▲昨年の中山大障害で初のJ-GIタイトルを手にした金子光希騎手 (撮影:藤井真俊)
14日(土)のJ-GII阪神スプリングジャンプで障害界の“絶対王者”オジュウチョウサンに挑むのは、昨年末に中山大障害を制したシングンマイケル。手綱を取るのはその中山大障害で、デビュー20年目にして初のJ-GIタイトルを手にした金子光希騎手(37)です。
同馬にまつわる秘話や、先月17日に亡くなったシングンマイケルの前トレーナー・高市圭二調教師への思い、打倒オジュウチョウサンへ向けてなど、胸の内に迫りました。
(取材・文=東京スポーツ・藤井真俊)
4歳時は、あえて中山大障害を回避
――本来であれば絶対王者オジュウチョウサンに、新王者シングンマイケルが挑む…という構図のみがクローズアップされたであろう今年の阪神スプリングジャンプ。しかしシングンマイケルの高市圭二調教師が先月17日に亡くなったことにより、さながら弔い合戦のような様相も呈してきました。複雑な心境でしょうが、まずは現在のお気持ちを聞かせてください。
金子 複雑ですね…。年末に中山大障害を勝って、シングンマイケルと高市先生と大きな花を咲かせることができたのですが、それからたった2か月でこういう状況になるとは…。
癌のため先生は2017年の時点で余命6か月と言われていたそうです。大丈夫かなとずっと心配しながら一緒に仕事をしてきたのですが、ここまで懸命に戦って、踏ん張ってこられて…。
そんな中で最後にひとつ大きなところを勝てたことは良かった。ただ本当はもっと先生と一緒に、夢を見続けたかった、叶え続けたかったというのが本音です。
――改めて高市調教師というのは、どのような先生だったのですか?
金子 障害馬をつくる時はよく声をかけて頂いて、特にここ数年は密接にお付き合いさせてもらっていました。僕個人と先生との関係性ですと、調教でも競馬でも細かく指示をされたことは1度もありません。
基本的には先生から大まかな方針をうかがって、あとは馬の体調と照らし合わせながら、自分なりに感じた調整だったり、競馬の仕方をして…といった感じでした。それで先生にも納得して頂けていたようですし、うまく波長が合ったのかもしれませんね。
――そんな中で出会ったのがシングンマイケルですね。障害デビューは2017年の12月。平地では未勝利でしたが、第一印象はいかがでしたか?
金子 前評判から良かったのですが、実際にその通りでしたね。まず障害に対して素直。バランスが良くて飛越の軽さもあった。素質を秘めていると感じていたので、厩舎スタッフには「3戦のうちには結果を出したい」と話していたのですが、実際に3戦目で勝ち上がることができました。