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余命わずかでも最後は自分で…長寿馬シャルロットのオーナーがみてきた引退馬の実情(2)

  • 2020年03月31日(火) 18時00分
第二のストーリー

R.Oさんが初めて引き取った馬、ファーストワンダー(提供:R.Oさん)


“ドル箱スター”も処分寸前の状況に


 ファーストワンダーが暮らす北関東の牧場に、R.Oさんは月1回の割合で通っていた。

「子供っぽくてヤンチャで、そこがすごく可愛い馬でした」

 ワンダーを引き取った1995年1月からおよそ4年半の歳月が流れた1999年8月に、R.Oさんは2頭目の馬を引き取ることとなる。1973年5月3日生まれのアングロアラブ種で馬名はジャンプ。競走馬時代の馬名なのかは不明だが、スカイヒーローという名前の記録も健康手帳(正式名称:馬の検査、注射、薬浴、投薬証明手帳)に残っている。そこで調べてみたが、スカイヒーローという競走馬は2頭存在したものの、どちらもサラブレッドで生年も異なるため、ジャンプとは別の馬と判断した。健康手帳によると、1983年頃には某大学馬術部に所属、1986年8月にはR.Oさんが会員となっていた乗馬クラブで練習馬となっている。この時にジャンプという名前に変更になっていた。

「気が強くてプライドが高く、部班(指導者1人につき複数の人馬が同時に練習すること)のレッスンではいつも先頭でした。頭が良くて生真面目で、インストラクターの指示に一生懸命従っていました。時には一生懸命過ぎてパニック気味になることもあったほどです。クラブでは皆から好かれていて、ファンの多い馬でした」

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一生懸命過ぎてパニック気味になることもあったというジャンプ(提供:R.Oさん)


 前述の通り1999年8月、乗馬を引退したジャンプをR.Oさんは引き取って、ファーストワンダーと同じ牧場に預託をした。前述した通り、ワンダーがヤンチャで子供っぽかったせいか、ジャンプは「自分はワンダーとは違うんだよ」というような態度を取るなど、そこでもプライドの高さを見せていたという。

 だがジャンプの余生は短かった。牧場に来て2年もたたない2001年1月22日に、天国へと旅立っていった。28歳(満年齢27歳)だった。

「引き取った時にはだいぶ痩せていて弱っていた感じで、その後も太ることができないまま亡くなりました。栗毛の綺麗な馬でした」

 ジャンプが亡くなる5か月ほど前に、R.Oさんは3頭目の馬を引き取っていた。ホップという馬だ。ホップは、サラブレッドやアングロアラブのいわゆる軽種ではなく中間種にあたり、岩手県遠野市で乗用馬として生産された。健康手帳によると、1977年から1985年は宮崎競馬場(現・JRA宮崎育成牧場)に籍を置いたのち、某大学の馬術部に移動。1986年8月にはR.Oさんの通う乗馬クラブで練習馬となった。タケガミという馬名の時代もあったようだが、移動を機にホップと馬名が変わっている。

「ホップは練習馬としてクラブの中では特別な存在でした。どんな人を乗せても完璧にこなす100点満点の馬だったんです」

 クラブではドル箱スターと言われ、どれだけお金を積まれても売らないというほどに、練習馬として優秀な馬だったようだ。ところがそのホップが、難病の蹄葉炎に侵されてしまう。治ったら練習馬としてまた頑張ってもらおうと考えていたクラブ側もしばらくの間、ホップを在籍させていた。だが症状は一向に改善せず、ほとんど歩くことができなくなり、処分寸前の状況になってしまった。

 R.Oさんはこれまで頑張ってきたホップを見捨てることができず、引き取らせてほしいとクラブに願い出た。引き取っても数か月しか余命がないとクラブ側から言われたが、R.Oさんはそれでも自分で最後を看取りたいと、2000年8月にファーストワンダーとジャンプのいる牧場へとホップを運んだ。

「牧場では特別な治療をしたわけではないんです。毎日放牧をして、定期的に削蹄を続けているうちに良くなりました。最初は歩けなかったのが走れるようにまでなって、奇跡的に元気になったのです」

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R.Oさんの献身的なケアもあって走れるようになったホップ(提供:R.Oさん)


 処分寸前から生還したのだから、格別な思いがあったと想像できる。ホップの話をするR.Oさんの声は心なしか弾んでいた。

 2001年1月にジャンプが亡くなり、R.Oさんの愛馬はファーストワンダーと奇跡的に回復したホップの2頭になった。2001年8月にその2頭を、長野県のスエトシ牧場へと移した。スエトシ牧場には宿泊施設があり、朝から晩まで愛馬との時間を楽しむことができることと、環境の良さが決め手だった。R.Oさんは月2回、週末に泊りがけでスエトシ牧場を訪れた。R.Oさんがスエトシ牧場に滞在している間は、飼い付けを初め、何から何まで自由に行うことができた。時間も関係なかった。思う存分馬たちと過ごすこの時間が、R.Oさんにとってはかけがえのないものとなっていた。

 ファーストワンダーは、ホップが大好きだった。

「ホップの姿が見えないとずっと鳴いているんです。ワンダーが洗い場に1頭で繋がれている時に、ホップが遠くに見えただけでも安心した様子でした」

 蹄葉炎が快癒してのんびり余生を過ごすことができたホップは、2007年8月24日に33歳で天に召された。一時は命の危険もあったホップだけに、これは大往生と言っても良いだろう。

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仲良く並ぶ、ホップ(左)とファーストワンダー(右)(提供:R.Oさん)


 ホップがまだ存命の2003年、R.Oさんは4頭目の馬を引き取っている。この馬が軽種馬の最長寿記録を持つシャルロットこと競走馬名アローハマキヨだ。シャルロットの詳細はのちに記すとして、R.Oさんはさらに5頭目の馬を引き取っている。花怜(かれん)という牝馬のサラブレッドだ。1996年までどこで何をしていたかの情報がなく、競走馬だったのかも不明だ。1996年頃より北関東の観光牧場で練習馬として働き、2008年6月にスエトシ牧場へとやって来た。1987年5月17日生まれの花怜はこの時、21歳。

「骨と皮の状態で、まるで骨格標本かと思うほどガリガリに痩せていました。乗ることも絶対に無理な状況でした」

 畜産業者に出すことも難しいのではないかというほどの痩せ方だったとR.Oさんは振り返る。それまで接点のなかった花怜に「会うべくして会った」ような親近感を覚えたR.Oさんは、どうしても放っておくことはできず、自ら引き取って、そのままスエトシ牧場に預託という形を取った。

「だいぶ太ってはくれたのですが、舌が口からダラッと出ている状態だったんです」

 神経が侵されていく病気だった花怜に、R.Oさんはマッサージをするなど献身的にケアをした。最初のうちは麻痺は顔だけだったが、やがて体にもその症状が現れるようになる。

「最後は腰に麻痺が来て立てなくなってしまい、安楽死を決断しました」

 2010年9月8日、花怜は23歳で永遠の眠りについた。

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R.Oさんが引き取った5頭目の馬、花怜(提供:R.Oさん)


(つづく)

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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