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【引退の真相】中谷雄太元騎手(2)『躓きからのスタート 反省も込めて“美浦時代の16年”を振り返る』

  • 2020年06月17日(水) 18時02分
ノンフィクションファイル

▲反省も込めて、移籍前の“美浦時代の16年”を振り返ります (C)netkeiba.com


先月24日に現役を引退した中谷雄太元騎手。最終騎乗目前での引退発表とあって、メディアでは“電撃引退”と報じられましたが、自身の中では長く悩んだ日々が続いていたと言います。

引退を決意するに至った本当の理由は何だったのか、勝負の世界に生きる中でどんな葛藤があったのか――今まで語られなかった胸の内を独占告白。4日間連続のロングインタビューでお届けします。

(取材・文=不破由妃子)

※このインタビューは取材対象者と十分な距離を保ち、換気も行いながら実施しました。


所属厩舎の変更…「気が利かない弟子でした」


──中谷さんといえば、2013年の年末から栗東に拠点を移し(正式に移籍したのは2015年)、2016年にはキャリアハイとなる25勝をマークするなど、自らの行動力でジョッキーとしてのキャリアを切り開いたひとり。そこに至るまでの過程には多くの教訓を含んでいるような気がしますが、美浦時代の約16年というのは、中谷さんにとってどういう時間だったのでしょうか。

中谷 荒んでましたねぇ(苦笑)。高松厩舎に所属していたんですけど(デビューした1998年から2005年の10月まで)、上に田面木博公さん(現調教助手)と小野次郎さん(現調教師)というふたりの先輩ジョッキーがいて、高松厩舎自体、年間の勝ち鞍が一桁になっている時代で。

 それに、そもそも本当は別の厩舎に所属する予定だったんですよ。研修にも行きましたが、悪すぎて入れてもらえなかった(笑)。

──何をやらかしたんですか?

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