▲福永騎手や横山典騎手らに囲まれて… (C)netkeiba.com
2020年2月29日、ジョッキー・四位洋文の騎手人生最後の日。四位騎手(当時、現調教師)のご協力のもと、netkeibaでは「最後の一日」の密着取材を敢行した。
新型コロナウイルスの影響により、無観客競馬の初日にもなった当日。初戦での勝利、一転しての騎乗停止処分、感動の引退式……四位騎手自身も「激動の一日だった」と振り返ったほど、実に様々な出来事が起きた。
四位騎手自身の言葉と、この日を共に過ごした四位騎手を慕うホースマンたちの姿から、「ジョッキー・四位洋文、最後の日」を振り返る。
(取材・文=不破由妃子、netkeiba編集部)
“鹿児島”つながり ――2つの絆
2020年2月29日。戦後初となる無観客競馬となったこの日、冷たい雨がそぼ降る阪神競馬場で、ひとりの名手が現役最後の日を迎えた。
四位洋文──ダービー連覇を含め、手にしたGIタイトルは15。その功績もさることながら、デビュー当時から一目置かれていたという天性の騎乗センスは、多くの後輩ジョッキーの憧れの的だった。
この日も飄々とした四位本人をよそに、朝からどこか落ち着きがなく、ソワソワした様子を見せていたのは、彼を慕う後輩たち。とくに四位にとって最初のレースとなった3Rは、単勝オッズ1.7倍の圧倒的1番人気(ハンメルフェスト)だったこともあってか、ゴールの瞬間を少しでも近くで見届けようと、ゴール前のウイナーズサークルには多くの後輩たちの背中が並んだ。
▲高倉騎手、酒井騎手、池添騎手、竹之下騎手がゴール前に (C)netkeiba.com
レースは、やや躓き気味のスタートから道中は中団。気合いを付けながらの追走だったが、4コーナー手前で先団に取り付つくと、直線は先に抜け出したトゥルブレンシアに外から並びかける。その瞬間、固唾を呑んで見つめていた後輩たちから大きな声援が飛び、結果、2馬身差を付けてのトップゴール。観客のいない競馬場に、後輩たちの歓喜の雄叫びと温かい拍手の音が響き渡った。
▲この日の初戦で見事勝利、これが四位騎手の最後の勝利となった (C)netkeiba.com
▲騎手仲間と一緒に記念撮影 (C)netkeiba.com
レース後、「おめでとうございます」と声を掛けると、「ありがとう。圧倒的1番人気の馬だったからね、勝ててよかった」と、まずは安堵の表情を浮かべた四位。
続いてレースを振り返り、「追わせる馬だったけど、そういう馬だっていうことは(前走まで騎乗していた)小牧さんからアドバイスをもらっていたからね。『最後だから』ということで、馬主さんが託してくださった馬。本当に勝ててよかった」とプレッシャーからの解放感を滲ませた。
ちなみに、アドバイスを送ったという小牧太だが、ハンメルフェストはデビュー以来、一貫して手綱を取ってきたお手馬だけに、本来ならばこの乗り替わりは痛手のはず。が、この日の騎乗が四位になることは小牧にも早くから伝えられており、「難しい馬やけど、なんとか勝ってほしいね」とエールを口にしていた。同じ鹿児島県出身のベテランふたりが、1頭の馬のためにタッグを組んだ。そんな1勝だったのかもしれない。
“鹿児島”つながりでもうひとつ、四位洋文というジョッキーを象徴する、こんなシーンに遭遇した。
レースとレースの合間、四位が紺のブレザーを着た坊主頭の若手を呼び止め、何やら手渡していた。四位の手の中にあったのは、2組の真新しい鐙。それを恭しく受け取っていたのは、デビューを翌日に控えた泉谷楓真だった。
「鐙を新人ジョッキーにプレゼントしたんですか?」と聞くと、「うん。使おうと思って買ったんだけど、結局使わなかったから」と四位。泉谷は山口県の出身だが、聞けば四位が子供の頃に籍を置いていた鹿児島の乗馬クラブまで、山口からわざわざ通っていたのだという。
面倒見のいい四位のこと、そんな泉谷が可愛くないわけがない。あのとき手渡された鐙こそ、同じ場所からホースマン人生をスタートさせた泉谷へのこれ以上ないエールのように思えた。
そして翌日、泉谷はデビュー戦となった阪神1Rで初騎乗初勝利を達成。はたして四位イズムの体現者となるのか、これからの活躍が楽しみだ。
▲四位騎手の引退の翌日、初騎乗初勝利を果たした泉谷楓真騎手 (C)netkeiba.com
歓喜の勝利から一転、次のレースで騎乗停止処分に
さて、この日2鞍目となった5Rは、ナリタアレスで3着に入ったものの、直線の斜行で騎乗停止処分に。歓喜の勝利から一転、文字通りの「まさか」の展開だ。これには報道陣のあいだでも、そこここでざわめきが起こった。当然、四位本人は反省しきりで、「やらかしてしまった。もうね、プロとしてダメ。絶対にダメ。間違いなく騎乗停止の事象です」とキッパリ。
朝の取材時点では、「昨夜も眠れたし、ホントにいつも通り。何も変わらない」と話していた四位だが、騎乗停止を受けて「やっぱりいつも通りじゃなかった。最後(の日)だし、人の思いをいっぱい背負っていると思うと…。つい力が入ってしまった。こんなんじゃダメだな。落ち込むよ。それにしても、(被害馬であるメイショウサンガに騎乗していた)松山くんを落とさなくてよかった」と心情を吐露。皮肉にも、四位らしからぬこの出来事が、“最後”であることをより強く意識させる結果となった。
▲四位騎手の最後の日の騎乗が1鞍1鞍過ぎ去り… (C)netkeiba.com
▲雨脚も強まる中、ラスト騎乗が近づいてくる (C)netkeiba.com
この後は8R(アンクルテイオウ7着)、9R(ノーブルカリナン7着)、10R(グランフェスタ11着)と立て続けに騎乗し、いよいよ迎えた最終12レース。15時52分、観客のいないパドックに「止まーれー」の号令が響いた。
四位の元に駆け寄ったのは、最後の騎乗馬、ヴィントを管理する千田輝彦。四位の2期先輩で、公私ともに親交のあった千田だが、デビューしたばかりの四位に「けっこう乗れるじゃん」と褒められたのが仲良くなったきっかけだったとか。そんなとんでもない新人だったが、「当時から騎乗センスは認めざるを得ないものがあった」(千田)として、調教師となってからも四位を重用し続けたひとりだ。
▲千田調教師が見守る中、最後のパドック (C)netkeiba.com
▲最後のパドック、四位騎手から視線のプレゼント (C)netkeiba.com
泣いても笑っても最後の騎乗とあって、後輩ジョッキーたちもそれぞれに思いを噛みしめていた。2枠2番の四位を挟む形になった池添謙一(1枠1番)と藤岡佑介(3枠3番)は、「泣いてしまうかも…」と声をそろえた。ヴィントの主戦であり、家族ぐるみの付き合いがある竹之下智昭、デビュー当時から四位を慕う酒井学のふたりは、早々にウイナーズサークルの特等席を確保。腕を組み、微動だにせず、スタート地点をジッと見つめていた。
レースは、後方追走から直線で差を詰めに掛かるも、伸び切れずに7着に終わった。ゆっくりと引き上げてきた四位を迎えたのは、万雷の拍手と「お疲れさまでした」「ありがとうございました」の声、声、声…。そんな声に照れくさそうな笑顔で応えつつ、四位洋文は29年間のジョッキー人生に幕を下ろした。
▲最終騎乗を終え、騎手仲間も集まる検量室へ向かう四位騎手 (C)netkeiba.com
最後まで涙を見せなかった四位が、唯一「こらえた」瞬間
この日のために用意されたTシャツとキャップで装いを揃えた引退式、そして恒例の胴上げ。「胴上げはしたくない」という本人の希望は聞き入れられるはずもなく、高々と5回も宙を舞った。これには「めっちゃ高くなかった? ビックリしたわ」と本人も苦笑い。ファンの姿がなかったことは確かに寂しかったが、その存在の大きさが十分に伝わってくる一日だった。
▲この日のために用意されたTシャツとキャップを全員で着用 (C)netkeiba.com
▲宙を舞う四位騎手 (C)netkeiba.com
最後まで涙を見せなかった四位だが、唯一「こらえた」と振り返ったのが、引退式で横山典弘から花束を渡された瞬間。「ノリちゃんから花をもらったときは、さすがに泣きそうだったわ。必死にこらえた。ノリちゃんもこらえているのがわかったからね」。
一説によると、四位の引退に合わせて阪神に乗りにきたという横山。ふたりのあいだにはきっと、あの時こらえた涙の分だけ、お互いに唯一無二のリスペクトがあるに違いない。
すべてが終わり、「激動の一日でしたね」と話を振ると、「ホントだねぇ」と疲れを滲ませた四位。そして「でも、まだ全然実感が湧かない。引退したんだなぁって本当に実感するのは、来週以降じゃないかな」と、最後の一日を締めくくった。
翌1日からは、来春の開業へ向け、技術調教師として多忙な日々がすでにスタート。netkeibaでは、四位厩舎開業までの軌跡を追いかける予定だ。
(文中敬称略)