロまで馬体は成長を遂げていたが、500キロ近い馬が当たり前の昨今においては決して大きい方ではない。その馬体で世界と日本の強豪に交じって精いっぱい走ったジャパンCでのビッグゴールドは、岡本さん夫妻にとって光り輝いていたに違いない。
義徳さんにはささやかな自慢話がある。それは前年に引き続いての出走となった2006年の天皇賞・春。着順こそ13着だったが、ディープインパクトと同じ4枠に入り、ゲートで隣同士になったことだ。去る10月14日に東京競馬場で行われたサンクスホースデイズにおけるシンポジウムでも、今回の取材時にも、義徳さんが本当に嬉しそうにこの話をするのが印象的だった。
2006年天皇賞・春にて(提供:ビッグゴールドサポーターズクラブ)
そのディープインパクトが今年7月30日、17歳と早すぎる死を遂げ、一方ビッグゴールドは子孫こそ残せなかったが、北海道の牧場で21歳の今も病気1つせず、彼らしくのびのびと余生を送っている。ディープインパクトが決して不幸せだったと言っているわけではない。ただ日本中に衝撃が走ったディープインパクトの訃報とビッグゴールドの現在の様子に接してみて、馬の幸せとは何かを改めて考えさせられたのも事実だ。
ディープインパクトと同枠だった天皇賞・春を走り終えた翌5月。脚元の故障によりビッグゴールドの引退が発表され、滋賀県で乗馬になるという報道がなされた。
「初めに東近江トレーニングセンターで乗馬と出たんですよ。いったいそこはどこ? ってなりました」(岡本朋子さん)
2人はその施設について可能な限り調べたが、なかなか情報は得られなかった。
「乗馬クラブでもないですし、どんな場所だろうと思っていろいろ探したら、休養馬や引退した馬が一時的に行くような施設らしいということがわかりました」(義徳さん)
この先、どうなってしまうのかと不安にかられていた矢先、事態は急転した。
「netkeiba.comで馬きゃっち(当時のガラケー版netkeiba.comの、現在のお気に入り馬のような機能)にビッグゴールドを登録していましたので、6月に金沢のルビー特別に出走というお知らせが来たんです。えっ? 金沢? 8歳で現役復帰するのか! と驚きました。その頃、2人とも地方競馬は全然わからなかったですし、まだ走れるものなのだなと思いました」(義徳さん)
金沢競馬の服部健一厩舎に移籍したビッグゴールドは、6月20日に金沢のA2級のルビー特別で地方移籍初戦を迎えたが、さすがにここでは格の違いを見せつけてあっさり優勝。続くA1級のダイアモンド特別でも2着のタガノテーストに大差をつけて2連勝を飾った。その後、マーキュリーC(GIII・盛岡・9着)、白山大賞典(GIII)のトライアルレースのイヌワシ賞(A級・2着)、白山大賞典10着、僚馬ビッグドンが勝ったダイアモンド特別(A1級・8着)と連戦。移籍して7戦目の北國王冠(A級)で5着(僚馬ビッグドンが優勝)になったのち、しばらくビッグゴールドの消息が途絶えた。
2006年イヌワシ賞にて(ユーザー提供:へらくれすさん)
岡本さん夫妻は不安に駆られた。
「やはり早めに厩舎に声をかけておけば良かったと、その時は後悔しかなくて、毎日毎日、地全協(地方競馬全国協会)のデータを見て登録が抹消されていないかどうかを確認していたのですが、『ビッグゴールド抹消』とあって、え? っと思ってよくよく見ると、ばんえい競馬にもビッグゴールドがいたんですよね(笑)」
地全協のデータベースを調べるしか手立てがなく、これといった情報がないまま1年以上の時間が過ぎた2007年12月。再び馬きゃっちのお知らせが岡本さんの元に届いた。
「ルビー特別の出走登録が来たんです。生きてたよ、あいつ!! と、嬉しかったですね」(義徳さん)
ゴールドが休養している間に、服部健一厩舎から加藤和宏厩舎へと転厩になるという変化もあり、2007年12月のルビー特別(A2級・4着)が長期休養明け、かつ転厩初戦となった。その後1月に1戦して少したったある日、岡本夫妻は行動を起こした。
「3月21日のゴールドの誕生日に合わせて、加藤和宏厩舎宛てに人参とお手紙を初めて送りました」(朋子さん)
すると加藤調教師からすぐにお礼の電話がかかってきた。
「金沢競馬は冬休みに入ってしまいますし、春になったら応援に行きますと先方に伝えたら、是非来てくださいと加藤先生も答えてくださいました」
ビッグゴールドを応援する気持ちをしたためた手紙と人参を送るというこの行動こそが、厩舎と岡本夫妻が交流を持つきっかけとなり、更にはビッグゴールドのその後の馬生をも左右することとなった。
オーナーの岡本朋子さんから人参をもらい穏やかな表情を見せる(提供:ビッグゴールドサポーターズクラブ)
もし引き取りたいと真剣に考えている馬がいるならば、岡本さん夫妻のようにその馬が現役のうちに厩舎なり馬主なりに何らかの形でコンタクトを取っておくことをお勧めしたい。これまで馬を引き取った経験のある方の話を総合すると、引き取りたいといきなり本題に入るのではなく、まずは馬を応援する気持ちや厩舎への感謝の思いを伝えた方が良いように思う。馬の引き取りの話を持ち出すのは、調教師や馬主とある程度信頼関係を築いてからの方が、トラブルがなくスムーズに運ぶケースが多いからだ。
岡本さん夫妻は、加藤厩舎に手紙と人参を送ることで、厩舎との信頼関係を築くための第一歩を踏み出した。と同時にこれはビッグゴールド引き取りへの第一歩を踏み出すことでもあった。
(つづく)
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