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英雄不在を救ったヴェンジャンスオブレイン

  • 2005年12月13日(火) 23時50分
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 11日に行われた今年の香港国際競走。シャティン競馬場に集まった44,359人という観客数は、前年を11,000人余りも下回るものだった。開催終了後に記者会見した香港ジョッキークラブのチーフエグゼクティヴ、ローレンス・ウォン氏によると、明らかにこれは直前で回避をした「サイレントウィットネス不在」が要因とのこと。昨今、サイレントウィットネスが出走する日のシャティンは、それが土曜日に組まれた開催であっても、10,000人以上は通常よりも観客が多く、ほぼそれに相当するだけ数字が減ったことは、想定の範囲内であるとのことであった。

 香港の英雄とまで言われた馬の穴を、1頭で埋めるのは至難の技であるが、今年その重責を担い、見事に期待に応えたのが、メインの香港カップを制したヴェンジャンスオブレインだった。香港最大の国際競走のメインレースで、単勝1.8倍という圧倒的支持を受けた地元調教馬ヴェンジャンスオブレインが先頭でゴールを駆け抜けた時の、場内の喧騒は凄まじかった。コース脇のエプロンのそこかしこでクラッカーが鳴らされ、爆音とともに満艦飾の紙すだれが宙に舞ったのである。競馬の観戦マナーとして如何なものか、との声も挙がろうが、これも国民性なのであろう。

 netkeiba.comの香港特集でも書かせていただいた様に、今年のカップは実績から見てヴェンジャンスオブレインの独壇場になるであろうと、筆者も見ていた。ところが現地に入ってみると、驚いたことに、そのヴェンジャンスオブレインの「不調説」が朝の厩舎村でまことしやかに囁かれていたのである。今季の同馬は、10月に入ってから始動。1400mのハンデ戦8着、1600mの香港G3戦5着の後、前哨戦の香港G2インターナショナル・カップ・トライアルを制して、本番に臨んでいた。滑り出しの2戦では、この馬らしい動きが全く見られず、前哨戦も勝つには勝ったが、格下相手に短首差の辛勝だった。クイーンエリザベス2世Cをはじめとした春一連のレースで見せた圧倒的な末脚は、いずれのレースでも影を潜めており、しかも前哨戦後の彼は青息吐息で引き上げてきたことから、「不調説」が飛び交うようになったようだ。サイレントウィットネス不在の時に、地元の威信を背負って走らなければならない馬がこんな状態でどうすると、管理するデヴィッド・フェラリス調教師を糾弾する声すら、舞台裏では聞かれていたのであった。

 だが師にしてみたら、全ては、この日にピークを持ってるための戦略だったようだ。あらぬ批判の的にされかけたフェラリス師によると、ヴェンジャンスオブレインという馬は「叩かれつつ調子を上げていくタイプ」だそうだ。だからこそ、当初はこの秋、豪州のコックスプレート参戦を予定していたのだが、検疫規定の関係で地元で一度もプレップレースを使えないことが判明すると、その時点で遠征を断念。目標を香港カップに切り換えた。前哨戦となったインターナショナル・カップ・トライアルは、他馬より5ポンド重い斤量を背負っての戦いだったが、本番前に激しく厳しいレースを必要としていたヴェンジェンスヴレインにとって、あの辛勝無くしてこの日のパーフェクトな仕上がりはあり得なかったと、フェラリス師は語った。

 さて、香港カップの勝利とともに、今季のワールドシリーズ・レーシングチャンピオンシップの王者まで仕留めたヴェンジャンスオブレインである。この秋は断念したものの、06年にこそ海外遠征の期待がかかる。レース後の会見でフェラリス調教師は、「ドバイやヨーロッパへ行ってみたい気持ちはある」としながらも、慎重な姿勢を貫いた。「サイレントウィットネスが今日ここで走れなかったのも、日本遠征のツケが回ったからだから・・・」と、海を渡る遠征の難しさを口にした。馬主のチョウ・ホン・マン氏は、「香港にも賞金の魅力的なレースがたくさんあるから。当面は…」と更に消極的。2400mの香港G1勝ちもあるヴェンジャンスオブレインだけに、ぜひジャパンCで見てみたいと思うのだが、果たして?

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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